玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

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「寄生出産」という言葉について

2009年05月13日 | 代理出産問題
代理出産の本質とは「寄生出産」だと書いたことがある。

代理出産=「寄生出産」 - 玄倉川の岸辺
代理出産問題 - 玄倉川の岸辺

そのことについて、emiladamasさんのご意見をはてなブックマークで見た。

はてなブックマーク - kurokuragawa氏は切断処理なんかしないよ! - 解決不能
emiladamas 例えば代理出産の問題点を批判するために「寄生出産」という呼称を広めようとするのが、“人間として語りかけ彼らの良心と理性に訴えるのが正しいやり方”なのかしら。 2009/05/05

ちょうどいい機会なので、いま私が「代理出産」について思うことを書いてみる。

まず、私が「『寄生出産』という呼称を広めようと」しているというemiladamasさんの認識は誤解です。
いわゆる代理出産を「寄生出産」と呼んだのは、ネット上ではたぶん私が初めてだろう。寄生出産というショッキングな新語をタイトルにしてブログを書き、読者に読んでいただいた。「代理出産」をGoogleで検索すると1ページ目に表示される。ブログで記事にすることが宣伝行為だとすれば、なるほど「広めようと」したのかもしれない。
だが私自身はそうは思わない。このブログのアクセス数だかIPは4桁に届いたり届かなかったりで(最近確認していないけれど多分そんなところ)、影響力はミニコミ程度だ。私のブログごときで簡単に新語を広められるのであれば、広告屋さんが苦労することはない。私が「代理出産」記事を書くとき、冒頭で一度だけ「いわゆる代理出産を個人的には『寄生出産』と呼ぶ」と述べて、その後はカッコ付きの「代理出産」を使う。要するに自分自身でもほとんど使っていない。これで新語が広まるとは考えられない。
自分のブログを書くだけでなく、よそのブログや掲示板に出張して議論したり宣伝すれば「広めようとしている」と言われてもしかたないが、そういうことはしていない。覚えてないだけで実際は何度かやったかもしれないが、せいぜい5回かそこらだと思う。「代理出産反対論」のブロガーを集めたりあちこちにトラックバックを送ったりもしない。おおむねひっそりやっている。

事実として私は「『寄生出産』という呼称を広めようと」していないし、広まることを望んでもいない。
「望んでもいない」という点については少し説明が必要だろう。何かが広まる、というときにはたいてい

1 存在が知られるようになる、認知度が上がる
2 多くの人が実際に用いる

という二つの段階がある。
普通は第二段階までいかないと「広まった」と呼ばれない。たとえば「ハイブリッド車が広まる」といえば販売シェアが上がったり街でよく見かけることを意味する。「そういう車があると知っている」「CMを見た」というレベルでは広まったといえない。
多くの人が日常的に用いるという意味で「寄生出産」という言葉が広まることを決して望んでいない。むしろ「広まってくれるな」とさえ思う。私が懸念するのは、これまでいわゆる代理出産についてよく知らず、マスコミの情緒的な報道を鵜呑みにして「代理出産はいいことだ、認めるのが当然だ」と思っていた人たちが「寄生出産」という言葉を聞いただけで「なんだか気持悪い」と感じ、これまでの意見をひっくり返して「寄生出産叩き」にいそしむような現象だ。実際にそんなことが起きるとは思わないけれど、ありえないとは言いきれない。
私が望むのは、なるべく多くの人が代理出産についてマスコミ好みの「いい話」だけではなくネガティブな情報を知り、その上でじっくり考えてもらうことである。カードを裏返すように反対論に鞍替えしてほしくない。「寄生出産」というショッキングな言葉は「代理出産」をリアルな問題として考えるきっかけになれば十分だ。そういう言葉があると知るだけで十分で、使ってもらう必要はない。インパクトのある新語が広まると必ずレッテル貼りに使われ(「ニート」等)、考えを深めるのではなく便利なステロタイプにされてしまうからだ。

「寄生出産」という言葉が「人間として語りかけ彼らの良心と理性に訴える」ために使われているのかどうか、emiladamasは疑問に感じておられるようだ。私自身は、「代理出産」を望んだり実際に行った人たちを「人間性を失った」とか「同じ人類とは思えない」などと異物視するつもりはまったくない。
いまさら言うまでもなく、「代理出産」を望む思いそのものはたいへん人間的である。「自分の血のつながった子」にこだわる気持、最新の医療技術を利用する進取の気質、そしてなによりも、第三者の善意や社会システムに期待して「代理出産」を実現させようとする欲望と能力。いかにも現代人らしい。もちろん私は「代理出産」を望んだり容認する人たちは人間そのものだと信じている。いや、この言い方は「私がいるのは地球の上だと信じている」というのと同じくらい奇妙だ。「代理出産」を望むのは人間以外の何か(動物やロボット、神や悪魔)ではありえないのだから。
私が寄生出産という言葉を使って反対論を書くとき、「代理出産を望む意思がたとえ良いものだとしても(仮定)、実行されると社会的・道徳的問題が大きすぎてかえって不幸な女性を増やすだろう」と主張するとき、もちろん「代理出産」容認派の人間性を信じ、彼ら彼女らの理性と良心に訴えている。「代理出産」容認派が人間以下に成り下がっていると感じていれば罵倒で済ませるのかもしれないが、私はそんなことをするつもりはない。
だが、私の意図に反して「寄生出産」という言葉が人間性否定の道具、単なるレッテル貼りに使われる可能性は否定できない。だから私はこのいささかショッキングな言葉が「広まる」ことを望まないのである。



