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玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

陰謀論とかダブルスタンダードとか

2009年03月06日 | 政治・外交
小沢氏と西松建設の政治献金問題について。
捜査中であり、そもそも私には法律のことも政界の裏事情も知らないので「誰が悪い」「いや悪くない」といった話をするつもりはない。
一般論として言えば、これが若手議員なら「秘書にぜんぶ任せてました、企業の迂回献金だなんて気付きませんでした」と弁解しても「そうかもね」と思うが、政治の裏も表も知り尽くし、カネの問題でとかくの噂のあるベテラン政治家が「知らなかった、気付かなかった」と言っても生暖かい気分になるばかりだ。とはいえ、これも見方しだいで「海千山千だからこそ本当に危ない橋は避けるはず」と言うことだってできる。本当のところはやっぱりわからない。


カネの問題とは別にして、事件の周りで騒いでいる人たちの浅はかさ見苦しさにはあきれる。
小沢氏秘書逮捕が明らかになった直後の、鳩山幹事長をはじめとする民主党幹部の発言。いきなり「国策捜査じゃないか」とか陰謀論を並べたのには唖然とした。
政治家としてどうこうという以前に、まともな社会人の言葉とは思えない。どこの会社でも団体でも、身内に捜査の手が伸びたときいきなり「陰謀の臭いが」なんて言い出したら正気を疑われるはずだ。民主党議員が小沢氏の無実を信じるのは結構だけど、責任ある立場にある政治家なら「何かの間違いではないか。小沢氏みずから潔白を証明すると信じる。党としても調査して国民の前に事実を明らかにする」くらいの無難なことを言っておくものだろう。「検察の横暴、国策捜査だ」とか「なぜこの時期に、陰謀の臭いが」とか騒ぐのは血気盛んな若手の役割で、幹部は本来なら「気持はわかるが根拠もなしに騒いではいけない」と抑える立場のはずだ。
ところが民主党では幹部が率先して陰謀論をたれながし、若手のほうがむしろ冷静に事態の推移を見ているようである。前から民主党っておかしな政党だと思っていたが、今回の騒ぎで単に「変」というよりも「非常識で不気味な」党だという恐怖さえ感じた。

仮に民主党幹部が冷静な姿を見せて、その一方で裏から手を回して評論家やコメンテーター(勝谷氏あたり)に陰謀論を叫ばせる、といった芸を見せてくれたら私も「民主党もなかなかやるね」と評価しただろう。ところが実際は党幹部がそろいもそろって「国策捜査ではないか」「なぜ今なのか、政治的意図を感じる」といったたわごとを並べるばかり。もうね、アホかとバカかと。本当にがっかりした。
テレビカメラの前で恥ずかしげもなく陰謀論を並べる鳩山幹事長の姿を見て、かの田母神元幕僚長を思い出してしまった。田母神氏の国会証人喚問のとき民主党の追及がどうもピント外れだと思ったけれど、陰謀論的発想への親和性という点で「似たもの同志」だったのかもしれない。そういえば国会を揺るがした「永田メール騒動」なんていうのもあった。そのときの主役の一人、前代表の前原氏が「国民に検察の在り方というものに疑義を持たれるような物の言い方は、一般論として、あまりすべきではないのではないか」と冷静さを見せたのが一抹の救いである。


小沢氏の資金問題についてはどこまでが合法的でどこからが「けしからんゾーン」なのか私にはよくわからないが、つまるところ昔ながらの「政治家とカネ」の問題であり、それぞれの人が一貫した基準で判断すべきことである。だが、正直言って私には小沢氏を擁護しようとする人たちの一貫性が信じられない。
民主党を支持し小沢氏を擁護するテレビのコメンテーターやブロガーの多くが「なぜこの時期に」「国策捜査じゃないか、陰謀の臭いがする」とはいうけれど、小沢氏と西松建設の「方法」自体についての判断、「政治とカネ」が一線を越える基準を明確にしていない。私が知りたいのは要するに、「自民党の政治家が小沢氏と同じやり方で資金集めしても『問題ない』と言えるのか」ということである。「小沢氏の行動には何の問題もない。もちろん、自民党の政治家が同じことをしても批判する気はない」と明言できる小沢擁護者はどれくらいいるだろう。たぶんほとんどいないんじゃなかろうか。一貫した基準のもとに「小沢氏の行動は問題ない」と言える人なら立場や考えの違いはあっても信頼できるが、「小沢氏がやるのはOK」「だけど自民党の政治家がやったら許せない」というダブルスタンダードは卑怯だ。
ちなみに、かの「世に倦む日日」テサロニケ大先生は「松岡利勝や赤城徳彦を批判する者は、同じ論理と立場で小沢一郎を批判しなければならないのが当然だろう。」と言っている。さすがの見識である。


逮捕された小沢氏の「現秘書」大久保氏ではなく「元秘書」の高橋氏がキーマンではないか、という話もある。

「西松」献金、元秘書の要求発端…小沢代表参考人聴取へ : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 小沢一郎・民主党代表の資金管理団体「陸山会」を巡る政治資金規正法違反事件で、準大手ゼネコン「西松建設」(東京都)がダミーの政治団体を使うなどした一連の献金を始めたのは、逮捕された同会の会計責任者・大久保隆規容疑者(47)の前任者にあたる元秘書から、献金の要求を受けたことがきっかけだったことが、西松建設関係者の話で分かった。


留守番の備忘録:ひねもす国士サマ脳の検事と判事
この秘書というのは、高橋嘉信という人物で、ではいまは何をしているのかというと、自民党岩手第4区の支部長!なのでございます。つまり、このまま次の衆院選をやれば、小沢さんと真正面から戦う人な訳です。


仮に小沢氏が元秘書に「ハメられた」のだとしても、多少の同情は集まるだろうが小沢氏の評判が守られるわけではない。「(元)腹心に裏切られるなんて人徳がない」「人を見る目が疑われる」「総理になる資格があるのか」と批判されるのは間違いなく、小沢氏にとって「元秘書陰謀説」はメリットがない。小沢氏を擁護したい人はあまり言わないほうがいいと思う。どうせなら「国家権力(検察)に刺された」とか、「なりふりかまわない自民党の悪あがきだ」とか、「巨大な敵に立ち向かう小沢氏と民主党」という構図のほうがよほど絵になる。
いっそのこと「コミンテルンの陰謀だ」とか「CIAとユダヤ資本の(略)」と叫んでもいい。バカバカしさが突き抜けていて爽快である。


参考記事
 陰謀論 - おおやにき

愚劣な空騒ぎ

2009年03月03日 | 政治・外交
腹が立つので新聞もテレビニュースもリードしか見てないけど、麻生総理が定額給付金を受け取ることを明らかにしたそうだ。
昨夜のNHKニュースウォッチ9でも大きく取り上げていたようだし(すぐチャンネルを変えたので内容は知らない)、BSニュースではなんとトップニュースである。いまだにマスコミ的には大問題らしい。

定額給付金:麻生首相「受け取る」 発言迷走、ツケ大きく - 毎日jp(毎日新聞)


