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気ままに出かけて 写真に残る植物や風景etcを 備忘録として足跡に残しています。

所沢七福神めぐり 八国山・荒幡富士コース

2020-12-17 21:04:57 | 七福神

12月7日(月)
今日は気持ちが良いほどの青空で、気温は12月初旬とは思えない暖かさです。
コロナ感染が増加しているこの頃ですが、この時期の七福神めぐりは参拝する方は少なく、公共交通機関も朝9時過ぎの空いている時間帯で10分程の乗車時間ではリスクは少ないと判断し「所沢七福神めぐり」に出かける事にしました。

七福神めぐりのパンフによると、市民の生活に福運とうるおいをもたらそうと令和の改元を契機に令和2年元旦より開場されたようです。
七福神を担当する寺は、平安、鎌倉、室町時代から続く歴史のある寺で、駅から徒歩圏内の立地、巡拝の際は車の往来が少ない道路でコース設定可能など、七ケ寺の選抜には考慮され選抜されたようです。

また、巡拝のコース途中には狭山丘陵の八国山、将軍塚、鳩峰八幡社、荒幡富士、市民の森などがあり、これらの場所にも立ち寄れるよう考えられた巡拝コースとなっています。

最寄りの狭山市駅から西武新宿線に乗車し所沢駅で下車します。
所沢駅東口から巡拝のスタート、目指すは第1番の持明院(恵比須天)です。
雲一つない青空、ジュウガツザクラ(十月桜)の花やイチョウ(銀杏)の紅葉を楽しみながら歩きます。
 
歩き始めて20分程で第1番の持明院(恵比須天)に到着します。
平安時代の元慶2年(878年)権大僧都寂寛による創建と伝えられる淵上山持明院、ご本尊は不動明王、秋津のお不動様と親しまれている真言宗豊山派の寺院です。
山号の淵上山は、柳瀬川の深い淵の上に在ることからのようです。また、弘法大師の曼陀羅堂清龍伝説や民話「カッパの詫び状文」などで知られています。(「所沢七福神めぐり」より抜粋、以降同様です。)
   
次は、第2番の長久寺(大黒天)、第1番の持明院さんから20分程で到着します。
元弘元年(1331年)に玖阿弥陀佛により開山の花向山常行院長久寺、ご本尊は阿弥陀三尊、所沢市で唯一の時宗の寺院です。
   
次は、第4番の永源寺(弁財天)を目指します。
この間、所澤郷土美術館の近くを歩きますが、開館日は4月から11月の日曜と祝日のみとなっているようなので、この日は閉館日で見学できませんでした。

道すがらに見つけた満開のコウテイ(皇帝)ダリヤです。

第2番の長久寺さんから20分程で第4番の永源寺(弁財天)に到着します。
応永年間に武蔵野国守護代の大石信重により創建の大龍山永源寺、天文年間に北条氏照により中興された曹洞宗の寺院です。

石像の弁財天は祀られていないようで、少し離れた弁財天堂に「宇賀弁財天」が祀られています。
 

こちらでも、きれいな花に出会いました。ワビスケ(侘助)でしょうか。

次は、第3番の佛眼寺(福禄寿神)を目指します。
第4番の永源寺さんから30分程で第4番の佛眼寺(福禄寿神)に到着します。
延暦21年(802年)法印良秀によって開基されたと伝えられる王禅山釋迦院佛眼寺、元亀年間(1570年頃)に青梅金剛寺の僧侶円宥武により中興開山された真言宗豊山派の寺院です。
   
次は、第5番の光蔵寺(寿老人)を目指します。
この間でも、きれいな花に出会いました。キバナコスモス(黄花秋桜)とエンジェルストランペットです。
 
第3番の佛眼寺さんから20分程で第5番の光蔵寺(寿老人)に到着します。
創建年代等は不詳のようですが、寛永年間に法印賢宥が中興しと伝えられる荒幡山無量院光蔵寺、ご本尊は阿弥陀如来とする真言宗豊山派の寺院です。
   
