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気ままに出かけて 写真に残る植物や風景etcを 備忘録として足跡に残しています。

千葉県富里市のマンホール蓋(その1)公共下水道関係

2024-07-17 18:36:17 | マンホール蓋

※2024.07.17登録 新たに掲載しました。

富里市の経緯は、明治22年に日吉倉、久能、大和、根木名、七栄、新橋、中沢、新中沢、立沢、立沢新田、高野、高松、十倉が合併して「村」を形成することになり、その名を「十三の里」(里はむらの意味)ということから、「富里村」が誕生します。昭和60年4月1日に町制施行により富里町となります。そして、平成14年4月1日に市政施行により富里市となり、現在に至っています。

富里市は、東京都心から50~60キロメートル圏、千葉県の北総台地のほぼ中央、成田国際空港から西に約4キロメートルに位置し、面積53.88平方キロメ-トル、人口は令和6年5月末日時点で4.9万人強、世帯数は2.5万世帯強です。
東は芝山町、西は酒々井町、南は八街市、山武市、北は成田市に接しています。

市章は、富里の「と」、勝利の「Vサイン」の交錯によって、躍動と発展を表わし、周囲の丸は融和と郷土愛を象徴したものです。(昭和44年4月1日に村章として制定したものを市章としています。)

市の花は「サルビア」、市の木は「ヤマザクラ」です。(以上は、富里市HPより)

市の概要はここまでにし、マンホール蓋の整理に移ります。
富里市は、雨水と汚水を別々に処理する分流方式が採用されているようです。
汚水は、千葉県が管理する印旛沼流域下水道に接続して、千葉市にある花見川終末処理場へ流されます。花見川終末処理場で処理された水は、東京湾へ放流されます。

それでは、マンホール蓋の整理に移ります。
最初は、デザインカラーマンホール蓋です。
富里市のある下総地方は、古く平安時代ごろから馬が放牧され、江戸時代には幕府直轄の牧となって「牧士」という特殊な身分も生まれようです。その後は近代牧畜の先駆けとなり、競走馬育成が盛んになりました。そんな歴史ある馬産地とあって、今も牧場や乗馬クラブが多くあるようです。
そのような歴史から、中央に親子二頭の馬と、背景には満開の市の木「ヤマザクラ」がデザインされています。
市立七栄小学校に向かう歩道に3枚設置されていますが、設置からの経年経過による色落ちが目立ちました。
 
こちらは、富里市の水道事務所内に展示されている蓋です。

以降は、ノンカラーの蓋です。
こちらは雨水蓋です。
 
 

こちらは小型蓋です。

こちらは汚水蓋です。
 
 

こちらは親子蓋です。
右蓋はΦ1200サイズです。
 
こちらは小型蓋です。

以降は、規格模様の蓋です。
最初は、JIS規格模様の蓋です。
こちらは用途記載がありません。

こちらは雨水蓋です。
中央に市章、その下に「雨」の表記です。
 
こちらは、上部に「LD」の表記があります。

こちらは「雨水」表記です。
 
こちらはΦ800サイズの蓋です。

こちらは汚水蓋です。
中央に市章、その下に「汚」の表記です。

こちらは上部に、左蓋は「L」、右蓋は「LD」の表記があります。
 
こちらは「汚水」表記です。
 

こちらは「おすい」の表記です。

こちらは、亀甲模様の蓋です。

こちらは、スリップ防止タイプの雨水蓋です。
左下に「25 とみさと」、右下に「うすい」の表記があります。

以降は、小型マンホール蓋や枡蓋です。
こちらは、亀甲模様の蓋です。
いずれも汚水蓋です。
 

こちらは、カタカナの「エ」を組み合わせたような模様です。
こちらは汚水蓋です。

こちらは、FRP(Fiber Reinforced Plastics)製の蓋かも知れません。
こちらも汚水蓋です。

こちらは、プラスティック製の蓋です。
こちらも汚水蓋です。

最後は、公共下水道関係の蓋ではありませんが、富里市の日吉台地区に整備されている真空ゴミ輸送施設に係わるマンホール蓋です。
地区内(3,950戸)に設置されているゴミポスト(68台)に決められたルールでゴミを投入、貯留したゴミは所定の時間になると管路内を圧送されゴミ収集センターに運ばれます。運ばれたゴミは、市のゴミ収集車でクリーンセンターに運ばれ焼却処理されるようです。
こちらの施設は、昭和53年10月の稼働からしているようです。
こちらは、上部に「ゴミ真空管」、下部に「点検口」の表記があります。また、右の写真はゴミポストです。
  
