玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

「凶悪犯を射殺しろ!」

2008年06月15日 | 死刑制度
「据物撃ちなら誰でもできる」の続き。

gooやYahoo!で「秋葉原 射殺」をキーワードにブログ検索すると何十件もヒットする。
(例 [コメント欄に批判あり])
どれも判で押したように同じ主張だ。

「秋葉原事件のような凶悪犯は射殺せよ!」
「犯人射殺はアメリカでは当たり前のことだ!」

ああ、バカバカしい!!!
何も知らず考えない人ほど威勢のいいことを言う。本人は正論のつもりだろうが恥をさらしているだけである。
前の記事で取り上げた「発砲を期待する」意見のほうがよほどマシだ。あちらは「気持は分かるが認識が甘い」と指摘すればすむが、「射殺煽り」は悪質なトンデモである。

あらかじめ断っておくが、おそらく射殺論者が目の敵にしているだろう左翼人権論(犯人にも生きる権利が~)による批判をするつもりはない。人権を持ち出す以前の認識からして射殺煽りはどうしようもないのだ。


■ 「アメリカでは普通に射殺している」という説
「日本とアメリカはぜんぜん違う」で終わり。
…なのだが、それでは分からない人がいるかもしれない。
凶悪犯罪における日本とアメリカの大きな違いは何か。いまさら言うまでもなく「銃」の存在だ。アメリカはまぎれもない銃社会であり、多くの犯罪に銃器が使われる。

アメリカ情報局: アメリカの殺人事件 前年度を上回る
アメリカ連邦捜査局(FBI)が9月24日に発表した
犯罪発生状況によると、アメリカで2006年の
1年間に発生した殺人事件は17,034件で、
前年度に比べ1.8%増加した。

殺人事件の約90%が都市部で発生。
また約70%が銃が凶器で使用されたという。

アメリカでは「犯人は必ず銃を持っている」という前提で対処しないと警官の命がいくつあっても足りない。銃の威力に対抗できるのは銃だけだ。撃たれたら撃ち返すのが当然で、場合によっては撃たれる前に撃たなければならない。
結果として犯人が射殺される事例は多くなる。だが警官に犯人を殺処分する権利が認められているわけではなく、まして好き好んで射殺しているのではない。銃社会の悲しい現実として犯人射殺が多発「してしまう」のだ。


■ 法律問題
日本は法治国家である(ということになっている)。警察官が銃器を使用するときは、以下の法律・規則に従わなければならない。

警察官等けん銃使用及び取扱い規範
第八条  警察官は、法第七条 ただし書に規定する場合には、相手に向けてけん銃を撃つことができる。
2  前項の規定によりけん銃を撃つときは、相手以外の者に危害を及ぼし、又は損害を与えないよう、事態の急迫の程度、周囲の状況その他の事情に応じ、必要な注意を払わなければならない。

上記条文の「法第七条 ただし書に規定」されているのは以下の通り。

警察官職務執行法(昭和二十三年七月十二日法律第百三十六号) 「第七条」
(武器の使用)
第七条  警察官は、犯人の逮捕若しくは逃走の防止、自己若しくは他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑止のため必要であると認める相当な理由のある場合においては、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において、武器を使用することができる。但し、刑法(明治四十年法律第四十五号)第三十六条(正当防衛)若しくは同法第三十七条(緊急避難)に該当する場合又は左の各号の一に該当する場合を除いては、人に危害を与えてはならない。
一  死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁こにあたる兇悪な罪を現に犯し、若しくは既に犯したと疑うに足りる充分な理由のある者がその者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃亡しようとするとき又は第三者がその者を逃がそうとして警察官に抵抗するとき、これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合。
二  逮捕状により逮捕する際又は勾引状若しくは勾留状を執行する際その本人がその者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃亡しようとするとき又は第三者がその者を逃がそうとして警察官に抵抗するとき、これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合。

警官が発砲する目的は

・ 犯人の逮捕若しくは逃走の防止
・ 自己若しくは他人に対する防護
・ 公務執行に対する抵抗の抑止

の三つに限られている。もちろん「射殺」を目的とする発砲を認めた法律・規則はない。
警官は「他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合」に発砲し、犯人を生きて逮捕できなければ完全な成功とは言えない。
だが実際のところ「警官が容疑者を射殺」という事例は年に何度か起きている。それは上記の目的を達成しようと発砲した結果、残念ながら被疑者が死亡したということだ。目的ではなく結果として死亡事例が発生「してしまう」のである。

参考記事
 “警察官が相手に銃を向けてもいい条件”を調べてみたよ。 - 想像力はベッドルームと路上から


■ 警察という組織
「射殺論者」の愚かさは、興奮した世論が警察に「犯人(容疑者)を射殺しろ」と要求しても、警察が「はい射殺します」とは言えないことを分かってないことにも表れている。上で書いたように法律的に警官が「射殺目的で発砲する」ことは認められていない。いや、法律以前に憲法の規定がある。

日本国憲法第31条 - Wikipedia
何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

日本国憲法第32条 - Wikipedia
何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。

日本国憲法第37条 - Wikipedia
1 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。

「犯人の人権論」に近付いてきたがそちらに踏み込むつもりはない(その必要もない)。
重要なのは、治安を預かり国民に法律を遵守させる役割の警察が「世論のご希望通り射殺します、法律や憲法なんか知らないよ」というふざけた態度は示せないということだ。そんなことをすれば警察への信頼が根底から傷ついてしまう。警察官僚・警察官にとってはひとつの事件で失態を見せるよりずっと恐いことである。
世論が「必要なときは発砲していい、結果的に犯人が死んでも仕方ない」と認めるのは警察への応援になるが、「警察は犯人を(意図的に)射殺しろ」という煽りは警察のイメージを損ない足を引っ張るだけだ。有難迷惑というよりひたすら迷惑である。