ああ、くだらない!!!
こんなことで大騒ぎするマスコミおよび政治家連中と、それを真に受ける国民ははっきり言ってバカだ。
麻生総理にも「もうちょっとスマートにやれよ」と思うけれど、くだらないことで空騒ぎして政治と報道のリソースを無駄使いする手合いのほうに腹が立つ。彼らが麻生政権と自民党に泥を塗る「ためにする批判」だと自覚してるのか、それとも本気で大事な問題だと思いこんでいるのかどうかは定かでない。前者だとしたら卑しいし、後者であれば物事の軽重をわきまえない愚か者だ。どちらにしてもまったく尊敬できない。

前に何度も書いたけど、麻生総理(と与野党政治家)の個人的な「定額給付金受け取り問題」なんて国の行方にも国民生活にもぜんぜん関係がない。本来は単なるゴシップである。食べ物の好みとかファッションセンスの話題と変わらない。いや、味覚やファッションセンスは外交の場などで印象を左右することもあるけれど、「1万2千円を受け取るかどうか」なんて完全にどうでもいいことだ。
そもそも定額給付金というのは、国が国民に提供するする便宜であって、政治家に対して国民が「自分が決めた便宜だから利用しろ」と要求するものじゃない。麻生総理が受け取らなければ地方自治体の収入になるのだから、お金が無駄になるわけでもない。まったくいらぬお節介である。

仮にこれが「定額徴収金」つまり収入の多少にかかわらず国民すべて一人当たり1万2千円政府に支払ってください、という話であれば、与党政治家が「私は払いません」と言ったら指弾されて当然だ。だがもちろん定額給付金は支払いではなく国民がお金を受け取ることだ。お金がほしい(普通の)人、必要な人は悪びれず受け取ればいいし、ほしくない(奇特な)人、必要のない人はもらわなくてもかまわない。
マスコミがどうしても政治家個人への給付金支給が気になって仕方ないのなら、給付金の「受け取り」じゃなくて「給付金の趣旨、目的にあった行動をするのかどうか」にこだわるほうがまともだ。
給付金の目的の半ばは「低所得者の援助」だが、麻生総理をはじめ与党政治家に低所得者はいないから関係ない。であれば、給付金のもう一つの目的、つまり「消費拡大・景気刺激について政治家が個人的にどう貢献するのか」を問題にすべきだ。

「麻生総理が1万2千円ぽっちの給付金を受け取ろうと受け取るまいとどうでもいい。だが、麻生総理には給付金政策の責任者として身銭を切って消費拡大の模範を示す責任がある。麻生さん、あなたは金融危機以前と比べて特別に・意識して消費(個人的支出)を増やしているのか。今後の予定も含めてはっきりさせてほしい」という批判であれば筋が通っている。人様の財布を詮索するのは卑しいことだけれど、経済危機が叫ばれる今の世の中で「麻生総理のような大金持ちは地位に伴う責任(ノブレス・オブリージュ)を果たせ」と要求するのは間違っていない。
ところが、マスコミは「麻生総理(のような金持ち)はどんどん金を使え」ではなくて「1万2千円受け取るのかどうか」ばかりにこだわっている。本当に何を考えてるのか理解できない。何も考えていないのか、あるいはどうしようもなくバカなのか、あるいは麻生総理を引きずりおろすためなら景気などどうでもいいのか。とても正気の沙汰とは思えない。


関連記事
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 「閣僚の定額給付金受け取り問題」の愚 (2)
 「閣僚の定額給付金受け取り問題」の愚 (3)

絵になる男

2009年02月13日 | 政治・外交
昨夜のニュースを見ていたらどの局も「小泉元総理が麻生総理を痛烈批判」「小泉吼える」とばかりに大々的に取り上げていた。

asahi.com(朝日新聞社):小泉元首相、麻生首相に「怒るというより笑っちゃう」 - 政治

ニュース自体についての感想は特にない。
というかよくわからない。たぶん反麻生の人たちが大喜びするような単純な話ではなく、森元総理直伝の仕掛け(八百長)が仕組まれていそうな気もする。小泉氏と麻生氏はもともと肝胆相照らすという感じじゃなくて「実力を認め合いつつ微妙に反りが合わない」関係のようだから、もしかしたら小泉氏は裏も表もなく本気で怒ってるのかもしれない。
どちらなのかよくわからないが、お二人とも個人的な感情のもつれは二の次にして、日本をよくするための道を見つけてほしいと願うだけである。日本の政治に政局騒ぎで時間を空費する余裕はないはずだ。

それにしても今回の騒動で「マスコミはなんだかんだ言っても小泉さんが大好きなんだな」と再認識した。
「絵になる男」が勇ましい言葉で麻生批判をぶちまけたことがうれしくてたまらないようすが画面から伝わってくる。ほとんどお祭り騒ぎのノリである。このあいだまであれほど「否定される小泉改革路線」と伝えていたのに、小泉氏が久しぶりに顔を出すとたちまちこのありさま。なんとも他愛がなく、これじゃ政治報道なのか芸能ゴシップなのかわからない。いや、もともと日本のマスコミは「政治報道とはゴシップの集積」と思っているのかもしれない。だとすれば麻生総理批判が「バー通い」だの「漢字が読めない」だの「定額給付金を受け取るかどうか」といったほとんどどうでもいい話で埋め尽くされるのも無理はない。

定額給付金を支持します(あるいは給付金ボイコット宣言の勧め)

2009年01月13日 | 政治・外交
これまで何度か定額給付金問題について書いてきた。
いや、正確には「閣僚の定額給付金受け取りを問題にする愚かさ」と「定額給付金の世間での評判」について書いたけれど、考えてみれば私自身が定額給付金という政策について賛成か反対か立場をはっきりさせてなかった。
これまでの記事を読んでくださった方はだいたいお分かりだとは思うが、私は定額給付金について「どちらかといえば賛成」である。本当は「経済知識、判断力がないのでわかりません」なのだが、マスコミや世論の頑なな反対・嫌悪ぶりを見ていて「ちょっと違うんじゃないか」と思うことが多く、いつのまにか賛成寄りになった。
ネットを見渡すと反対派よりも容認・賛成派のほうに「経済がわかっていそうな人」が多いように見える。私自身が「まったくわかってない人」なのでこの判断はすこぶるあやしいものだが。
とはいえ、田中秀臣さんが「僕は給付金を止めることには反対してもいい。」と言うのだから「天下の愚策」などではなくそれなりの合理性があるのだろう。麻生内閣に微塵も好意などなさそうな上杉隆氏森永卓郎氏も定額給付金のアイデアを評価している。
もちろん、懐の淋しい自分にとって1万2千円が魅力的なことは否定しない。金持ちが(その人にとっての)ハシタ金を欲しがるのはさもしいが、貧乏人が諭吉さんや英世さんの顔を拝みたいと願っても天下に恥じることはない。