こちらは、上部に「ゴミ真空管」、下部に「カットバルブ(逆止弁)」の表記があります。

以上で、(その1)公共下水道関係の整理は終了です。

 

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神奈川県綾瀬市のマンホール蓋

2024-07-14 18:03:15 | マンホール蓋

※2024.07.14登録 新たに掲載しました。

綾瀬市の経緯は、明治22年に市制・町村制が施行され、8か村が合併し綾瀬村が誕生しました。その後、昭和20年4月1日に軍施設設置による人口増を背景に町制が施行され綾瀬町となりました。
昭和40年以降、工場の進出や宅地造成により人口が著しく増加し、昭和53年11月1日に市制が施行され綾瀬市が誕生しました。平成元年4月には「綾瀬」誕生100年となりました。

綾瀬市は、神奈川県のほぼ中央、都心から約40キロメートルに位置し、東西4.2キロメートル、南北7.6キロメートルと南北に長く、面積は22.14平方キロメートルです。西に大山・丹沢連峰を望み、遠く富士の秀峰を仰ぐことができます。
南に藤沢市、西に海老名市、北に座間市、北・西に大和市と接し、人口は令和6年7月1日現在時点で8.2万人強、世帯数は3.5万世帯強です。

市章は、 かな文字で「ア」・「ヤ」の構成により空間「S」を作る。「S」は瀬の頭文字に通ずる。綾瀬の向上発展性を印象づけて日の出と雲を象徴したものです。( 昭和27年1月1日制定)

市の花は「バラ」、市の木は「ヤマモミジ」、市の鳥は「カワセミ」です。(以上は、綾瀬市HPより)

綾瀬市の公共下水道は、雨水と汚水を別々に処理する分流方式が採用されているようです。
公共下水道事業は東部処理区と相模川流域関連処理区の2処理区に分けられます。 東部処理区は昭和52年度、相模川流域関連処理区は昭和49年度に事業を着手し、事業着手から40年以上経過しています。 
東部処理区は、市内の綾瀬市浄水管理センターで終末処理され蓼川に排出されるようです。一方、相模川流域関連処理区は、神奈川県の相模川流域下水道に接続し茅ヶ崎市内にある左岸処理場となる柳島水再生センターで終末処理され相模湾に排出されます。

前置きはここまでとし、マンホール蓋の整理に入ります。
最初は、令和6年3月に市役所前交差点北東側歩道に設置された2つのカラーデザインマンホール蓋です。
こちらは、「ばらとのつながりで輝くまちあやせ」の取り組みとして、市の花である「ばら」をデザインした汚水マンホール蓋です。
 
こちらは、綾瀬市をホームタウンとし、地域活性化に向け相互協力を行っている「B-Max Racing Team」のレーシングカーをデザインした汚水マンホール蓋です。
 

こちらは、以前から設置されているデザイン蓋です。
蓋の全面に市の木「ヤマモミジ」をデザインした雨水蓋です。
こちらは、茶、緑、赤、水色系統の4色でカラーコーティングされています。
 
 

蓋の全面に市の花「バラ」をデザインした汚水蓋です。
上記同様、茶、緑、赤、水色系統の4色でカラーコーティングされています。
 
 

