チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

イルーニュの巨人

2009年03月20日 10時49分00秒 | 読書
C・A・スミス『イルーニュの巨人』井辻朱美訳(創元推理文庫86)

 訳者あとがきに「いずれ(の作品)もその濃密な雰囲気と、イメージの強烈さ、感覚的描写の切れのよさで、詩人の作品らしい鮮やかな余韻を残す。ストーリー自体が独創的というよりは、それらのストーリーを成立させている幻想の風土がよく描きこまれている」とあるが、まことに著者の資質を端的に言いあらわした評言だと思う。

 それはラヴクラフトと対照するとよく判る。「幻想の風土がよく描きこまれている」のは両者とも同じではあるのだが、スミスには詩人らしい感性による切れのよい描写が随所に認められるのだ。この点がラヴクラフトには欠けているところであるように私には思われる。詩的なひらめくような花やかさがないというか……。
 ラヴクラフトの作品を絵に譬えるならば、びっしり描き込まれているのはいいのだが、その結果全体に黒っぽく重くなってしまい解像度が落ちるきらいがあるのではないだろうか。要は詩人ではないのですね。もとよりこれはどちらが優れているかというのとは別の話で、ただ私自身について言えば、スミスの小説世界のほうが好ましく感じられるのは確かではあるけれども。

 「マルネアンの夜」は、ほとんど散文詩といってよい、短い枚数に凝集された硬質ファンタジーの屹立した傑作。トータル評価では本集のベスト。

 「アタマウスの遺言」は「ハイパーボレア」という(ヒロイック・ファンタジーではよくある)蒼古世界を舞台にしたもの。もっとも設定はHFながら、ヒーローは存在しない。異形の魔人(?)に蹂躙されるがままに舞台の都市は滅び去るばかり。

 「聖人アゼダラク」は、ムーアの「ジゼルシリーズ」同様の中世フランス的世界を舞台にした「アヴェロワーニュ」もの。ひそかに古き神々を信仰する司教アゼダラク。その秘密を知った若きベネディクト派修道僧は秘薬により700年過去のドルイド世界へとばされる。一種の浦島太郎もので、過去世界で美しい魔女に至れり尽くせりの歓待を受けるも、事実を知らせねばとアヴェロワーニュ世界に戻るのだが……。タイトルの皮肉がピリリと利いたラストが笑える。

 「アヴェロワーニュの獣」もアヴェロワーニュもの。大接近する彗星から魔獣が地上に降り立ち、アヴェロワーニュを恐慌に陥れる。典型的な「怪獣小説」であり「悪魔祓い小説」。ひょっとしたら「ミステリーゾーン」の類でドラマ化されているかも。

 「彼方からの光」 一種のアブダクションもの。

 「死の顕現」 ラヴクラフトがモデルらしい。読んだことがあるような気がするのだが。

 「氷の魔物」 ハイパーボレアもの。怪獣もの。カヴァン「氷」へのレスポンス(>違う)。スケール的には一番面白かった。

 「シレールの女魔法使い」 アヴェロワーニュもの。本篇も「聖人アゼダラク」の過去世界における魔女と修道僧の関係と同じパターン。結局まがい物と判っていても(自ら望んで)惑溺していく若者。サガなのか破滅願望なのか。

 「土地神」 カヴァン「輝く草地」へのレスポンス(>逆か)。

 「柳のある風景」 スミス版「押絵と旅する男」。

 「九番目の骸骨」 怪奇小説の衣を纏った軽妙なオチショートショート。

 「イルーニュの巨人」 アヴェロワーニュもの。フランケンシュタインもの。当然怪獣もの。

 「ヒキガエルおばさん」 アヴェロワーニュもの。「シレールの女魔法使い」の若者は鏡を捨ててしまうが、もし鏡を見ていたら本篇の結末になったことであろう。

 「はかりがたい恐怖」 金星舞台のSF。ナメクジ怪獣の恐怖。

 「見えない街」 メリット的な秘境ゴビ砂漠もの。むしろハミルトンによく似た話があったような。

 「余分な死体」 マッドサイエンティストの完全犯罪の結果は? もっとあたふたした様子をコミカルに書き込めばよかったのに、というのはないものねだりか(^^;

 「夜の怪物たち」 近未来の狼男の悲劇(喜劇?)。狼男の固定イメージを逆手に取って投げ捨てたショートショート。

 「ユーヴォラン王の船旅」 ゾシークという(ヒロイック・ファンタジーではよくある)超遠未来世界を舞台にしたもの。超遠未来は蒼古世界と同じような世界になってしまうようです(^^;。ストーリーは「高丘親王航海記」のようにして進み、次第に人間の世界から鳥たちの世界へと……。そうしてユーヴォラン王の探求の旅の果てに待っていたのは……王様がどんどん失っていき虚飾まで失っていきたどり着くラストがよい。
コメント
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