「代理出産」問題そのものについては、最近あまり何か言おうという気分にならなかった。気がつくともう半年ほど記事にしていない。
理由はいくつかある。

・ 言いたいことはだいたい言い尽くした

ネタ切れです。

・ そもそも自分に論じる資格があるのか

子供のいない独身男が「妊娠」「出産」についてどうこう言うのは不遜かもしれない。

・ 学術会議の答申が出た

これが一番大きい。
去年、日本学術会議が政府の求めに応じて専門家による議論を行い、「代理出産」をほとんど全面的に禁止すべきだという答申を出した。私はこれで「代理出産」論争に決着がついたと思う。というか、そう信じたい。
「代理出産」について法律で定める動きは現在のところ動いていないが、いつまでも棚ざらしにしておくわけにもいかないだろう。政府提出の法案は官僚が作るし、官僚はエスタブリッシュメント仲間である学会の顔をつぶすようなことはしないはずだ。基本的に学術会議の答申(原則禁止)に沿った法案になると期待している。
そうはいっても、何か「代理出産」のトピックをマスコミが肯定的に取り上げ、肯定論が盛り上がる可能性もある。そのときは議員立法で学術会議の答申を反故にした「容認」法案が作られるだろう。反対派としてはそうそう安心もできないが、「代理出産」に厳しい答申が出てからマスコミの論調もだんだん変わってきたように感じる。以前はそれこそ「代理出産を認めれば不幸な女性を救えるのになぜ認めないのか」「日本は遅れている」式に勇敢で乱暴な賛成論が目立ったが、学術会議の答申に倫理的・社会的・医学的な諸問題が明記されて「そんなにバラ色の技術じゃない」ことが(ようやく!)知られるようになったのだろう。インドでの独身男性による「代理出産」依頼事例や諏訪マタニティクリニックによる産婦人科学会の方針を無視する強行も考え直すきっかけになったはずだ。

最初に「寄生出産」という言葉が広まることを望まないと書いたが、これは「数年のうちに法律で禁止されるだろう」と楽観視しているから言えることなのかもしれない。仮に推進・容認論が法律化されそうな状況であれば、自分はどうしていただろう。レッテル貼りに使われることを覚悟の上で「寄生出産」という言葉を広めようとしていただろうか。それとも「自分にできることはやった」とあきらめたか。たぶんあきらめたと思うけど(根性なしなので)、実際どうだったかはわからない。

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1 コメント

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『寄生出産』が正しい! (Unknown)
2009-06-26 17:50:30
私は女性で子持ちですが、管理人さんの意見に
賛同しています。
『代理』という言葉が悲惨な事実を覆い隠し、
何だかとても軽い事のように錯覚させるので『寄生出産』という言い方がちょうどいいと思いました。無知な人は、不妊治療の一つくらいに感じてる人もいますので。
賛成派は、『寄生』という言葉に敏感に反応するのでしょうが、それが代理出産の現実だということを受け止めるべきだと思います。
賛成派は不思議なくらい、自分のしていること(人身売買)を棚に上げ、
「だって欲しいんだもん」「この辛さ分かる?」「不妊治療は痛いのよ」と論点をすり替え、自分の苦しみばかり訴えて行いを正当化することに必死ですが、もし、代理母の身に立って考えることができたら、少なくともそんな戯言は、正々堂々と言えないでしょう。
代理母が受けた心身の苦痛は、依頼者が
どんなにお金を払っても消えるものではないのだから、美談でも何でもなく、もし代理出産で子を授かったのなら、一生、このことに正面から向き合っていくべきだと思います。
『寄生』という言葉に目くじら立ててる暇があ
るなら、代理出産について深く多角的に勉強すべきです。
代理出産をヒステリックに肯定すればするほど、「自分のことしか考えていない病的な人」
と思われるのがオチなのに、なぜ感情的に突き進む人ばかりなのか、毎度、不思議に思います。
理路整然と思考が破綻していない賛成派に出会ってみたいものです。



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