こちらは、ノンカラー蓋です。
こちらは雨水蓋です。

こちらは枠に模様があります。

こちらは親子蓋です。

こちらは汚水蓋です。

こちらは枠に模様があります。

こちらは親子蓋です。
 
こちらはΦ1200さいずのふた

こちらは小型蓋です。
 

以降は、規格模様と呼ばれているマンホール蓋です。
最初は、JIS規格模様の蓋です。
こちらは用途記載がありません。

こちらは枠に模様があります。

こちらは雨水蓋です。
中央に市章、その周りに円、その下は「雨」の表記です。

こちらは枠に模様があります。
中央に市章、その下は「雨水」の表記です。

こちらは汚水蓋です。
中央に市章、その周りに円、その下は「汚」の表記です。

中央に市章、その下は「汚水」の表記です。

こちらは枠に模様があります。
中央に市章、その下は「汚水」の表記です。
 

こちらの幾何学的な模様は初めて見ました。
雨水蓋でしょうか。

こちらはグレーチング(格子)タイプの蓋です。

こちらはスリップ防止型の蓋です。
左下に「おすい」の表記があります。

こちらは小型マンホール蓋や枡蓋です。
こちらは、亀甲模様の蓋です。
こちらは耐圧タイプですが用途記載がありません。

こちらは雨水蓋です。

こちらは汚水蓋です。
中央に市章、市章の中に「汚」の表記があります。

こちらは、プラスティック製の蓋です。
こちらは雨水蓋です。
こちらは「うすい」

こちらは「雨水」表記です。
 

こちらは汚水蓋です。
こちらは「汚水」表記です。

こちらは、中央の市章の中に「管」、その下に「おすい」の表記です。

こちらは、コンクリート製の蓋です。
中央に市章、市章の中に「汚」の表記があります。
 

こちらは、他の自治体でも見かける模様の蓋です。
こちらは雨水蓋です。
「うすい」表記です。

こちらは汚水蓋です。
「おすい」表記です。
 
「汚水」表記です。

こちらは、側溝の枡蓋や側溝蓋です。
こちらは、市の木「ヤマモミジ」がデザインされた側溝蓋です。
右は、側溝の全体を撮した写真です。
 
こちらは、中央に市章が表記された側溝蓋です。

こちらは、側溝の枡蓋です。
中央に市章が表記されています。

こちらはコンクリート製です。
中央にコンクリートでかたどられた市章が見えます。

以降では、上水道関係他の蓋を整理します。
現在、綾瀬市の上水は県営水道より供給されています。
いつから県営水道による供給が開始されたのか確認していませんが、これまで綾瀬市を散策した限りでは綾瀬市を識別できる上水道関係の蓋を見つける事が出来ませんでした。

こちらは、防火貯水槽の蓋です。
 

こちらの蓋には、「綾瀬町消防本部」と表記されています。
昭和53年に綾瀬市が誕生しましたので、それ以前に設置された蓋と言うことになります。

こちらは、防火貯水槽の蓋です。
「耐震性貯水槽」の表記があります。
綾瀬市消防本部の建物の前の広いスペースに設置されています。
 

こちらは、光綾公園の入口で撮った給水栓と空気弁の蓋です。
公園内に耐震性貯水槽が設置されているようなので、それに係わる蓋なのかも知れません。
左が給水栓、右が空気弁の蓋です。
 

こちらは、蓋の形状から電線共同溝(CCBOX)の蓋と思われます。
 

最後は、基準点の蓋です。
いずれも、「3級」の表記があります。
 

以上で、神奈川県綾瀬市のマンホール蓋の整理は終了です。

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千葉県成田市のマンホール蓋(その2)旧成田市

2024-07-10 23:05:34 | マンホール蓋
※2024.07.10登録 新たに掲載しました。
 
旧成田市の経緯は、昭和29年3月31日、町村合併促進法によって成田町、公津村、八生村、中郷村、久住村、豊住村、遠山村の1町6か村が合併して旧成田市が誕生します。その後、平成18年3月27日、香取郡下総町、同郡大栄町の2町と合併し新しい成田市となり、旧成田市は消滅しました。

市章は、中央の輪に、周囲の6つの輪が重なる当時の成田市の市章。1町6カ村の大同団結を意味しています。(昭和29年5月7日制定)

市の花は「アジサイ」、市の木は「ウメ」です。(以上は、成田市HPより)
 
市の概要はここまでにし、マンホール蓋の整理に移ります。
旧成田市の公共下水道は、雨水と汚水を別々に処理する分流方式が採用されているようです。
汚水は、千葉県が管理する印旛沼流域下水道に接続して、千葉市にある花見川終末処理場へ流されます。花見川終末処理場で処理された水は、東京湾へ放流されます。

