大和村の経緯は、昭和16年2月11日初鹿野村、鶴瀬村、東八代郡日影村、田野村、木賊村が合併して発足しました。
その後、平成17年11月1塩山市、東山梨郡勝沼町、東山梨郡大和村が合併し甲州市が誕生した事により、大和村は消滅しました。
大和村には、甲斐の国主武田家終えんの地として知られる日川渓谷が流れ、村内には天目山栖雲寺や武田勝頼公の菩提寺「景徳院」など史跡や文化財が多くあります。
また、自然も豊で、竜門峡、南大菩薩連峰などのハイキングコース、有数な高アルカリ性温泉「やまと天目山温泉」もあり、そば切り発祥の地としても知られます。
村章は、大和村の「大和」と不撓の意味を図案化しているようです。(昭和44年12月20日制定)
前置きはここまでとし、マンホール蓋の整理に移ります。
最初は、デザインマンホール蓋です。
中央に村章、その周りを甲斐武田家の家紋「花菱」と桜、 その周囲に「武田菱」と「YAMATO」の文字があります。
旧大和村は、旧甲州街道を歩いた時にこちらのマンホール蓋を撮りましたが、マンホール蓋での訪問はこれまで一度もありません。機会があって再訪出来たら、もう少し色々な種類の蓋を撮れるのではないかと期待しています。
以上で、その4.旧大和村のマンホール蓋の整理は終了です。