私が気になる定額給付金反対派のおかしなところ。

● 麻生総理と閣僚が給付金を受け取るかどうかにこだわる

この点についてはすでに3回書いたので(われながらしつこい)、こちらをお読みください()。

● 給付金の受け取りばかり気にして使われ方に無頓着

低所得者への援助としてはほぼ100%受け取ってもらえるだろうから心配する必要はない。
問題は支給の対象から外れてしまう低所得者(住民登録がない等)のあつかいで、必要なのにもらえない人が出ないようしっかり対応する必要がある。
もう一つの目的、景気刺激については「とにかくお金を使ってもらうこと」が肝心なのに、マスコミは消費拡大のための呼び水(便宜)でしかない「給付金を受け取るかどうか」ばかり気にしている。目的と手段の区別を理解してない。音楽を例にすれば、「どれくらい演奏するか」を知りたいのに「楽器を所有しているかどうか」の調査しかしないようなものだ。まさに隔靴掻痒、歯がゆくて仕方がない。「あなたは給付金を受け取りますか」よりも「もらったお金をどのように使いますか(あるいは貯めこみますか)」について訊くべきだ。

● 「迷走」報道とそれを真に受ける人たち

定額給付金関連のニュースはたまに(週に一度くらい)しかチェックしないけれど、最初に聞いたときと今までの間に麻生総理が迷走していると感じたことはない。高額所得者に支給制限するかどうかでちょっとばかりゴタゴタしたのは知っているが、給付金本来の目的からすればまったくどうでもいいことである。
マスコミが「迷走、迷走」と言いたがるのは、後部座席の乗客がドライバーの手の動きだけを見て「迷走している」と言うようなものだ。峠を上る道筋は変わっていないのに、景色を見ずハンドルばかり見ているから大局的判断ができない。

● 二言目にはバラマキ批判

これは本当に馬鹿みたいだと思う。
そもそもバラマキの何がいけないのか。景気が回復し失業者が減り国民の幸福が増すのであれば、給付金バラマキでもマイナス金利でも何でもやればいいのである。その逆に増税でも財政引締めでも必要であれば断然やらなければならない。すべての政策の評価基準は「有効か・コストに見合っているか」であり、「100年に一度の危機」に手段を選り好みするのは贅沢というものだ。
感情的・道徳的なバラマキ批判には辟易しているが、「支給コストがかかりすぎる」とか「貯蓄に回される可能性」といった有効性に対する批判はどんどんやってほしい。「バラマキはやめろ」ではなく「役に立たないからやめろ」という批判を聞きたい。

● 二言目には「選挙対策」

これも聞きあきた。ステレオタイプで陳腐な批判だ。
選挙対策として効果的な、つまり有権者を喜ばせる政策がいけないのであれば、政治家はいったい何を主張すればいいのか。増税と福祉削減を叫んでひたすら国民に痛みを強いるのが立派な政治家なのか。マゾヒズムにもほどがある。

● 定額給付金には反対、でも実施されたら貰うつもり

前の記事では「反対の人は受け取りを断ったらいかが」と書いた。
だが、よくよく考えてみると私が違和感を抱いたのは反対派が「給付金を受け取ること」ではなく「矛盾したことを言いながらシレッとしていること」のほうだった。よって「反対者は給付金を受け取るべきではない」という意見は撤回する。つまらないことを言ってすみませんでした。

定額給付金が実施された場合、なるべくたくさんの国民(反対派を含めて)に受け取ってもらうほうが麻生総理にとっては都合がいい。「口では反対と言っていたけど、本心は喜んでますよ」「言葉よりも財布のほうが正直ですね」と言えるからだ。「定額給付金には反対、でももらいたい」という人たちは「自分は本気で反対しているわけじゃない」と言っているのと同じで見くびられるだけだ。
麻生総理がいちばん嫌がるのは、「バカげた定額給付金なんて受け取るものか」というボイコット宣言が広がることだ。過半数の国民に受け取り拒否されたら面目丸つぶれである(実際はそうならないと思うが、可能性は否定できない)。「ボイコットするぞ」という脅しは「天下の愚策」定額給付金をやめさせるのにいちばん効果がある。
だが実際は世論調査に「反対だけどお金はもらいたい」と答える人が大多数だ。はっきり言ってあまりにもヘナチョコで情けない。本気で反対するなら、お金がほしい気持ちを押し殺して「ボイコットするぞ」となぜ言わないのか。
ボイコット戦術が失敗して定額給付金が実施されてしまったら、それぞれの判断で受け取るかどうか決めればいい。負けた後でなお抵抗するのは意味がないし、お金が必要な人に痩せ我慢しろ、受け取るなと要求するのも酷な話である。



国民とマスコミの「定額給付金嫌い」についてはこちらの分析が参考になった。

 給付金にキレる人々 - 事務屋稼業

要約すると「小泉の呪(バラまきは悪)」「金額がショボくてがっかり」「埋蔵金って何?」の三点が嫌われる原因らしい。
私はそれに「公明党嫌い」を付け加えたい。ネットで定額給付金反対論を見て回ると、少なからぬ人たちが「もとはといえば公明党(創価学会)の政策だからダメだ」と批判している。私は「ネズミさえ取れば黒猫でも白猫でもいいじゃないか」と思う性質なので「公明党だからダメ」という感覚はよくわからないのだが、公明党(創価学会)嫌いが定額給付金嫌いにつながっているのは間違いない。


「定額給付金」関連記事
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 「定額給付金反対世論」に13年前を思い出す

「定額給付金反対世論」に13年前を思い出す

2009年01月12日 | 政治・外交
マスコミ各社の世論調査が発表された。

asahi.com(朝日新聞社):給付金に反対63% 内閣支持19% 朝日新聞世論調査 - 政治
内閣不支持7割超、給付金に反対78%…読売世論調査 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
【本社・FNN合同世論調査】麻生内閣「支持率は危険水域」初の10%台に (1/2ページ) - MSN産経ニュース

麻生内閣の支持率についてはともかく(それにしても下がりすぎとは思うが。私は麻生内閣支持である)、定額給付金がこれほどまでに不評なのは合点がいかない。産経・FNNの調査によると、
 通常国会で焦点となっている定額給付金については、「ばらまき」で好ましくないと答えた人が75・1%。給付金の財源2兆円についても「ほかの政策に回すべきだ」と答えた人は79・8%にのぼった。

 だが実際に給付が決定すれば、84・8%が「受け取ろうと思う」と答え、受け取ろうと思わないと考えている人は11・4%にとどまった。

というのがただいまの「民意」だそうで、だとしたらずいぶんとご都合主義だなというか、あるいは「反対」世論の正体は「違和感をぬぐえない」程度のことなのかと思ったりする。仮に定額給付金が実施されるとして、本気で反対している人は敢然と受け取りを拒否なさればいい。そのお金は無駄にならず各自治体が使ってくれるのだから惜しむ必要はない。「定額給付金は天下の愚策、でもくれるなら何でも貰うよ(損したくないからね)」という人がいたら私はちょっぴり軽蔑する。

特に根拠はないけれど、私には「定額給付金」反対の世論は合理的・政治的というよりも感情的・道徳的なものに思えてならない。「民意」というよりは「定額給付金の悪口ブーム」という感じだ。
私自身は定額給付金という政策に入れ込んでいるわけじゃないので、どこがそんなに素晴らしいのか、効果があるのかないのかうまく説明することはできないけれど、景気刺激策・低所得者への補助として各国で似たようなことが行われているのは知っている。

