黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「哲学」無き時代に(その四)――「本を読まない時代」、果たしてこれでいいのか

2015-05-06 09:22:34 | 仕事
 中国・山東省を講演旅行しているとき、どこの大学であったかは忘れてしまったが、この頃の大学生は本当に本を読まなくなった、ということが話題になったことがある。大学生が本を読まなくなったという言葉が日本で聞かれるようになったのは、もうかれこれ二〇年ほど前のことになるが、日本(世界中)と同様に「コピペ文化」が横行している中国も、ご多分に漏れず、僕が接した日本語科の教師たちは「学生が本を読まない」と嘆いていた。もっとも、本を読まないのは学生ばかりではなく、僕が知り合った教師の中には、授業に使うというので僕が送ったいくつかの本を「封をしたまま」書棚に入れ、一向に繙く姿勢を見せなかった者もいた。
 これは、中国の教育制度とも関係しているのかも知れないが(中国だけでなく、どうやら日本の教育制度も同じのようだ)、ともかく重視しているのは「記憶力」で、「思考力=考えること」が蔑ろにされるという傾向にある。資料を参考に自分の頭で考える、という学習態度(研究態度)が現在を生きる中国・日本の学生に醸成されていないのではないか、というのが僕の見立てである。
 と、ここまで書いてきて、コーヒーを取りに階下に行ったら、中度テレビでアメリカから帰国した安倍首相が、帰国してから三日間、別荘近くのゴルフ場で経団連会長や前会長とゴルフ三昧で過ごしている、というニュースを流していた。あの国会無視の、「対米従属」「対米追随」を明らかにした訪米の後、連休明けの国会再開に備えて休養を兼ねて少しは「勉級」でもしているのかなと思いきや、ゴルフ三昧
 かねてより、「硬直」したナショナリズムを振りかざして「戦争のできる国」へと一直線に進んでいる安倍首相の「無知」をさらけ出した歴史認識や社会認識に腹が立つやらあきれるやらしてきたが、今日のように「国の行く末」が混沌としている状況下で、一向の首相が三日間もゴルフ三昧とは、国民も「舐められたもの」だな、と思わざるを得ない。
 前にも書いたことだが、僕は現在「戦争文学は語る」という連載を時事通信の配信で行っているが(地元の「上毛新聞」でも四月二八日(火)から毎週火曜日に掲載されるようになった)、そこで取り上げた大岡昇平の『野火』や井伏鱒二の『遙拝隊長』、あるいは石川達三の『生きてゐる兵隊』や武田泰淳の『審判』などの戦争文学の一つでも安倍首相安が官房長官、はたまた彼ら「極右」内閣を支える官僚や政治家たちが読んでいれば、現在の『平和憲法』がいかに大切な憲法であり、集団的自衛権などを行使してアメリカの戦争に加担することなどがどんなに馬鹿げたことかが分かると思うのだが、官僚や財界からレクチャーを受ける以外、高級料亭で食事をし、休日ともなればゴルフ三昧、という安倍首相の生活からは、「本を読む』などということは無縁だと思え、絶望的なも井がしてならない。