それでは、マンホール蓋の整理に移ります。
最初は、デザインカラーマンホール蓋です。
中央に市章、その周囲に市の木「ウメ」がデザインされ、 外周に「祝成田市役所新庁舎落成」、「昭和六十三年十月吉日」と表記されています。
こちらは、JR成田駅東口付近の歩道に設置されています。

こちらは、成田市役所敷地内の車道に設置されています。
一見すると地色が違って見えますが、色落ちや色褪せによる違いかも知れませんので、確認が必要です。


もう1種類のカラーデザイン蓋です。
中央に旧市章、その周囲に市の花「アジサイ」、その周りを市の木「ウメ」で取り囲むデザインです。
こちらは汚水蓋です。
イオンモール成田店周辺の歩道に設置されています。

こちらはノンカラー蓋です。
雨水蓋です。

こちらは汚水蓋です。
写真では見づらいのですが、右蓋は白色でコーティングされています。
 
こちらは親子蓋です。

こちらは小型蓋です。
 
こちらは枡蓋でしょうか。


以降は、規格模様の蓋です。
こちらは、JIS規格模様の蓋です。
こちらは雨水蓋です。
右蓋は上部に「LD」の表記があります。
 
 
こちらは汚水蓋です。
 
 
こちらの蓋は、根木名川中継ポンプ場の入口近くに設置されていました。

こちらは枠に模様があります。
こちらの蓋には、上部に「MD」の表記があります。
 
こちらは、亀甲模様の蓋です。
こちらは雨水蓋です。
根木名川中継ポンプ場の入口近くに設置されていました。

こちらは親子蓋です。
Φ1200サイズの雨水蓋です。

こちらは小型マンホール蓋です。
 
 
こちらは、スリップ防止模様の蓋です。
こちらは雨水蓋です。
 
こちらは汚水蓋です。
 
こちらは、用途記載が無い小型マンホール蓋です。

こちらは、枡紋を組み合わせたような模様の蓋です。
こちらは汚水蓋です。

こちらは小型蓋です。
 
こちらの蓋は、用途記載がありません。
 
以降は、小型マンホール蓋や枡蓋です。
こちらは、他の自治体でも見かける規格模様の蓋です。
いずれも汚水蓋です。
 
 
こちらは、FRP(Fiber Reinforced Plastic:繊維強化プラスティック)製の蓋かも知れません。
 
 
こちらは、プラスティック製の蓋です。


以降は、上水道関係他の蓋を整理します。
最初は、消火栓と防火貯水槽の蓋です。
こちらは、消火栓の蓋です。
こちらは、成田市の「成」の文字が表記されています。
 
こちらは、少し古そうな角蓋です。
こちらは、市章が表記されています。

こちらは、市章と「成田市」の表記があります。
 
こちらは、「水」と「成田市」の表記があります。
 
こちらは、防火貯水槽の蓋です。
こちらは、中央に市章が表記されています。
 
こちらは、成田市の「成」の文字が表記されています。
 
以降は、上水道関係の蓋です。
市を表す表記部が、市章の蓋と「成」の文字の蓋とに分かれますが、何かの基準があるのでしょうか?
最初は、仕切弁の蓋です。
 
 
こちらは、制水弁の蓋です。
 
 
こちらは、空気弁の蓋です。
 
 
こちらは、排水弁の蓋です。
 
こちらの蓋は、「排水施設」の表記があります。
 
こちらは、排泥弁の蓋です。
 
 
こちらは、減圧弁の蓋です。
 
以上で、(その2)旧成田市の整理は終了です。
次は、(その3)で旧下総町のマンホール蓋を整理します。
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千葉県成田市のマンホール蓋(その1)成田市

2024-07-05 22:32:51 | マンホール蓋
※2024.07.05登録 新たに掲載しました。
成田市の経緯は、昭和29年3月31日、町村合併促進法によって成田町、公津村、八生村、中郷村、久住村、豊住村、遠山村の1町6か村が合併して成田市が誕生します。その後、平成18年3月27日、香取郡下総町、同郡大栄町の2町と合併し新しい成田市となり、現在に至っています。