次は、第6番の本覚院(布袋尊)を目指します。
この間に、荒幡富士(標高約119メートルの人工の富士山)に立寄り、しばし休憩と昼食を採る事にしました。

山頂からは、西に富士山、北に小手指附近の高層ビルが望めます。
左の写真は、当日富士山が見えなかったので以前6月頃に撮ったものです。
 
附近には、紅葉のモミジ、レンギョウ(連翹)が咲き始めていました。
 
次は、第6番の本覚院(布袋尊)を目指します。
この間でも、きれいな花「クサフジ(草藤)」に出会いました。戻り咲でしょうか。

第5番の光蔵寺さんから30分程で第6番の本覚院(布袋尊)に到着します。
南北朝時代の庚暦2年(1380年)阿闍梨法印法円により創建、弘治元年(1555年)に大僧都方印恵靜により中興された月桂山本覚院喜福寺、ご本尊を不動明王とする真言宗豊山派の寺院です。
   
こちらの本覚院さんにも弁財天堂があります。

最後は、満願となる第7番の海蔵寺(毘沙門天)を目指します。
第6番の本覚院さんから20分程で第7番の海蔵寺(毘沙門天)に到着します。
山口城主一族の岩岡民部少輔道岩入道により、小手指原の戦いや、南北朝時代の動乱で討死した将士を弔うために文明元年(1469年)に創建された川嶋山釋迦院海蔵寺、ご本尊を釈迦如来とする真言宗豊山派の寺院です。
 

好天に恵まれ、蜜を避け久し振りの七福神めぐりとなりました。
帰路は、西武狭山線・下山口駅から乗車しました。

参考までに、所沢市まちづくり観光協会のHPより利用した巡拝地図を掲載します。

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埼玉県比企郡小川町のマンホール蓋(その2)上水道関係他

2020-12-09 20:34:39 | マンホール蓋

※2020.12.06更新 色違いのデザイン消火栓蓋と空気弁蓋など10枚追加しました。

今回は、小川町で出会った上水道関係他の蓋を中心に整理します。

最初は消防関係で消火栓と防火用水槽の蓋です。
にこやかに紙すきをしている女性がデザインされ、「和紙のふるさと小川町」と町の特徴が書かれた消火栓の蓋です。
 (2020.12.06追加)
町章の入った蓋と町章が無い丸型の蓋です。
 
こちらの蓋は、「消火用」と書かれています。大きさは、古いタイプの制水弁や仕切弁と同じです。
(2020.12.06追加)
続いて角型の消火栓蓋です。
こちらの蓋には、「小川町水道」、「小川町」の文字が入るちょっと古そうな蓋です。
 (2020.12.06追加)
 (2020.12.06追加)
こちらの蓋は市章だけです。
 (2020.12.06追加)
こちらは新しいタイプの蓋でしょうか。
 
こちらは少し大きめの蓋です。
 

次は、空気弁・消火栓と書かれている蓋です。私は初めて見る蓋でした。


こちらは防火貯水槽の蓋です。
 (2020.12.06追加)
こちらの蓋には、「小川地区消防組合」と書かれています。

小川地区消防組合は、昭和46年4月比企郡小川町、嵐山町、玉川村、都機川村、東秩父村の5町村で組織されましたが、平成4年4月小川地区消防組合が解散し、比企広域市町村圏組合に消防事務を承継しています。

次は空気弁の蓋です。
こちらは、消火栓のデザインと同じものです。
 (2020.12.06追加)
こちらは角蓋です。
 (2020.12.06追加)

次は制水弁の蓋です。
 (2020.12.06追加)

次は仕切弁の蓋です。
 
 

