チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

グアルディア

2009年09月04日 00時00分00秒 | 仁木稔
仁木稔『グアルディア』(Jコレクション04)

 ペンネームからはちょっと想像できませんが、著者は女性。しかし私は読み始めるや即ピンときました(笑) 検索してビンゴ。てか読めば誰でも気づきますね。まあそういう話です(>どういう話だ)。
 つまり出産という、<連続>の契機を直接担う役割を(受け入れるにせよ拒絶するにせよ)運命づけられた生物が、エポケーせずに書けばこうなる例といえる。
 断絶ではなく連続の物語です。文化ではなく文明の物語。それがアニメ調のシナリオと相俟って老残の身には読みづらいこと夥しかったのは事実(^^;

 世界設定は微に入り細をうがっており(逆にいえば過剰。読者が想像力を働かせる余地があまりない)、それはいいとしても、その提出の仕方は難がある。後出しジャンケン的というか(けだし書き継いでいるうちに、著者自身気づいてなかった作品そのものがおのずと示す設定に、次第に気づいていったということでしょう)。しかもそれをぜんぶ会話で「説明」してしまう。これがよくない。説明は作品を平板化するのですよね。もっと描写しなければ折角の設定が面白くならないと思いました。

 その世界設定内でのドラマがどうにもアニメで、「そうかこれは小松左京の「お告げ」であるな」と感じた次第(笑)。まあラノベのつもりで書かれたのだったら仕方ないですが、Jコレで出たからにはそんな読者ばかりではないということです。

 あれもこれも詰め込むのは決して悪いとは思いませんけれども、プレゼンテーションが下手くそなせいでとにかくごった煮感が強く、絵の具の色を混ぜ合わせると最終的に黒に近づいていくのですが、そんな感じで全体に黒く濁ってしまった印象です。

 ――と、欠点の目につく小説でしたが、それは私との相性の問題がほとんど。客観的にはSF界に独自のフィールドを開拓しうる才能であるのは間違いない。作家として一番大事なオリジナリティは確かにあり(原石でまだ磨かれていませんが)期待の新人といえるでしょう。

 しかしながら、相性とは無関係な欠点がやはりある。それはこの長大な物語を通して遂に「他者」が出現しなかったことです。小説世界を作者が完全に支配しているのは当然のことなんですが、小説とはその結果として、そうすればするほど「他者」が立ちあらわれてこないではいない。そうでなければ真の「小説」ではないと私は思います(たとえば佐藤亜紀「アナートリとぼく」は、原作者のトルストイ自身全然気づいてなかった小説世界(他者)の存在を提示したものといえます)。

 おそらくそれは、著者が自らの女性性をどこまでエポケーできるか、自己の様々なレベルでの出自(連続性)をいかに切断・断絶できるかにかかっているはずで、その辺をどれだけ「再考」し、再帰的視点を獲得できるかが、今後真の作家(真の作家でない作家はもちろん掃いて捨てるほどいる)となりうるかの分かれ道といえるのではないでしょうか。

 本篇以降すでに作品を上梓されているようなので、また読んでみたいと思います。
コメント
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