■ 警察官の士気
私は警察官の教育が実際のところどのように行われているか知らない。
知らないが、確信を持って言えることが一つある。それは、個人の正義感を暴走させることは厳に戒められているに違いない、ということだ。
これまで書いてきたように、日本において「警官は凶悪犯をその場の判断で射殺せよ」という命令は社会的・法律的・組織的に不可能である。日本の警官は犯罪捜査と容疑者の逮捕を教育されているのであり、人殺し(射殺)せよとは教えられていない。
だとすれば、「射殺」を期待する者は警官個人の暴走に期待するほかない。
民間人が「凶悪犯はその場で射殺」を期待し、声高に煽りたてるのは「個人的正義感で暴走するな」という警官の基本的な道徳をないがしろにし破壊することである。まじめな警官ほど「射殺煽り」にとまどい、地道な捜査・逮捕より派手な銃撃を喜ぶ風潮に呆れ、かえって士気を下げることになるだろう。

ダーティハリー症候群 - Wikipedia
ダーティハリー症候群(Dirty Harry syndrome)は、警察官が陥るとされる精神状態の俗称である。別名ワイアット・アープ症候群(Wyatt Earp syndrome)。

現実社会において、正義の執行者を自任、“悪党に生きている資格はない”という歪んだ正義感によって、目の前の現行犯人をたとえ微罪でも射殺し、「逮捕に抵抗するからだ」と正当化してしまう。ダーティハリーはアメリカ映画のタイトルであり、「主人公ハリー・キャラハンが正義の名のもとに犯罪者を自ら次々と『処刑』」してゆく」という映画の印象にちなんで、この名で呼ばれるようになった。この映画の2作目においても、この症候群に侵された登場人物が存在する。

拳銃を抜く事について比較的寛容なアメリカの警察で罹患する例が多く見受けられ(実際には発砲が適正であったかについての調査が日本同様に為される)、日本の警察ではほとんどない。

お気楽な正義感による「射殺煽り」はダーティーハリー症候群のウィルスを撒き散らしているようなものだ。法と秩序をないがしろにする反社会的言説と呼ぶほかない。


■ 犯人の心理
仮に「凶悪犯は警官がその場の判断で射殺してよい」という世の中になったとする。
そのとき凶悪犯はどうするだろう。おとなしく射殺されるはずがない。なんとかして生き延びようとするに決まってる。
犯人をその場で射殺するのが正義とされる世の中では、凶悪犯が警察を信じて投降することはない。死人に口なし、事件後に「抵抗したので射殺した」と発表されても言い訳できない。「どうせ死ぬなら」最後まで必死で抵抗し、流される血の量は増えるだろう。
自分だけで抵抗するだけならまだいい。問題なのは第三者を巻き込んで悪あがきすることだ。
いくら世論が「凶悪犯を射殺せよ」で固まっていても、人質もろとも撃ち殺すことまでは許容しない。犯人は自分だけなら撃ち殺され、人質を盾にすれば何日か生き延びられる。追い詰められたときどちらを選ぶかは言うまでもない。
「その場で射殺」メソッドは犯人の警察への信頼(投降しても命はとらないだろう、拷問しないだろう)を失わせ、普通の暴力犯を最悪の凶悪犯にする愚策だ。


■ 結論
「警察は治安維持のために銃を適切に使え」と主張するのは問題ない。
だが、派手な事件に興奮して「凶悪犯はその場で射殺しろ!」と煽るのはまったく馬鹿げている。
この違いがわからない者は馬鹿に違いないと断言する。


最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
■秋葉原通り魔殺人事件の犯人から学べること-その時々で自分の身の丈を知る努力をせよ! (yutakarlson)
2008-06-15 13:35:58
■秋葉原通り魔殺人事件の犯人から学べること-その時々で自分の身の丈を知る努力をせよ!




こんにちは。秋葉原の事件がおきてから丁度1週間になると思います。その間に、いろいろとあの事件や犯人像に関して報道されています。私も、前に2度ほどこの件に関してブログに掲載しています。しかし、方法論のようなものばかり掲載していていました。しかし、具体的にどうすれば良いのかという私の意見は掲載していませんでした。本日は、私の思うその中身を私の言葉ではっきりさせたと思います。そうでなければ、秋葉原の件を掲載した、責任を果たしたとはいえない気がしていました。詳細は是非私のブログをご覧になってください。
返信する
主題とはずれますが (Scott)
2008-06-16 09:57:28
死刑廃止議論の時に、「アメリカでは死刑が無い代わりに現場での射殺が多い」という視点が多少あってくれても良いのに、とよく思います。
返信する
アメリカの死刑 (玄倉川)
2008-06-17 19:51:05
>Scottさん
「アメリカでは死刑が無い」
死刑廃止しないとEUに加盟できないヨーロッパと間違えておられるようです。アメリカでは2006年に53人の死刑が執行されています。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91#.E6.AD.BB.E5.88.91.E5.9F.B7.E8.A1.8C.E3.81.8C.E5.A4.9A.E3.81.84.E5.9B.BD

州ごとに法制度が違い、22州では死刑が行われていないそうですが、「アメリカでは死刑が無い」と一般化するのは無理です。
返信する