黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

岐路に立つ日本(4)――何故?安倍政権に支持率50パーセント

2016-11-24 05:52:48 | 仕事
 1昨日の地震は、僕個人としては「3・11」以来の経験と言ってよく、久し振りに「恐ろしさ」を感じた。その時は、いつものように5時に起き、メールをチェックし、読み継いでいた高嶋哲夫の『日本核武装』(幻冬舎刊)を読んでいたのだが――高橋哲夫については、「東京新聞」に「今が分かる名著(原爆)」として原発テロをテーマとした『スピカ』(1999年)について書いて以来、ヒロシマ・ナガサキは原爆投下の責任者トルーマン大統領の「人種差別」が原因なのではないかという『トルーマン・レター』(2001年)の文庫に「解説」を書いて以来、「核」をテーマにしたエンターテインメントさっかとして注目してきた――、長く続く激しい揺れ(震度4)に、思わずデスクの横の書類ケースを手で押さえ、暖房の電源を切り、いつでも避難できる態勢に移った。そして、屋内に以上がないのを確認したあと居間に移動しテレビを点け、全てのチャンネルが地震情報を伝えているのを確認し、震源が福島沖であり福島県全域が「震度5弱」であると知り、直ちに思ったのは福島第一原発はどうなったのか、ということであった。
 結果、これは少し後のことになるが、福島第一原発の方に異常は見られなかったが、先の大震災の時はかろうじて「無事」だった第二原発の方に「冷却水」が1時間半ほどにわたって供給停止」状態になっていたと知らされ、もしかしたら「第二のフクシマ」になっていたかも知れないと思い、戦慄を覚えた。と同時に、「原発ゼロを目指す」と言いながら、喉元過ぎたと思うと前言を翻して、次々と老朽化した原発を含めて「再稼働」を決めていく安倍自公政権のやり方について、余りにも対応が「甘い」のではないか、それほど僕らの批判力は衰えてしまったのか、反省せざるを得なかった。
 というのも、「震度5弱」の地震があったその日の朝日新聞朝刊に「10月15,16日」に行った世論調査の結果が載っていて、「安倍内閣を支持しますか」の回答として、「51%」の人が支持する(不支持25%)と答えているのを知ったからである。
 確かに、第二次安倍内閣以前の民主党(現:民進党)の政治が理想を追い求める余り現実を無視するという失敗したからと言って、年金問題、少子高齢化対策、女性の社会参加、経済政策(アベノミクス)等々、格差社会の解消、どれ一つとっても「掛け声」だけで、富裕層にはいくらかの恩恵をもたらしたかも知れないが、何一つ貧困に苦しむ民衆の要求に応えず、特定秘密保護法の制定、安保法制=戦争法案の制定、等々、次々と「国家主義(ファシズム)」的な政治を進めていく安倍自公政権に、どうしてこれだけの支持を与えるのか、僕にはどうしても理解できない。
 しかし、安倍首相らが選挙の時に叫び回っていた「日本を取り戻す」の実態が、安倍首相に大きな影響を与えている(安倍氏もその一員と言われている)「日本会議」が唱えている<天皇中心の戦前の日本>であり、そのような社会を実現するために、安保法制や特定秘密保護法を制定があり、その先に「憲法改正」=明治憲法(大日本帝国憲法)への回帰があるということを、果たしてどれだけの国民が知っていて、その上での「支持率50%」なのか、国民の良識は信じてはいるが、どうにも不可解である
 多くの国民が「今」の「ささやかな幸せ」を守りたいと思う気持ちは、極貧の中で幼少年時を過ごした僕としては、理解できないわけではない。そんな境遇で育ったからこそ、僕は「象牙の塔」であった大学からも新たに収奪しようとした権力に対して「叛」の意思表示を行った1960年代後半から始まる「政治の季節」(新左翼の学生運動)に関わったのだが、年収が200万円に満たない非正規労働者が(及び「苦学」を強いられている学生)が、何故自分たちも「幸せ」になる権利があるとして権力(安倍政権)に対して「叛逆・反抗」に立ち上がらないのか、安倍内閣に「支持率50%」を与える国民の在り方と共に、僕には今ひとつ理解できないところがある。
 正直言って、それほどまでに「批評精神=批判精神」が衰退してしまったのか、と思わないわけではないのだが、このような僕の「嘆き」にもびくともしないほど現代の「ニヒリズム」が醸し出した「闇」は深いのか、とも思ってしまう。
 この深い「ニヒリズムの闇」を切り裂き広げていくには、戦時中(『白痴』)の坂口安吾ではないか、もっともっと堕ち続けなければならないのかも知れないが、早く手を打たないと戦前のように「自由」がなく、人の命が軽く扱われる社会になってしまう可能性が大である 僕らは、このことを深く認識し、安倍自公内閣に常時「NO」を突きつけ、叛逆・反抗の狼煙を上げる必要があるのではないだろうか、この頃は節にそのように思っている。