イタリアが9兆6800億円の景気対策 年金生活者らに給付金 NIKKEI NET(日経ネット)
豪政府、クリスマスの消費てこ入れに給付金を支給 | ワールド | Reuters
米国、所得税の「戻し減税」始まる 景気刺激なるか 国際ニュース : AFPBB News
asahi.com(朝日新聞社):バラマキ1.8兆円、ドイツでも「消費券」検討 - 金融危機



してみると、大規模な景気後退局面で政府が国民に「バラマキ」をするのは「天下の愚策」というほどのナンセンスではなさそうだ。堅実な国民性で定評のあるドイツでも真剣に検討されているのだから、ただの人気取りとか浮かれた無駄遣いと決め付けるのは気が早い。どうも7割とか8割の反対世論は一過性のブームの臭いがする。
世間の空気は一定の方向にワッと走り出しすと勢いがつくので、今さら「定額給付金はそんなに悪くない」「無碍に反対するのはどうかな」と言っても遅いかもしれない。だが国民の本音は案外「実際に給付が決定すれば、84・8%が『受け取ろうと思う』と答え」のほうにあるような気もする。頭はマスコミの煽りに吹き上げられ、口では周りの人に合わせて「定額給付金なんて最低」と言っていても心の奥では「何に使おうか」と胸算用している。

「言っていること」よりも「やっている(やろうとする)こと」のほうが本音をあらわす、という場合は少なくない。
たとえば2005年にライブドアがニッポン放送を買収しようとしたとき、多くの「ライブドア支持者」「ホリエモン信者」が熱気を吹き上げていたものだ。当ブログもそのとばっちりを受けた。だが、彼らのうちで本当に身銭を切ってライブドアの株を買ったり入社試験を受けた人はほとんどいなかったようである。「彼らは本心ではライブドアを、ホリエモンを信じていなかった」と言っても抗議されることはあるまい。今となっては「ホリエモン人気って何だったんだろう」といぶかしむばかりだ。

民意が合理的な判断より感情や道徳論に引っ張られて「反対ブーム」を起こした例がある。
96年の住専問題がそれだ。

 まず住専問題をおさらいしてみましょう。1995年にクローズアップされた問題で、住宅金融専門会社がバブルの崩壊によって経営を悪化させ、親会社の金融機関の経営をも揺さぶるほどの問題になったことに対し、政府が公的資金を投入することで金融システムを安定化させようとしたものです。

 金融不安は1995年当時、既に深刻化しており、1994年の東京協和、安全の2信組に始まって、1995年に入ってもコスモ信組、兵庫銀行、木津信組が次々と経営破たんしました。大蔵省、日銀はあまりの事態に従来のような護送船団方式の救済をあきらめ、金融システムを安定化すべく、預金保険機構による援助に加え、30年ぶりに日銀特融も行いましたが破綻の度合いがあまりに大きいために損失を穴埋めできなくなったため、税金を使うという案が浮上した、という背景がありました。

 当時の野党は、「住専の乱脈経営の穴埋めに国民の血税を使うな!」といういわゆるモラルハザードの問題を指摘して猛反発しました。当時私は大学3年だったのですが、クラスメイトに創価学会員がいて、彼が反対のビラを配っていたのが印象深かったです。

 結局、自社さの村山連立政権は野党や世論の反発を押し切って、1996年度予算では6850億円が支出されました。


つれづれコラム: 住専問題は今?


当時の世論は今の「定額給付金反対」と同じくらい、いやずっと強く「住専反対」で固まっていた。それこそ天下の愚策、大金の無駄遣い、国民への裏切りよばわりされて国会は大混乱した。
当時の私は(今もそうだが)経済のことはぜんぜんわからないので「ほほー、大騒ぎだな」とぼんやり眺めていただけだが、「政府がこれほどこだわるのは何か理由があるんじゃないか」「反対する人たちはちょっと感情的すぎやしないか」と思ったことを覚えている。
あれから10年以上経ち、いつのまにか当時の住専処理・公的資金導入は「適切な政策だった」ということになっているらしい。
ちゃんと調べたわけではないけれど、サブプライム破綻関連のニュースで日本の例が引き合いに出されるときは決まって「迅速な公的資金導入」が教訓とされ、「住専に金をつぎ込んだのは無駄だった」という話は聞かれない。時間によって答えが出た、といっていいだろう。それは結構なのだが、あのころ目を吊り上げて反対を叫んでいた人たちが反省したという話は聞いたことがない。

住専処理が嚆矢となって、その後日本では金融機関に対する公的資金注入や国営化が相次いだ。それらの手立てが効果をあげて日本経済は何とか(去年までは)安定した。もしも96年当時の政府が「民意」に従って住専処理をあきらめていたら、たぶんもっと混乱が長続きしていただろう。
私はいまだに経済のことがよくわからないので、定額給付金問題についても「ほほー、大騒ぎだな」と眺めるだけだ。だが、反対する人たちの語調や表情を見ていると、どうしても「住専処理に反対した人たち」の姿を思い出さずにはいられない。

「閣僚の定額給付金受け取り問題」の愚 (3)

2009年01月11日 | 政治・外交
マスコミや野党が「閣僚の定額給付金受け取り問題」で大騒ぎするのは理解できないと二回にわたって書いてきたけれど、実はちょっと見方を変えると簡単に理解できる。
単に麻生総理が嫌いで叩きたいという願望の表れ、「ためにする批判」だと思えばなにも不思議なことはない。とはいえ、こういう説明はあまりにも便利すぎて何も説明していないのに等しい。「ためにする批判」であっても、視聴者・読者・有権者が「なるほどそうか」と思ってくれないと効果が出ない。「こじつけの批判だろ」と見透かされては逆効果だ。
だがネットで検索するかぎり、「閣僚の定額給付金受け取り問題」に対して「つまらないことで騒ぐな」と怒っている人のほうが少なく、「麻生総理はぶれている、これじゃダメだ」と乗せられている人のほうが多いようだ。となると、やはり日本人の多くが政治家個人の立ち居振る舞いを「政策の是非」と区別できない(しない)傾向を持っていると見たほうがいいだろう。

あらためて言うまでもないが、「麻生総理や閣僚が定額給付金を受け取るかどうか」は「定額給付金という政策の是非」とはまったく関係ない。前にも書いたとおり、定額給付金の目的は「低所得者の援助」と「景気刺激」である。閣僚には世間で一般的に低所得者と認められる人はいないし、景気刺激に効果があるのは「給付金を受け取ること」ではなく「とにかくお金を使うこと」だ。
そんな当たり前のことを理解できず(あるいは理解しようとせず)「受け取る、受け取らない」で迷走だの閣内不一致だのと騒ぐ野党とマスコミ(そしてそれを真に受ける人たち)はどうかしている。
「平均以上の収入のある人(閣僚は全員そうだ)が定額給付金を受け取るのも受け取らないのも勝手」
「ただし定額給付金の趣旨に賛成なら積極的に消費拡大に貢献すること」
こういう理にかなった考え方がなぜできないのだろう。
閣僚に質問するなら、「あなたは定額補助金を受け取りますか」ではなく、「あなたは消費拡大のために何をしますか」だ。「車を買い換えた」とか「家をリフォームする予定だ」とか「家族を旅行に行かせた」という答えが返ってくれば定額給付金の趣旨にかなっている。だが「なにもしていない」「生活防衛のため支出を切り詰めた」という答えだったら、「あなたは景気回復のため国庫に負担をかけても、自分の財布を開く気はないのか」「無責任で身勝手じゃないか」と責めればいい。

