玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

鉄管ビール

2009年05月06日 | 日々思うことなど
玄倉川の中の人は言行不一致なのではなくて - 地を這う難破船

sk-44さんこんにちは。

原則として、私に言及(批判)してくださる記事であってもトラックバックを送ってこないものは「読ませたくないんだな」と判断して読まない・読んでも反応しないことにしています。ですが、難解で長々とした悪文(いつも誹謗中傷してすみません)のsk-44さんがどのように私を見ておられるのか気になってつい読んでしまいました。

…誰のことだろうこれは、と思いました。
正直言って半分ほどしか意味がわかりません。たぶん私の頭が悪いせいです。sk-44さんの文章自体は、以前読ませていただいたときよりずいぶん読みやすくなっていると感じました。
私は吉本隆明を読んだことはありません。直接的な影響を受けていないのは確かですが、私にとって吉本隆明が論外なのかどうかは見当もつきません。十代のころに読んで強い影響を受けたのは岸田秀です。「すべては幻想である」式のいきがりをずいぶんやりました。そのうちにむなしくなってやめました。

idiotape氏については、単に虫が好かなかっただけです。
彼の文章を読んだとき「カッコ付け野郎め」と罵倒したい気持ちと「普通にしていてもカッコ付けと見られてしまう人は気の毒だ」という思いがないまぜになって頭に血が上りました。いまでも嫌いなのでどこかで暮らしているはずの彼にエールを送るつもりはありません。呪詛として「せいぜい幸せになりやがれ」(奥さんと子供のために)と言います。
hashigotanが今どうしているのか私は知りません。できれば幸せでいてほしいと思います。呪詛は無しです。

私が「特定の左翼的な言説に対して批判的」と見られるのはよくわかりません。自分が嫌だ、おかしい、何か言わなければいけない(そして自分には「何か」言うことができる)と感じたときには左右も上下も関係なく批判しているつもりです。この「つもり」が嘘臭くて気に入らない人もいるようですが気にしません。ええ、気にしませんとも。

「過度に倫理的な人」という見立ては半分当たっています。正しくは「倫理的であるべきだという強迫観念にとらわれている」でしょうか。ある種の反動ですが、説明しません。なにしろわずらわしいので(楽しい話でもないし)。
あくまでも強迫観念なので、シンボルにこだわります。倫理的な大原則を確認できれば、実際の行いはある程度ルーズでかまわない。シンボルにこだわって失敗したのがhagakurekakugoさんとの間に起きたトラブルだと思っています。

sk-44さんの文章を読んで、なんだか救われたような   …と言うと大げさですが「風呂上りに一杯の水を飲んだような」気持ちがしました。あくまでも水であってビールやジュースではありません。苦味も甘みもアルコールもないところがとてもありがたい。sk-44さんのまねをしてカッコいい言い方をすれば「抑制された自意識、投影の排除」です。自分でも何言ってるかわかりません。
恩義を感じたのでこれからはsk-44さんの文章に対する「誹謗中傷」は自粛します。文章の内容については理解できた範囲で賛成したり批判したりさせてもらいます。ありがとうございました。

追伸 ・ 最後に私の文章がどうとか書いてあるのは蛇足です。嫌味でツヤ消しなので削除することをお勧めします。

MAXコーヒーの悲しみ

2009年05月06日 | 日々思うことなど
前の記事は変に思いつめすぎて読み返すとわれながら気持ち悪いので、今度はできるだけ気軽に書く(私にとっては決して気軽な問題じゃないけれど)。
私がhagakurekakugoさんに向けて書いた最初の記事は、「批判」や「見下し」ではなくいくつかの倫理的な問題を指摘して「それでいいんですか」と確認することを意図していた。本来の真意を箇条書きにすると、

・ 「死者への敬意」は結構だが、生きている人間のほうが大事ではないのか
・ 酷使様もネトウヨもサヨクも極左も、日本人も外国人も、男も女もトランスジェンダーも「人間」である
・ 「同じ人類と認めたくない」という言葉はカジュアルな人間性否定そのものであり、まさに酷使・ネトウヨ・反人権論者の鏡写し
・ hagakurekakugoさんは(そして彼の記事を支持した人たちは)本当にそれでいいのか?

私としては、hagakurekakugoさんは自分の言うことを理解してくれるだろう、簡単に同意は得られなくても「あなたの意見について考えてみる」といった返事をしてくれるだろう、と期待していた。今にして思えば、MAXコーヒーよりも甘かった。
「あなたの意見は間違っている、受け入れられない」と拒絶するのであればそれはそれでいい。「これでいいんだ、これが自分の信じる正義だ」と明らかにしてくれるならなおいい。だが、「玄倉川という人間はそもそも~」と私の過去の言動を持ち出して反論されると困る。いや、批判されるのはかまわないが、私がhagakurekakugoさんにたずねた事について答えをもらえないまま「そんなことを言うあなただって~」と言われると春なのになんだか悲しくなる。
私がどれほどいけすかない奴だとしても、私の人間性とhagakurekakugoさんの「同じ人類と認めたくない」という言葉の正当性は無関係のはずだ。私自身、hagakurekakugoさんの過去の言動や人間性を問題にしていない。あくまでも「同じ人類と認めたくない」という発想、表現が認められるべきなのかhagakurekakugoさんの考えを確認したかったのだが、残念ながら揉め事になってしまった。まことに人間同士のコミュニケーションは容易ではない。

返答 - 解決不能

hagakurekakugoさんから「返答」を頂いたけれど、それは私が期待したものとは違っていた。
もちろんそのことでhagakurekakugoさんを責めたりはしない。これまで交流のない人にいきなり失礼な指摘をして、思い通りの返答が得られると期待した私こそ虫が良すぎる。むしろ自分の甘さ、思い上がり、コミュニケーション能力欠如に気付かせてくれたhagakurekakugoさんに感謝すべきなのだろう。ここでまた私はジレンマに突き当たる。「対話してくれたことに感謝する」のが正しい行いだと知っているが、実際にそうするつもりはない。凡人の私にとって知ること・言うこと・実行することを統合するのはかくも難しい。