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気ままに出かけて 写真に残る植物や風景etcを 備忘録として足跡に残しています。

埼玉県入間郡三芳町のマンホール蓋

2018-07-22 15:14:34 | マンホール蓋
三芳町は、明治22年に入間郡上富村、藤久保村、竹間沢村、北永井村の4村が合併し三芳村が誕生、その後、昭和45年11月に町制施行により三芳町となり現在に至っています。

三芳町は、首都圏30キロメーターに位置し、埼玉県入間郡の南部、武蔵野台地の北東部にあたり、東西6.9キロメータ、南北4.2キロメータにわたり、面積は15.33平方キロメートルで、その形状は西から東へとゆるやかに下る勾配をもつ、関東ローム層におおわれたおおむね平坦な台地です。
東は志木市と富士見市、南東は新座市、南西は所沢市、北はふじみ野市と川越市に隣接しています。

徳川家康の関東入国以降、武蔵野台地の開発がすすみ、元禄7年、川越藩主・柳澤吉保による「三富新田開拓」が実施され、長期間にわたり純農村地帯として歩んできた自然豊なまちです。現在、東に国道463号、西に関越自動車道が通る恵まれた交通環境を背景に工業団地や流通拠点としての倉庫群を連ねております。

市章は、三芳町の片仮名「ミヨシ」は円形にデザインし融和と団結を表し、中央にはばたく鳥を図形化し、町の躍進と産業の発展を象徴したものです。(昭和47年1月6日制定)

市の花は「キク」、市の木は「ケヤキ」、市の鳥「ヒバリ」です。(以上は、三芳町HPより)

私は、時々三富地区を散策します。川越藩主・柳沢吉保が三富新田の開拓農家の菩提寺として上富地区に建立した多福寺、祈願所として中富地区に建立した「毘沙門社」(現毘沙門堂・別当寺:多聞院)付近は散策にもってこいの所です。
   

町の概要はここまでにし、マンホール蓋の整理に移ります。
最初は、三芳生誕100年を記念し、1989年に町のキャラクターとして誕生した「みらいくん」と三芳町を鳥瞰する景色をデザインした、カラーの汚水マンホール蓋です。
東武東上線・みずほ台駅西口・ロータリーから延びる道路を進み、三芳町に入ると歩道の両側に設置されています。

「みらいくん」は、「水の精」で一滴の「水のしずく」がやがて流れとなり、川となって大海にそそぐ、その自然界の源ともいうべき「しずく」、そしてすべての生命の源でもある「しずく」のいきいきとした躍動感を表したものです。
詳しくは、こちらをご覧ください。
http://www.town.saitama-miyoshi.lg.jp/town/about/miraikunn.html

もう一つ、デザイン蓋があります。
町の木「ケヤキ」、町の花「キク」、町の鳥「ヒバリ」をデザインしています。なお、カラー蓋は見付ける事が出来ませんでした。
雨水蓋。
  
汚水蓋。
 
こちらは、浸透井蓋です。


次は、規格模様と呼ばれるマンホール蓋です。
最初は、JIS規格蓋模様です。
用途記載がない蓋です。

雨水蓋。
 
汚水蓋。
 

次は、ハンドホール蓋です。
こちらも、マンホール蓋と同じデザインの汚水蓋があります。


こちらは、「アサガオ」のデザインですが、三芳町を表す文字やマークがありません。
公共下水道の蓋なのか?、民間企業の蓋なのか?


他に、亀甲模様の蓋もありました。
 

次は、上水道関係の蓋を整理します。
最初は、消防関係で消火栓の蓋です。
消火栓蓋にも「みらいくん」が纏をもったデザインがあります。
 
こちらは、他の自治体でも良く見るデザインの蓋です。


こちらは、防火用水槽の蓋です。
ふじみ野市や富士見市で見たデザインと同じものです。


こちらは、制水弁の蓋です。
 

こちらは、止水弁の蓋です。


最後は、緊急連絡管です。
三芳町と富士見市との連絡管の蓋です。


以上で三芳町のマンホール蓋の整理は終了です。
コメント (1)
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