マスコミと野党が定額給付金を消費ではなく「受け取る・受け取らない」の問題にしてしまったのは、麻生総理のバー通い批判がそもそもの原因だ。あれもまったく馬鹿げた騒ぎだったが、あの一件のせいで「この不景気のさなか、個人消費を楽しむのは後ろ暗いこと」というネガティブな印象を世に広めてしまった。合成の誤謬をマスコミと野党が扇動したのだから罪は重い。
定額給付金という政策を批判するのはけっこうだが、この不況のさなかデフレムードを煽るのは本当にやめてほしい。ワイドショーが「楽な自殺のやり方」を特集するのと同じくらい社会的に有害だ。


定額給付金を「受け取る、受け取らない」の問題として見るのは予防接種の(誤った)アナロジーで捉えているからかもしれない。
新しい伝染病が広い範囲で発生しそうだとする。政府はすべての国民に予防接種を呼びかける。だが、ワクチンの有効性に疑問があり、副作用のリスクも否定できない。「有害無益だ」と批判する研究者もいる。
こういう場合は、政治家が率先して予防接種を受けて副作用のリスクを自分自身で負担することが求められる。「国民はリスクを背負って予防接種してくれ、自分はそのメリット(伝染病の拡大防止)だけ享受したい」という無責任な態度は認められない。
だが、定額給付金とワクチンの予防接種はぜんぜん違う。
有効性について議論が分かれる点は似ているが、「接種」を受けた人に副作用が表れる心配はない。お金は誰にとっても有益であり、よほどの大金(宝くじの高額当選者のように)ならともかく、たかが1万2千円で身を持ち崩す人などいない。定額補助金は受け取るものにとって純粋な便宜であって、貰うのも貰わないのも個人の自由だ。ただし、定額補助金の趣旨に賛成する政治家であれば、受け取らなくても身銭を切って景気拡大に貢献することが求められる。

もうちょっと気楽な話として、「デパ地下の試食」でたとえてみる。
麻生食品が一流デパートの地下に出店し、販売拡大のために試食品を提供する。
そのとき「麻生食品の社員は率先して試食を利用しろ」などと要求する客はいない。試食品は見込み客のためのものであり、社員に食べさせるものではない。よほど出来の悪い商品でない限り、わざわざ社員がサクラになる必要などない。麻生食品はデパ地下に出店できるレベルなのだから、その商品が充分なおいしさを備えていることは間違いない。「お金は誰にとっても役に立つ」というのと同じくらい自明だ。
「定額給付金を閣僚は全員受け取れ」とか「受け取るか受け取らないかはっきりさせろ」というのは、「麻生食品」社員に試食品を受け取れと要求するのと同じくらい馬鹿げている。
ここで「船場吉兆」の事件を思い出す人がいるかもしれないが、定額給付金が偽装(贋札)である可能性を心配する必要はない。商品はまっとうなものであり、客は「価格に見合っているのか」判断して自分自身で買うかどうか決めればいい。

「閣僚の定額給付金受け取り問題」の愚 (2)

2009年01月10日 | 政治・外交
「麻生総理と閣僚の定額給付金受け取り問題」に大騒ぎする愚劣さについて、バーチャル思想アイドルのやえちゃんが書いてくれた。ありがとうやえちゃん。
 おとといから昨日にかけての衆議院予算委員会での議論を伝える報道は、もうそのほとんどが、麻生総理に対する「給付金をもらうのかもらわないのか」という民主党の質問ばかりでした。
 つまり、麻生内閣が準備している定額給付金が支給されるというコトになったときに、麻生さんはそれを受け取るかどうかを明言しろといま民主党は執拗に聞いているワケですが、やえにはそもそもそれを聞いて一体国政に何の意味があるのか、景気対策・経済問題に何の効果があるのかサッパリ分からないのですけど、でもマスコミ的にはそれがトップニュースなんですね。
 相変わらずのマスコミの低能さですが、もし国民がそれを望んでいるとしたら、もはやもうどうしようのないところまで来てしまったと言わざるを得ないでしょう。

くだらない議論 - バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳

100%完全に同意である。ひざを叩きすぎて痛い。
定額給付金という「政策」に効果があるのかどうか、厳しく問いただして賛成するのも反対するのも結構である。それは政治家とジャーナリストの仕事だ。だが、総理や閣僚が受け取るかどうかにこだわるのはゴシップ記者のやることで、国会議員や政治記者の仕事ではない。そんなことはリアルな政治の問題、国民の生活とはまったく無関係だ。空騒ぎにうつつを抜かし仕事をおろそかにする連中を私は憎む。

前の記事で私は「日本人はやたらと政治家(特に政府与党)のことを批判しバカにするけれど、その反面妙に『徳の高さ』『人格の完璧さ』を求めるきらいがある」と書いたけれど、考えてみるとこれらはコインの裏表でしかない。
真面目で善良な日本国民の多くが政治家に夢を見すぎているのである。
田舎の女子中学生がハリウッドスターに憧れるように「完璧な政治家」の幻影を追い求めている。妄想に近いような高い基準を満たすことを要求し、合格できないと軽蔑し罵倒する。クラスのニキビ面の男子中学生などは論外だ。同級生の高橋君(仮名)が真面目に思いを寄せてくれて告白されても、「えーウソー、ありえなーい」などとまともに取り合わず友達の間でバカにする。
女性差別になると悪いので男の例も挙げておこう。
理想の(幻想の)政治家を追い求め現実の政治家をむやみとバカにするのは、病膏肓に入った二次元オタが現実の女性に対してまともにコミュニケーションできないようなものだ。変に卑屈になったり、あるいは生身の女性の「不純さ」に絶望して蔑視したり攻撃的になったりする。どちらも夢を見すぎて現実を見ていない。

やえちゃんは
 もしかして日本国民というのは、総理がそれを受け取るかどうか、そしてどう使うかを示してもらわないと、自分はどうしたらいいのかというコトを判断できなくなってしまったというコトなのでしょうか。
 麻生さんが受け取ると言わないと、受け取るという行為が国民は出来ないのでしょうか。
 そうでないとは思いますが、いまマスコミや民主党が言っているコトは、このようにあまりにも情けない姿としか言いようがないと思います。