次は排泥弁の蓋です。
  (2020.12.06追加)
こちらには、町章の代わりに数字「75」、そして「泥吐弁」とあります。


以上で、小川町で撮った上水道関係他の蓋の紹介は終了です。

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埼玉県比企郡小川町のマンホール蓋(その1)下水道関係

2020-12-08 09:34:00 | マンホール蓋

※2020.12.06更新 スリップ防止タイプ、グレーチングタイプなど8枚追加しました。

※2019.02.16更新 小川町七夕まつりイメージキャラクター「星夢(すたむ)ちゃん」をデザインした新しいデザインマンホール蓋の追加、スリップ防止模様の蓋の追加、画像サイズを揃えました。

現在の小川町は、昭和30年2月11日に比企郡小川町、大河村、竹沢村、八和田村の1町3か村を合併し、昭和31年1月1日に寄居町大字西古里と鷹巣の各一部を編入し誕生しました。

埼玉県の中央部よりやや西に位置し、面積は60.36平方キロメートル、人口は3万人を超え世帯数は1.3万弱(平成29年12月31日現在)の人々が居住しています。
緑豊かな外秩父の山々に囲まれ、市街地の中央に槻川が流れる小川町は、歴史を誇る小川和紙や小川絹をはじめ、建具、酒造などの伝統産業で古くから栄えた町です。
また、歴史を秘めて佇む史跡や往時の面影を留める町並みなど、その風情から、いつしか「武蔵の小京都」と呼ばれるようになりました。

町章は、和紙の産地であるので「小」の字を巻紙風に作画し、将来における町勢の力強い飛躍発展を末広がりに表現。「川」は住民の和合・円満あわせて清流を象徴したものです。


町の花は「フクジュソウ」、市の木は「ケヤキ」、市の鳥は「メジロ」です。(以上は、小川町HPより)

私は、小川町と言えば日本五大名飯の「忠七めし」、昭和24年に第1回が開催された「七夕まつり」、そして国の重要無形文化財に指定され、ユネスコの無形文化遺産に登録された「細川紙(埼玉県小川町、東秩父村)」でしょうか。


町の概要はここまでとし、次は小川町の下水処理に係わる情報を整理します。
公共下水道は、汚水と雨水を別々の管で流す分流方式を採用、汚水は埼玉県の市野川流域下水道に接続し、市野川水循環センターで処理後に市野川に放流しています。
また、農業集落排水施設は、主に農業振興地域が対象となり奈良梨・上横田地区 、後伊地区、新川地区 の3地区に設備されています。

それでは、マンホール蓋の整理に移ります。
実際に設置されているカラーのデザインマンホール蓋はないようですが、展示用としては滑川町にある「市野川水環境センター」の門壁にカラーマンホール蓋が埋め込まれています。

蓋のデザインは、中央に町の木「ケヤキ」に町の鳥「メジロ」が2羽とまり、その周りに町の花「フクジュソウ」がデザインされています。
また、川越市で開催された「マンホールサミット2017」でもカラー蓋が展示されました。


以降は、実施に設置されていたノンカラーのデザインマンホール蓋になります。
こちらは、雨水蓋です。

こちらは、汚水蓋です。
  (2020.12.06追加)
こちらは、親子蓋です。
左蓋はΦ900、右蓋はΦ1200の大きさです。
 (2020.12.06追加)

こちらは、上記と同じデザインのハンドホールの汚水蓋です。
 

小川町には、平成19年に小川町七夕まつりイメージキャラクター「星夢(すたむ)ちゃん」が誕生しました。みんなの夢を叶えるため「天の川」から舞い降りてきた短冊のマスコットとの事です。皆様が日頃より想い描いている「夢」や「希望」が、いつの日か叶うよう「星に願いを・・・」込めて命名されました。

詳しくは、こちらをご覧ください。
https://www.zck.or.jp/site/local-mascot/6421.html

そして、「星夢(すたむ)ちゃん」のカラーのデザインマンホール蓋が平成30年の七夕の期間に二カ所、駅前交番前と町役場裏門付近に設置されました。
デザインは、「星夢(すたむ)ちゃん」が、ユネスコの無形文化遺産に登録された「細川紙」を漉いている姿です。

