黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「哲学」無き時代に(その五)――連休中のこと

2015-05-07 10:20:51 | 仕事
 今年のゴールデン・ウイークほど「静かな」連休はなかった。
 例年は、5月4日が53歳で亡くなった父の命日なので、何となく姉弟や娘たちの家族が集まり、わいわいがやがやするのだが、近くに住む長女の家族は旦那が仕事で子供たちが水泳合宿ということで来ず、また次女の家族はこれまた旦那の故郷(岩手・盛岡)に家族で規制したので来宅せず、姉弟もそれぞれ個別な用事ができて墓参りができないから「よろしく」ということで、久し振りに僕ら夫婦だけで連休を過ごした。
 もちろん、黒古家の長男として父親の墓参りは行ったし、施設に入所している義母のところにも顔を出した。その他、やったことと言えば、連載中の「戦争文学は語る」の2回分の原稿を書いたことと、家庭菜園の整備であった。
 まず、家庭菜園でやったことと言えば、雑草を取っておいた場所に、肥料(堆肥)を入れ、その上で耕耘機を掛け、柔らかくなったところに「なす・6本」「ミニトマト・5ほん」「パセリ・3株」「ピーマン・5本」を植えた。また別な場所に「カボチャ・4本」も植えた。これまでは、「シシトウ」や「鷹の爪」などの苗も植えたのだが、結局余り食べないうちに腐らせてしまったので、多くを利用する野菜だけに絞って受け付けたのでる。
 その他、マルチをかけた場所4カ所に「キュウリ」の種を蒔き(今は双葉が出ている)、また「蔓無しインゲン」、「にんじん」「夏大根」「サニーレタス」の種を蒔いた。
 無農薬・有機農法にこだわっての家庭菜園、これが結構手間がかかり、今では20センチほどの高さにまで育ったジャガイモの場合、秋に近くの公園で集めてきた落ち葉を15袋ほど耕耘機を掛ける前に堆肥や油かすと共に畑に蒔かなければならず、結構大変なのである。
 また、畑のどこにでも生えてくる雑草は、除草剤を一切使っていないので、手でむしるか、三角ホーで一つ一つ抜くか、面倒くさい場合は草刈り機で土ごと刈り払って、何とか畑の面目を保つ、ということになる。これからは梅雨を迎え、雑草は伸び放題となる。1週間も放っておくとすぐ5センチ、10セントとのびてしまうので、「無農薬・有機農法」は雑草との戦い、ということになる。先日、本屋で手にした「自然農法」の本には、雑草を抜かず、雑草の間に種を蒔いて野菜を育てる方法が書いてあったが、僕にはそこまで徹底する勇気がない。
 それに、家庭菜園を雑草だらけにしておくと、隣近所の老農夫たちが「どうした?もう百姓は辞めたのか?」などと聞いてくるので、それも面倒と言えば面倒で、現代の農業で除草剤を使わないことがいかに大変か、今は痛感している。
 そんなわけで、連休中は家庭菜園の世話で毎日を費やしていたと言えるが、毎朝、家庭菜園を眺め、散水し、蒔いた種から新しい芽が出てくるのを見つけると、何故か心が落ち着く。これからは、その意味でいい季節である。
 なお、先に記した野菜の他、現在拙宅の家庭菜園には、「里芋」「ネギ」「タマネギ」「こんにゃく」「長いも」が植えてあり、それぞれ収穫の秋をまっていると言うことになる。今後は、女性たちが好む「サツマイモ」の苗を植え付ければ、それで全て終了と言うことになる。