と書いているが、こういう心理も政治家(権力者)に夢を見すぎていることの表れだ。
「麻生総理が給付金をもらうかどうか気になって仕方ない人」は、意識してはいないだろうが権力者に「国民の理想のロールモデル」を求めている。定額給付金の受け取り方、使い方の手本を示してほしいと願っているのである。小学生じゃあるまいし、たかが1万2千円ぽっち(というのもちょっと抵抗あるけど)のもらい方使い方に手本が要るなんて情けない限りだ。麻生総理もさぞ頭が痛いことだろう。


そもそも日本には天皇陛下というお方がいらっしゃるのである。
幸せなことにご今上は世界のどの国の元首にも引けをとらない立派なお人柄だ。「天皇制」を批判する左翼も天皇陛下の人柄はけっして批判しない(むしろ右翼のほうが複雑な視線を向けている)。
こういう立派な方が「日本国民統合の象徴」として存在しているのだから、「たかが」政治家に夢を見る必要などないはずだ。「政治という汚れ仕事を行う職人」程度に思って理想的人格など期待しないほうがいい。仕事の出来が悪ければガンガン文句を言えばいいけれど、「職人は聖人君子であれ」「万人の手本にならなければいけない」などと見当違いの要求をするのはまったく愚かなことだ。

「閣僚の定額給付金受け取り問題」の愚

2009年01月09日 | 政治・外交
ああ、くだらない!!!!!!!

定額給付金「受け取る」は11閣僚 足並みの乱れ露呈 - NIKKEI NET(日経ネット)
時事ドットコム:受領は11人、甘利行革相は辞退=閣僚の対応分かれる-定額給付金
給付金、閣僚11人が受給明言 甘利行革相は辞退 - 47NEWS(よんななニュース)
【定額給付金】閣僚11人が受給明言、甘利行革相は辞退 - MSN産経ニュース
asahi.com(朝日新聞社):飛騨牛とか電球型蛍光灯とか…10閣僚「給付金もらう」 - 政治
定額給付金、11閣僚「受け取る」…甘利氏は辞退明言 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

定額給付金:対応、閣内不一致 受け取り11人、留保5人、辞退1人 - 毎日jp(毎日新聞)
 9日の閣議後の記者会見で、定額給付金の受け取りに関する発言が相次いだ。閣僚17人のうち「受け取る」と明言したのは11人。5人は態度を留保し、甘利明行政改革担当相が辞退する考えを表明するなど、対応は分かれた。

 河村建夫官房長官は「寄付する代わりに、地元で障害者施設が作った物を買いたい」と表明。斉藤鉄夫環境相も「地元で省エネ製品や電球型の蛍光灯を買ったりして消費したい」と述べるなど、給付金を受け取って地元で消費したいとの意見が多く出された。

 一方で甘利行政改革担当相は「私は申請しない方がいいのではないかと思う」と受け取らない考えを示し、「ポケットマネーから家族に『定額給付』して、地元の商店街で使えと要請したい」と語った。

 中川昭一財務・金融担当相は、給付金を受け取るかどうかは「個人としては答えられない」。与謝野馨経済財政担当相も「予断を持ってどちらにするか言う段階ではない」と語り、態度を留保した。

 同日午前の閣僚懇談会で、河村氏は「性格上、政府が縛るというものではないが、定額給付金の趣旨にのっとり政治家として適切な判断をお願いしたい」と呼びかけた。給付金をめぐっては6日の政府・与党連絡会議で、自民党の細田博之幹事長が消費拡大のため「国会議員も、もらって使うべきだ」と主張して政府にこの趣旨の統一見解を出すよう求めた。だが麻生太郎首相が難色を示し、閣僚の自由意思を尊重する方針にとどめた。


世間やマスコミでは定額給付金の問題というと「麻生総理と閣僚が受け取るかどうか」が最大の関心事のようだ。もうまったく、本当に、うんざりして情けなくなるほどどうでもいいことにこだわる人が多すぎて嫌になる。まったくバカじゃなかろうか。
「閣僚の定額給付金受け取り問題」なんて「オバマ次期大統領がホワイトハウスでどんな犬を飼うか」よりもどうでもいいことだ。そんなことがゴシップではなく「政治問題」として論じられることにほとんど絶望する。

麻生総理が以前から言っているように、定額給付金の目的は「低額所得者に対する給付」と「景気の刺激」の二点である。
景気刺激の目的からすれば給付金とは「お金を使ってもらうための補助」であって、個人が受け取るかどうか、どんな目的で消費するかは「個人で決められるべきが正しいんであって、政府が何に使えとか、どうしろとかいうのを言うのはいかがなものか」というのはまったく正しい。
給付金は政府が国民に供与する「便宜」であって、どうしても受け取ってくれという「お願い」や「義務」ではない。政治家が受け取るのも受け取らないのもそれこそ勝手である。政府がお願いしたいのは消費拡大のほうなのだ。仮に私が政府の立場でいちばん虫のいい希望をするしたら、国民が「お気持ちだけいただきます、麻生さんの意気に感じて消費拡大は自分の財布でやりましょう」と言ってくれることだ。ところが実際は「給付金なんか要らないよ、景気回復は政府の責任だろ」とか「お金はありがたくいただいて貯金します、景気?誰かが何とかしてくれるでしょ」とか「金持ちだけどくれるものはもらっていいよね、『さもしい』なんて呼ばれたくない」といったわがまま勝手な意見ばかりクローズアップされる。
それが国民の本音かどうかはわからない。麻生総理を引きずりおろしたいマスコミが特に選んで増幅している気配もある。とはいえ、定額給付金がまったくの不評だとしても、「麻生総理が・閣僚が受け取るか受け取らないか」ばかりに注目が集まるのは私には理解できない。


日本人はやたらと政治家(特に政府与党)のことを批判しバカにするけれど、その反面妙に「徳の高さ」「人格の完璧さ」を求めるきらいがある。2004年におきた政治家の年金未納騒ぎなんかは典型的だ。
あのときも国会・マスコミ・世論のバカ騒ぎに辟易してニュースを見るのが苦痛だった。ずっと昔、年金未納が特に問題視されなかった時代のことをほじくりかえして「政治家失格」と言わんばかりに責めたてる。その年に始まった「報道ステーション」などはスタジオに「未納政治家」の大きな顔写真をズラリと並べて古舘伊知郎が得意げな顔をしていた。
国民年金には社会全体の支えあい助け合いの意味があるから「未納はよくない、無責任だ」と言いたくなるのもわかる。だが実際は未納を追及された政治家の多くは団塊世代かそれより上であって、「年金を払えば得をする」人たちなのである。政治家が「当たり馬券を買わなかった」のを外れ馬券をつかまされそうな国民が批判する、という奇妙な構図ができあがり、誰もそれを疑問視しない。そして、「未納騒ぎ」を追求する分だけ本来の年金制度見直し論議は後回しにされおろそかになった。
そのありさまを見て私は「未納騒ぎは金銭や政治の問題というより道徳の問題、正確には『国民が政治家に過剰な高潔さを求める』問題である」と思わずにいられなかった。

