黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

また、初稿ゲラが。

2007-05-26 01:33:25 | 仕事
 依頼された書評用の本を読んでいる最中だというのに(1冊は読み終わり、2冊目にかかっている途中)、9月に刊行される予定の「村上春樹」の初稿ゲラが上がってき始めた。この「村上春樹」は18年前(1989年)に出して、僕の本としては異例の1万冊を超える部数が出た「村上春樹ーザ・ロスト・ワールド」(六興出版、この講談社系の吉川英治ゆかりの出版社はバブルで躓き倒産した)と書き下ろしの140枚ほど(と、留学生の王海藍の「中国における村上春樹の受容」50枚、合計200枚弱)を加えて1冊にして出すもので、この出版形態からもわかるように面白い本になるのではないか、と思っている。
 では何故このような本の形を取ろうとしたのか、ということになるが、それは版元(勉誠出版)の社長から「村上春樹について1冊書いて欲しい」と言われたのがきっかけで、18年前の拙著を読み返したところ、ほとんど書き改める必要を感じなかったために、ではその後から今日の最新刊(と言っても、「神の子はみな踊る」までだが)までを論じた文章を付け足して一冊にしよう、またこの際だから今ブームになっている中国での村上春樹現象について研究している留学生(博士課程後期)の文章も「付録」として付け、刊行しようということになったのである。
 結果的には、現在の村上春樹論や作家論の在り方、文芸批評の方法に対して「異議申し立て」するような内容を付け足すことができ、意味のある著作になったのではないかと思っている。テクスト論の流行以来、「作者」の問題や時代(歴史)や社会との関わりを捨象した作家論や批評が花盛りだが、そのような方法で近代文学がその本質としてきた「生き方のモデルを提出すること」(大江健三郎)について、批評家としての責務を全うできるのか、と思っていたので、そのような疑問を心底に置いて新稿140枚を書いたのである。そのような批評方法に対する批判は、本が出てから受けるとして、著者としても楽しみにしている一冊になった。九月が待ち遠しい。
 6月下旬に出る「林京子論」も、実は「村上春樹」の新稿と同じ批評方法で書いたつもりなので、著者として今年の2冊を本当に楽しみにしている。
 文学に興味を持っている読者の皆様、お買い得ですので、よろしく。

また、初稿ゲラが。

2007-05-26 01:32:21 | 仕事
 依頼された書評用の本を読んでいる最中だというのに(1冊は読み終わり、2冊目にかかっている途中)、9月に刊行される予定の「村上春樹」の初稿ゲラが上がってき始めた。この「村上春樹」は18年前(1989年)に出して、僕の本としては異例の1万冊を超える部数が出た「村上春樹ーザ・ロスト・ワールド」(六興出版、この講談社系の吉川英治ゆかりの出版社はバブルで躓き倒産した)と書き下ろしの140枚ほど(と、留学生の王海藍の「中国における村上春樹の受容」50枚、合計200枚弱)を加えて1冊にして出すもので、この出版形態からもわかるように面白い本になるのではないか、と思っている。
 では何故このような本の形を取ろうとしたのか、ということになるが、それは版元(勉誠出版)の社長から「村上春樹について1冊書いて欲しい」と言われたのがきっかけで、18年前の拙著を読み返したところ、ほとんど書き改める必要を感じなかったために、ではその後から今日の最新刊(と言っても、「神の子はみな踊る」までだが)までを論じた文章を付け足して一冊にしよう、またこの際だから今ブームになっている中国での村上春樹現象について研究している留学生(博士課程後期)の文章も「付録」として付け、刊行しようということになったのである。
 結果的には、現在の村上春樹論や作家論の在り方、文芸批評の方法に対して「異議申し立て」するような内容を付け足すことができ、意味のある著作になったのではないかと思っている。テクスト論の流行以来、「作者」の問題や時代(歴史)や社会との関わりを捨象した作家論や批評が花盛りだが、そのような方法で近代文学がその本質としてきた「生き方のモデルを提出すること」(大江健三郎)について、批評家としての責務を全うできるのか、と思っていたので、そのような疑問を心底に置いて新稿140枚を書いたのである。そのような批評方法に対する批判は、本が出てから受けるとして、著者としても楽しみにしている一冊になった。九月が待ち遠しい。
 6月下旬に出る「林京子論」も、実は「村上春樹」の新稿と同じ批評方法で書いたつもりなので、著者として今年の2冊を本当に楽しみにしている。
 文学に興味を持っている読者の皆様、お買い得ですので、よろしく。