こちらは、ノンカラーのデザイン蓋です。比較するとカラーは良いですね。


以降は、規格模様の蓋です。
こちらは、JIS規格模様の雨水蓋です。
(2020.12.06追加)

次は、スリップ防止模様のマンホール蓋です。
こちらは、上部のマークから日之出水道機器㈱さんの蓋です。
こちらは、雨水蓋です。

こちらは、汚水蓋です。
左蓋は耐荷重量「T-14」、右蓋は「T-25」と書かれています。
 
こちらは親子蓋です。
(2020.12.06追加)
こちらは小型蓋です。

こちらは、上部右のマークから長嶋鋳物㈱の汚水蓋です。
上部左の数字が、左蓋は耐荷重量「14」、右蓋は「25」と書かれています。
 (2020.12.06追加)
こちらは、汚水のハンドホール蓋です。

こちらは、グレーチングタイプの蓋です。
左蓋には、中央に市章、市章の下に「うすい」とあります。左蓋は表記がありませんが、右蓋の近くに設置されていましたので掲載しました。
 (2020.12.06追加)

他にも汚水の小型マンホール蓋がありました。
 
こちらは、プラスティック製の汚水蓋です。
 

小川町には、公共下水道の他に農業集落排水設備が3つの地区に設置されています。
いずれも、中央に大きく町の花「フクジュソウ」、その周りを町の木「ケヤキ」の葉がデザインされています。
地区毎に若干の相違があるので地区毎に見てみます。
一つ目は、新川地区です。

他にも、同様のデザインの親子蓋、ハンドホール蓋、そしてスリップ防止模様の蓋もありました。
 
左蓋の上部右には、長嶋鋳物㈱のマークがあります。
 (2020.12.06追加)
2つ目は、後伊地区です。
 
3つ目は、奈良梨・上横田地区です。

こちらは、他の地区と違い地区名部分に管理数字と思われる数字が書かれています。
管理数字が無い蓋もこちらの地区でありました。

そして、スリップ防止模様の蓋には地区名の部分が「なら・かみ」と書かれています。


以上で、下水道関係のマンホール蓋の整理を終了します。
次回(その2)では、上水道関係他の蓋を整理します。







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埼玉県北葛飾郡松伏町のマンホール蓋

2020-12-07 18:12:52 | マンホール蓋

※2020.12.05更新 真空式下水道システムに係わる蓋、農業集落排水施設に係わる蓋、規格模様蓋、公共基準点の蓋などかなり多くの蓋を追加しました。

松伏町の経緯は、昭和28年に町村合併促進法が公布されたことに伴い、昭和30年4月20日に北葛飾郡松伏領村と中葛飾郡金杉村が合併して松伏領村となります。翌31年4月15日に松伏村と改称します。その後、昭和44年4月1日に町制を施行して松伏町となり、現在に至っています。

松伏町は、埼玉県の東南部、北葛飾郡のやや南に位置し、都心から30km内の首都圏近郊整備地帯に属しています。面積は16.20平方キロメートルで、東西が4.0キロメートル、南北が7.5キロメートルと南北に長い形をなす地形となっています。

東は江戸川を隔てて千葉県野田市、南は吉川市、西は大落古利根川を境に越谷市、また、北は春日部市に接しています。 人口は、令和2年7月1日時点で2.9万人強、世帯数は1.2万世帯強となっています。

町章は、松伏町の「松」を図案化したもので、円形は町の団結と融和を意味し、鋭い松葉の先は限りない松伏町の発展を示しています。(昭和44年4月1日制定)

町の花は「キク」、町の木は「マツ」です。(以上は、松伏町HPより)