話を定額給付金に戻す。
私には「麻生総理や閣僚が受け取るか受け取らないか」にこだわる人たちの気持ちが理解できないのだが、彼らは閣僚に受け取ってほしいのだろうか、それとも断ってほしいのだろうか。どうも「どちらを選んでも文句を言う」気がしてならない。
言っちゃ悪いが、まるで駄々っ子だ。そんな「民意」のご機嫌取りをさせられる麻生総理には同情せずにいられない。

さもしい金持ち

2008年12月07日 | 政治・外交
ホンダのF1撤退について書くつもりだったけれど、妙にムカつくニュースがあったのでそちらから。
ちなみに、ホンダの撤退には別に怒ってません。

「さもしく1万2千円欲しい人も…」定額給付金で首相発言 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 麻生首相は6日夜、長崎県諫早市で自民党長崎県連が主催した首相の演説会で演説し、追加景気対策の柱である定額給付金について、「貧しい人には全世帯に渡すが、『私はそんな金をもらいたくない』という人はもらわなきゃいい。(年収が)1億円あっても、さもしく1万2000円が欲しいという人もいるかもしれない。それは哲学、矜恃(きょうじ)の問題で、それを調べて細かく(所得制限を)したら手間が大変だ」と語った。

 政府は所得制限を設けるかどうかで混乱した末、「年間所得1800万円が下限」という目安を示したが、受給辞退を呼びかけるかどうかは市区町村の判断に委ね、実質的に制限がない状態が見込まれている。それだけに、今回の首相の発言は波紋を広げそうだ。

なんだこれは。クリスマスも近いというのに余計に人をむかつかせやがって。
まったく腹が立つ、もういい加減にしてほしい。
…誤解しないでほしい、私が怒っているのは麻生総理ではなく読売新聞のほうである。

記事のタイトルに「(年収が)1億円あっても」を省いたこと、そして「波紋を広げそうだ」という騒ぎを期待する下衆な煽り。まったく低俗な記事だ。バー通い批判とか漢字が読めないとか、麻生総理に対してはくだらない難癖、ケチ付けが多かったけれどこの記事はいちばんひどい。

年収一億円の、どこからどう見てもまぎれもない金持ちが、巨額の財政赤字を抱えた国から支給される「1万2千円」のはした金(相対的に)をそのままポケットに入れる。辞退することもできるのにしない。それどころか「当然の権利だ」という顔をしている。
そういう光景を具体的に想像して、それでも「さもしくない」と言えるのか。はっきり言うけれど、これがさもしくなければ世の中にさもしさなど存在しない。金持ちであることは悪いことじゃない、むしろ立派なことだ。貧乏人(私自身を含めて)がつい金に細かく、さもしくなるのも仕方ない。だが「さもしい金持ち」は最悪である。

私はなにも「金持ちは公共サービスを利用するな」とは言わない。急病になれば救急車を呼べばいい、支払いに健康保険を使うのも当然だ。どちらも社会の基盤として広く利用されるためにある。金持ちが使っても後ろ指さされるいわれはない。
だが今議論されている定額給付金は違う。特別な状況で行われる特別な方法である。世界金融危機が世界的大不況につながるんじゃないか、絶対にそれは防がなければいけない、という状況で苦し紛れに行われるばら撒き政策だ。金持ちも貧乏人も「もらって当然」ではなく、「そこまでやらなきゃいけないのか、これは大変なことだ」と気を引き締めて受け取り(あるいは辞退し)、有効に使う義務のあるお金なのである。

私のように「1万2千円はちょっとした金額だ、けっこう使いでがある」と実感する人間(要するに貧乏人)は悪びれずに給付金をもらえばいい。景気をよくしたい、消費したいと思っても財布に金がなければできない。ない袖は振れないのだから、国から消費刺激のための金をもらって使うのはバトンの受け渡しのようなものだ。
だが「年収一億円」の金持ちは違う。彼(女)にとっての1万2千円は、年収300万円の人にとっての400円と同じ重さでしかない。貰っても貰わなくても大差ない、それどころか「貰うのに手間がかかるならいらないや」という程度のはした金だ。
政治の決定はどうなるか知らないが、私は断然「金持ちは定額給付金を辞退せよ」と主張する。そして、「金持ちなら社会に責任感を持て、景気を良くするために貢献しろ、ちゃんと自腹で金を使え」と要求する。
貧乏人や中産階級ならタクシー料金のお釣り400円をしっかり貰うのは恥ずかしくないが、金持ちなら「お釣りは要りません」と言ってすばやく降りるのが粋というものだ。金持ちが「さもしい奴」と軽蔑されたくなければ、金持ちらしく鷹揚に金を使ってほしい。


ついでだから定額給付金について言っておこう。
私は今のところ「大きな効果は見込めない、もっといい金の使い道があるんじゃないか」と思っている。だが、定額給付金というアイデアそれ自体が馬鹿げているとは思わない。アメリカでは以前から行われているそうだし、ドイツでも検討されている。
景気後退に歯止めがかからない状況の中、ドイツ政府が日本が進める定額給付金と同じようにばらまき型の「消費券」の配布計画を検討していることが明らかになった。総額は150億ユーロ(約1兆8千億円)に上るとみられる。25日付の経済紙ハンデルスブラットなどが報じた。

 同紙などによると、国内経済、個人消費を活性化させるために配布が検討されている消費券は、500ユーロ分。配布対象はサラリーマンなど約3千万人に上る。早ければ年明けにも詳細を決定する可能性があるという。

 独国内では政府が今月決めた一定期間にわたる自動車税免除などを含む総額500億ユーロに上る景気対策では不十分との声が一部で上がっていた。消費券は台湾がすでに配布を表明している。

asahi.com(朝日新聞社):バラマキ1.8兆円、ドイツでも「消費券」検討

大不況が心配されている現在の状況で、定額給付金というばら撒き政策(消費刺激策)は充分検討に値するし、実行されてもおかしくない。問題は期待された効果が上がるかどうかだ。10兆円ばら撒いても期待以上の効果が上がれば安いものだし、効果がなければ1兆円でも無駄になる。「バラマキだから無駄」ではなく、「効果がなければ無駄」なのである。
そこらへんのところがマスコミや世間では理解されてないように思う。「ばら撒きはよくない」という声ばかり大きくて「効果があるかどうか」検討されることは少ない。「ばら撒きそれ自体がよくない」と考える人は勝手に辞退してくれればいいのに、清貧を人に押し付けたがるのは困りものだ。

私は経済についての知識ゼロなので、実際のところ定額給付金にどれほどの景気刺激効果があるのかわからない。素人考えで言うと、実際の金額よりも心理的効果のほうが大きいだろうと思う。マスコミが好意的に報道し、国民が「消費意欲を高めないと不況になる、ちゃんとお金を使おう」と前向きに考えてくれたら給付金の効果は大きくなる。だが、現在のようにマスコミが細かいアラを見つけて(所得制限の有無など基本的にはどうでもいいことだ)足を引っ張り、世論も消費拡大より「冬篭り」を望んでいるような状況では大きな効果を望めないだろう。
定額給付金が失敗するとしたら(その可能性は高いと認めざるをえない)、「定額給付金自体が愚策だった」というより「愚策だ、ダメな政策だと悪口を言い続けたせいでダメになった」のだ。残念なことである。