成田市は、東京都心から東に約50キロメートル、千葉県北部中央の北総台地に位置し、面積213.84平方キロメ-トル、人口は令和6年5月末日時点で13.3万人強、世帯数は6.7万世帯強です。
北は神崎町、利根川を隔てて茨城県と接し、西は栄町、印旛沼を隔てて印西市、南は酒々井町、富里市、芝山町、東は多古町、香取市と接しています。

市章は、成田市の頭文字「N」を人の姿に重ね合わせたイメージをデザインし、四肢の伸びは躍動感と疾走感、中央の赤は成田市民の熱い情熱、「NARITA」は日本と世界との交流拠点としての国際空港都市を表し、成田市の明るい未来への飛躍とさらなる繁栄への願いが込められています。(平成18年4月29日制定)
こちらは、成田市のシンボルマークです。
歴史的な門前町の門の字と成田の頭文字nを背景にして、本市の基本理念“自然ふるさと、健康からだ、愛情こころ”あふれる未来の姿と成田空港へさまざまな国から飛来するイメージを三つの翼で表し、門前町の“静”と空港都市の“動”を象徴化したものです。(平成6年4月1日制定)

市の花は「アジサイ」、市の木は「ウメ」です。(以上は、成田市HPより)
 
市の概要はここまでにし、マンホール蓋の整理に移ります。
成田市の公共下水道は、雨水と汚水を別々に処理する分流方式が採用されているようです。
汚水は、千葉県が管理する印旛沼流域下水道に接続して、千葉市にある花見川終末処理場へ流されます。花見川終末処理場で処理された水は、東京湾へ放流されます。

また、農業集落排水施設は、旧下総町の名古屋地区、成井・地蔵原新田地区と旧大栄町の新田地区、横山・馬乗里地区、堀籠地区、奈土・津富浦地区の6地区に整備されています。
なお、農業集落排水施設に係わるマンホール蓋は(その3)旧下総町と(その4)旧大栄町の中で整理します。
 
それでは、マンホール蓋の整理に移ります。
最初は、デザインマンホール蓋です。
旧成田市のデザイン(内円に市の花「アジサイ」、その周りを市の木「ウメ」で取り囲む)を踏襲し、中央に旧市章に替り新市章が表記されています。
こちらは雨水蓋です。
 
 
こちらは汚水蓋です。
 
こちらは親子蓋です。

こちらは小型マンホール蓋や枡蓋です。
 
 
以降は、規格模様の蓋です。
こちらは、スリップ防止模様の蓋です。
最初は、日之出水道器機(株)さんの蓋です。
上部に会社のログマーク、左下に耐荷重量記号「T-25」、右下に用途が表記されています。
左が雨水蓋、右が汚水蓋です。
 
こちらは親子の汚水蓋です。

こちらは小型蓋です。
 
こちらは、虹技(株)さんの蓋です。
上部に会社のログマーク、左下に耐荷重量記号「T-25」、右下に用途が表記されています。
左が雨水蓋、右が汚水蓋です。
 
 
こちらは、日本鋳鉄管(株)さんの蓋です。
上部に会社のログマーク、左下に耐荷重量記号「T-25」、右下に用途が表記されています。
こちらは汚水蓋です。
 
こちらは、プラスティック製の枡蓋と思われます。
いずれも汚水蓋です。
 
 
以降は、成田市の上水道関係の蓋です。
成田市内では、地区により水道水を供給している水道事業体が異なります。
成田市営上水道は成田・公津・八生・中郷・久住・豊住・遠山地区へ給水、成田市営簡易水道は下総地区・大栄地区へ給水、千葉県営水道はニュータウン地区(玉造、中台、吾妻、赤坂、橋賀台、加良部地区)・成田国際空港へ給水、神崎町水道は下総地区の小浮、野馬込地区へ給水となっているようです。
 
私が散策した地域は、成田市営上水道の給水地区でしたので成田市営上水道の管轄のようです。
ただ、見つけた上水道関係の蓋は旧成田市の章や表記の蓋ばかりでしたので、こちらの蓋は(その2)旧成田市の蓋で整理することにします。
 