前置きはここまでとします。
マンホール蓋の整理に入る前に、簡単に公共下水道の処理方式について見てみます。
松伏町の公共下水道は、雨水と汚水を別々の管で流す分流方式を採用しているようです。汚水は、埼玉県の中川流域下水道に接続し、三郷市にある中川水循環センターで最終処理され中川に放流されます。
また、大字魚沼地区の一部で「農業集落排水処理施設」を整備し、供用を開始しているようです。

それでは、マンホール蓋の整理です。
松伏町では、1種類だけデザインマンホール蓋を見付ける事が出来ました。
枝ぶりの良い町の木「マツ」が4本バランスよく配置されているデザインです。
こちらは、マンホールサミット2017(会場:埼玉県川越市)で展示されていたカラー蓋です。

実設置蓋は、全てノンカラー蓋のようです。
こちらは雨水蓋です。
 
こちらは汚水蓋です。
 
  
こちらは親子蓋です。

こちらは小型蓋です。


内前野地区14.9haは狭あいな道路が多いことから、建設費の低減・施工期間の短縮・建築物への影響の低減、地下埋設物への影響の低減のため、「真空式下水道システム」を採用しています。これは、真空弁ユニットが設置されたマンホールに一時的に貯留した汚水を、真空ステーションのポンプで発生させた負圧により、強制的に吸い込んで収集する仕組みです。(松伏町HPより)
との説明があります。

こちらの蓋には、「おすい」「真空弁」とあります。
こちらの蓋は、内前野地区で撮っているので「真空式下水道システム」に係わる蓋と思われます。
  
こちらの小型蓋には、「おすい」「区間弁」と書かれています。

こちらの小型蓋には、「おすい」「点検口」と書かれています。

上記二つの小型蓋は、真空弁蓋とセットのように設置されている場所が何カ所もありました。
こちらは、内前野真空ステーションの全景です。


以下は、規格模様と呼ばれているマンホール蓋です。
こちらは、JIS規格模様の蓋です。
こちらの蓋には用途記載がありません。
  

こちらは、毘沙門亀甲模様の蓋です。
こちらの蓋にも用途記載がありません。

以降は、小型マンホール蓋です。
こちらは、亀甲模様の汚水蓋です。

こちらは、他自治体でも見る模様です。
こちらも汚水蓋です。
  
こちらは、コンクリート製の宅内汚水枡の蓋と思われます。

こちらは、プラスティック製の宅内汚水枡の蓋と思われます。
 

こちらの蓋には「松伏町」と書かれていますが、他に記載がないので用途が判りません。

次は、魚沼堤内地区に設備されている農業集落排水処理施設に係わる蓋です。
こちらは、魚沼堤内地区にある「関クリーンセンター」です。
 
農業集落排水施設関係の蓋のデザインは、前出のデザイン蓋と同様ですが、いずれも「農集」と書かれています。
   
こちらは親子蓋です。

こちらは小型蓋です。

次は、上水道関係他の蓋を整理します。
松伏町の上水道関係は「越谷・松伏水道企業団」が事業経営しているため、松伏町としての上水道関係の蓋は設置されていません。
「越谷・松伏水道企業団」の蓋は、「越谷・松伏水道企業団」として整理しておりますので、そちらをご覧ください。

こちらは、防火貯水槽の蓋です。
 

最後は、公共基準点の蓋です。
 

以上で、北葛飾郡松伏町のマンホール蓋の整理は終了です。

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茨城県猿島郡五霞町のマンホール蓋

2020-12-06 16:46:15 | マンホール蓋

五霞町の経緯は、明治22年町村制の実施により小手指、新幸谷、小福田、大福田、山王、江川、幸主、冬木、元栗橋、川妻、山王山の11村が合併し、西葛飾郡五霞村が誕生します。明治29年これまでの郡が廃止され、新たに猿島郡が置かれ、五霞村は猿島郡に所属します。令和元年には、五霞誕生130周年となりました。