参考記事
 「さもしい」と言う感性 - 生粋の気が向いたら書く日記

国籍法とDNA支配

2008年12月05日 | 政治・外交
改正国籍法が国会で可決成立した。
これでネットの空騒ぎも沈静化するだろうとほっとしている。
だが、煽ったり煽られたりした人たちがどれだけ正気を取り戻すのか、反省してくれるのかあてにできない。憂鬱だ。

騒ぎが始まったときから、国籍法改正反対運動の意味がわからなかった。今でもわからない。
私は法律の素人だけれど、「素人が常識的に考えて」(反対派の人たちが好む言い方)特別に問題のない、いや、憲法を守り人権を擁護するために必要な法律だと感じる。憲法とか人権という言葉にアレルギーを起こす人たちもいるが、与党政治家を国賊よばわりして何のお咎めも受けずにすむのはそれこそ憲法と人権のおかげである。

 今度の改正は、最高裁判決が出ているので改正案以外に変えようがない(DNA義務付けが無理なんて法律のプロならわかることです。)という事情、専門家からは長年にわたって問題点として指摘された点を、諸外国でとっくの昔に実施し、国際的な人権規範で認められた最低水準にあわせるだけという内容の穏当さ、生後認知された非嫡出子に国籍を与えるに過ぎないという影響力の小ささ(法務省は年間700人程度といっているらしい。過去分がどのくらい届出るかわからないが、まあそんなもんでしょ)、改正案の審議の段階から報道されているという内容のわかりやすさ(報道されていないなんてウソですよ。)、いわれのない差別の解消の必要性という大義名分、・・・もっともモめる要素のない法案だった。
 それが、衆議院の可決直前になって、デタラメな情報がネット上に飛び交って、議員も巻き込んでの大騒動。法案の趣旨は完全に没却され、あたかも偽装認知防止法を議論しているかのようだった。

改正国籍法成立雑感 - いしけりあそび

「いしけりあそび」さんは入国管理事案の経験豊かな弁護士だ。実務の現場から「国籍法改正反対運動」のバカらしさを伝えてくれてとても勉強になった。
そもそも反対派が問題にする「偽装認知」なる概念自体が私にとって「?」である。これまで認知拒否トラブルについて聞いたことはあるが「偽装認知」なる言葉は初耳だ。「認知」というのは身に覚えのある男にとってさえ大事である。まして偽装のために認知を利用させるなどというのはよほど自暴自棄でないとできない。戸籍を売り渡すのと同じレベルのヤケクソである。言っちゃ悪いが、偽装認知を軽く見ている人たちは「身に覚えのある」経験をしたことがないんじゃないか、だからリアリティが持てず妄想にとらわれるんじゃないかと疑ってしまう。
「偽装認知が人身売買に利用され日本人男性が戸籍を売り渡して何十万という不良外国人(の子供)が日本国籍を取得し治安を悪化させ生活保護を食いつぶして日本滅亡!!!!!」 …という反対派の想定するシナリオははっきり言って妄想である。多少誇張してはいるが、「国籍法 改悪」で検索すると大差ない主張をしているブログがたくさん見つかる。それどころか国会でおかしな質問をする「愛国者」「リベラル派」議員までいる。まったくあきれてしまう。
念のため言っておくと、私は経団連や一部の政治家が主張する「移民の大量受け入れ」には反対である。だが、今回の国籍法改正と移民受け入れの是非は別の問題だ。国籍法改正阻止を移民受け入れ反対の砦のように思っている人もいるが、迷惑な話である。移民大量受け入れを懸念するのは国籍法改正反対運動のような妄想やレイシズムとはまったく違う。

厄介なのは「DNA鑑定を義務付けるべき」という主張だ。
それはギャグで言ってるんですか、正気ですか、という感じなのだが、反対派は真剣らしい。まったく勘弁してほしい。
私の理解するところでは、日本の戸籍制度で実の親と認められる条件は「婚姻」「出産」「認知」である。DNAという概念は組み込まれず、場合によっては排他的に扱われる。
いい例が「代理出産」だ。向井・高田夫妻に対する最高裁判決で明らかにされたように、「出産した女性(代理母)が母親とされる」のであって、卵子の提供者である向井亜紀氏は実母と認められなかった。この場合も、夫である高田延彦氏が非嫡出子(婚外子)として認知すれば高田氏の実子と認められる。仮に高田氏が無精子症で第三者の精子を利用していたとしても、である。
私は「代理出産」とはDNA信仰によって生まれた「寄生出産」でしかないと考えている。DNAにこだわらず婚姻・出産・認知を基本とする日本の戸籍制度は正しい。仮に遺伝関係を基盤に実子認定するとしたら、制度の土台から組み替えることになりかえって社会的混乱がおきる。「代理出産」賛成派にとっては「DNA支配の勝利」ということで歓迎されるだろうけれど。

私は基本的な信条として「日常生活ではDNAを気にしない」ことにしている。
DNAにこだわりだすときりがないが、こだわってもろくなことがない。両親に学歴がないからといって「自分も頭が悪いに違いない」と思い込んで勉強しない子供がいたら叱らなければいけない。逆に両親が賢いから自分も利口なのだとうぬぼれて宿題をサボる子供もやはり叱る必要がある。DNAに違いがあろうとなかろうと同じことである。人種・民族差別や障害者(色弱など)差別についてはいうまでもない。
医療とか限界的なスポーツなどでは、わずかな遺伝的違いが大きな意味を持つこともあるだろう。DNA診断で自分の体質に合う薬を見つけるのは結構なことだ。とはいえ、DNAを重視するあまり「優生学」まで突っ走ると人権侵害になる。
まして、戸籍とか国籍といった社会制度(法律)の問題でお手軽にDNA鑑定を持ち出すのはよろしくない。実際にトラブルが起き、通常のやりかたでは解決できないとき関係者すべての同意によってDNA鑑定を行うのに反対はしない。だが「トラブルを未然に防ぐためDNA鑑定を義務化する」のはDNA信仰の行き過ぎであり乱用である。
私にとってはあくまでも「人間 > DNA」である。実際に生きている人間をDNA概念の下に置くような考え方は危険だ。気軽に「DNA鑑定の義務付け」を言う人たちは自分自身を、いやすべての人間をDNAの奴隷におとしめる危険への警戒心が足りない。

参考記事
 e-politics - 国籍法改正
   反対派の疑問・批判に対してひとつひとつ答えている

 ○○○!知恵袋 国籍法は改悪なんでしょうか? - いしけりあそび
 どうしてもDNA鑑定が気になるけど、冷静に、法的な思考をする準備はあるよ、という方へ。 - いしけりあそび
 自由帳で数学とか物理とか | 【国籍法】DNA鑑定の義務を改正案に書けない3つの理由
 想定される偽装認知? - モトケンブログ
 田中康夫氏が示した視点? - モトケンブログ
 国籍法改正案でデマを流布する人々 - 白砂青松のブログ
 la_causette: 想像力の方向と読解力