唯一、新章で見つける事が出来たのは消火栓と防火貯水槽の蓋です。
こちらは、消火栓の蓋です。
 
こちらは、防火貯水槽の蓋です。

こちらは、上記同様のデザインですが左下の表記が「耐震性貯水槽」となっています。
 
最後は、電線共同溝の蓋です。
JR成田駅と京成成田駅周辺で見かけました。
成田市、NCTV(成田ケーブルテレビ)、NTT、Usenの4事業体の共同溝のようです。中央には成田市シンボルマークが表記されています。
左が共同溝の蓋、中が中央の表記を拡大、右は中央の成田市シンボルマークを拡大したものです。
  
こちらは角蓋です。
角蓋は、サイズ違いも幾つかありました。
 
以上で、(その1)成田市のマンホール蓋の整理は終了です。
(その2)では、旧成田市の蓋を整理します。
 
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千葉県印西市のマンホール蓋(その3)旧印旛村

2024-07-02 21:08:29 | マンホール蓋

※2024.07.02登録 新たに掲載しました。

印旛村の経緯は、昭和30年に六合村と宗像村が合併し印旛村が誕生します。その後、平成22年3月23日に印西市、印旛村、本埜村が合併し新しい印西市となり、印旛村は消滅します。

印旛村は、千葉県北部、北総台地のほぼ中央に広がる印旛沼の北西側に位置しています。地形は東西に長く、南北に短い蝶が羽を広げたような形をしています。東京都心から40キロメートル圏内、県庁所在地の千葉市へは約25キロメートルです。
東は印旛沼をへだてて成田市と、南は印旛沼を境として酒々井町、佐倉市と、西は印西市、八千代市と、北は本埜村と接しています。17年度国勢調査では人口1.2千人強、世帯数は3.7千強でした。

村章は、村名の頭文字“印”を小円でかたどり、大きな円は全村の和合、その中に“バ”と進歩を示す鋭角の突起を組み込んでいる。(昭和40年4月30日制定)

村の花は「ヤマユリ」、村の鳥は「ダイオウマツ」、村の鳥は「カイツブリ」、村の魚は「ナマズ」です。
                                                     (印西市HPより)

それでは、マンホール蓋の整理に移ります。
最初は、デザインマンホール蓋です。
下部に村章、蓋の全面に「西印旛沼」と「北印旛沼」を結ぶ「印旛捷水路(いんばぬま しょうすいろ)」の風景が描かれています。
こちらは雨水蓋です。
右下に「あめ」の表記があります。
 

こちらは汚水蓋です。
 

こちらは親子蓋です。
右蓋はΦ1200サイズの蓋です。萩原公園入口付近の歩道に設置されています。
 

こちらは、小型のデザイン蓋です。
上記と同じ印旛沼捷水路の風景ですが、こちらは村の鳥 「カイツブリ」、村の花「ヤマユリ」、村の魚「ナマズ」、村の木「大王松」をメインに描かれています。
印旛日本医大駅近く印西市立印旛医科器機歴史資料館前の歩道に設置されていました。

以降は、規格模様の蓋です。
最初は、JIS規格模様の蓋です。
用途記載はありませんが、雨水蓋と思われます。

こちらは、亀甲模様の蓋です。
汚水の親子蓋です。

こちらは、「下水空気弁」の表記があるΦ800サイズの蓋です。
雨上がりの翌日に散策しましたので、泥が蓋に被りみずらい写真となりました。

以降は、小型マンホール蓋です。
こちらは、スリップ防止型の蓋です。

こちらは、プラスティック製の蓋です。
こちらは雨水蓋(下部に「あめ」表記)です。

こちらは汚水蓋(下部に「おすい」表記)です。

旧印旛村での水道事業の状況は把握できませんでしたが、水道に係わると思われる蓋を幾つか見かけましたので整理します。
こちらは、空気弁の蓋です。

こちらは、バタフライ弁の蓋です。

最後は、防火貯水槽の蓋です。

以上で、(その3)旧印旛村のマンホール蓋の整理は終了です。

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