五霞町は、関東平野のほぼ中央、茨城県の西南端に位置し、首都圏から約50キロメートル圏内にあります。東は江戸川を隔てて千葉県に、南西は、権現堂川および中川を隔てて埼玉県に、また北東部を流れる利根川をはさんで古河市・境町に接し、四方を河川に囲まれています。
総面積23.11平方キロメートル、令和2年11月1日現在で、人口は8.4千人強、世帯数は3.3千強です。

町章は、ひらがなの「ごか」をデザインしたもので、全体で霞たなびく五霞町に朝日が昇る様を表しており、限りない発展と向上を意味しているそうです。(昭和39年制定)
町章

町の花は「バラ」、町の木は「ウメ」、町の鳥は「ヒバリ」です。(以上は、五霞町HPより)

町の概要はここまでとし、次は五霞町の下水処理に係わる情報を整理します。
公共下水道は、市街化区域と市街化調整区域の一部の各家庭からの生活排水などを五霞町環境浄化センターで処理しています。
また、農業集落排水施設は、主に農業振興地域が対象となり大福田地区、東部地区、北部地区、南部地区の4地区に設備されています。

最初は、公共下水道関係の蓋です。
五霞町にある圏央道・五霞IC.が平成27年3月の共用開始に合わせ、平成26年より五霞インターチェンジ周辺地区土地区画整理事業が計画・推進されています。
その地区の道路上(五霞東小学校の前を通る県道268号から圏央道をくぐり国道4号線に向かう道路)でデザインマンホール蓋を見つけました。

デザインは、五霞町のイメージキャラクターの水の妖精「ごかりん」です。
頭の上の大きな赤い花は町の花「バラ」、水色のからだは町を流れる江戸川(利根川)を表しています。両手を広げて羽ばたくようにするのが得意ポーズなのですが、これは町の鳥「ヒバリ」を表現しているのだとか。毎年11月上旬に開催される「五霞ふれあい祭り」で楽しそうにしている様子を見て、女の子から「ごかりん」と呼ばれたのが名前の由来です。(全国町村会HPより)

なお、カラー蓋は制作していないようなので、イメージアップの為に「ごかりん」に登場してもらいました。
 
こちらのエリアは、農業集落排水地区に該当するようで、「集排」と書かれた同様のデザイン蓋もありました。こちらの蓋は、後出の農業集落排水施設に係わる蓋で整理します。

以降は、規格模様の蓋です。
こちらは、JIS規格模様の汚水蓋です。
 
 

こちらは、毘沙門亀甲模様の蓋です。
こちらは雨水蓋です。
 
こちらは汚水蓋です。
   

こちらは、プラスティック製の宅内汚水枡の蓋と思われます。
農業集落排水地区にも同様の蓋が設置されていましたので区分けはないようです。
 

次は、農業集落排水施設関係の蓋です。
こちらは、五霞町のイメージキャラクターの水の妖精「ごかりん」のデザイン蓋です。

こちらは、JIS規格模様の蓋です。

こちらは親子蓋です。
 

次は、五霞町環境浄化センター内で見かけた蓋です。

いずれも、「HOKUSEI」の文字が書かれていますので、製造は北勢工業㈱でしょうか。
小型サイズの蓋です。
 
マンホールサイズの蓋です。

以降では、上水道関係他の蓋を整理します。
最初は、消火栓の蓋です。
こちらの二つの蓋、デザインは同じですが地の点の位置が違うようです。
 
 

こちらは仕切弁の蓋です。
 

こちらは制水弁の蓋です。
  

こちらは空気弁の蓋です。
  

こちらは排泥弁の蓋です。

こちらは不断弁の蓋です。

こちらは、川妻・小手指地区で見つけた蓋です。
蓋に「五土改」とありますので、五霞土地改良区の農業用水に係わる蓋でしょうか。
 

以上で、猿島郡五霞町のマンホール蓋の整理を終了します。

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