森達也『悪役レスラーは笑う 「卑劣なジャップ」グレート東郷』(岩波新書、05)
子供の頃は、年齢が1才違うだけで、その見る「世界」がずいぶん違ってしまうものだ。
56年生まれの著者は「グレート東郷」をリアルタイムでは観ていないそうだ。が、55年生まれで一歳年上の私はよく覚えている。
まあ祖父がプロレス大好きだったので、そういう特殊な事情もあるかも知れない。世紀の力道山vsデストロイヤーの対決も祖父は眠っていた私を起こして見せてくれた記憶がある。
といっても「グレート東郷」、今となってみれば大方は忘却の霧のかなたで、実際のところはその風貌と頭突きをほんの痕跡程度に覚えているに過ぎないのだが、私はけっこうこの「グレート東郷」が好きだったように思う。
ずんぐりむっくり体型で技といったら頭突きだけ、いわばカッコよさの対極に位置する選手だった。ところが、そこがどうも私好みだったようだ。というか子供は(本場米国での暴れっぷりは知らないから)こういうちょっと滑稽味がある選手が好きなものなんだろう。
それはさておき、この謎に満ちたプロレスラー「グレート東郷」とは一体誰だったのか、が本書のテーマ。
で、著者が調べれば調べるほどに、彼の人物像は矛盾し拡散しぼやけていくのだ。
ここが本書の面白いところだと私は思う。
わたしは、この矛盾全てが事実なんだろうと思う。すべてを併せ持って「グレート東郷」なんだろうと考える。
たとえば、アメリカ修行中、同じように東郷の世話になるジャイアント馬場とグレート草津の、ふたりの東郷観が正反対なのは、どっちが間違っているというようなものではなく、合うとか合わないとかも含めて、どちらも真実だったに違いない。東郷に限らず、人間ってそういうものではないだろうか?
本格パズラー小説における手がかり(ピース)は、結局すべて盤上にピタリとハマり、最終的に「唯一」の真相を明らかにする。ところが、同様にパズル的な構造を持つジーン・ウルフの小説の場合、その手がかり(ピース)は、いうなれば同じ形をしているのであって、その結果ピースを入れ替えてもパズルは完成してしまう。つまり真相は「不定」となってしまうのだが、この「現実」もどうやら探偵小説よりはウルフの小説に似ているのに違いない。
そういう次第で、(当然ながら)「現実」に属する「グレート東郷」もまた、唯一の解などありえるはずがないのであって、真相は「不定」とならざるを得ない。
同じことは力道山にもいえる。ニッポン精神、大和魂を鼓舞する力道山は、その時本心よりそう思っているのであり、決して演技しているのではないはず。そして38度線の北に向かって吼える力道山もしかり。どちらかに決め付けるほうが間違っている。
本書は唯一の解を求めつつも、その結果解が不定であることを正直に記述している(解が得られなかったからといって都合のよい解を捏造していない)。一見「泰山鳴動して」的な印象を持つかもしれないが、実にそれこそが本書の読みどころなのだ。
子供の頃は、年齢が1才違うだけで、その見る「世界」がずいぶん違ってしまうものだ。
56年生まれの著者は「グレート東郷」をリアルタイムでは観ていないそうだ。が、55年生まれで一歳年上の私はよく覚えている。
まあ祖父がプロレス大好きだったので、そういう特殊な事情もあるかも知れない。世紀の力道山vsデストロイヤーの対決も祖父は眠っていた私を起こして見せてくれた記憶がある。
といっても「グレート東郷」、今となってみれば大方は忘却の霧のかなたで、実際のところはその風貌と頭突きをほんの痕跡程度に覚えているに過ぎないのだが、私はけっこうこの「グレート東郷」が好きだったように思う。
ずんぐりむっくり体型で技といったら頭突きだけ、いわばカッコよさの対極に位置する選手だった。ところが、そこがどうも私好みだったようだ。というか子供は(本場米国での暴れっぷりは知らないから)こういうちょっと滑稽味がある選手が好きなものなんだろう。
それはさておき、この謎に満ちたプロレスラー「グレート東郷」とは一体誰だったのか、が本書のテーマ。
で、著者が調べれば調べるほどに、彼の人物像は矛盾し拡散しぼやけていくのだ。
ここが本書の面白いところだと私は思う。
わたしは、この矛盾全てが事実なんだろうと思う。すべてを併せ持って「グレート東郷」なんだろうと考える。
たとえば、アメリカ修行中、同じように東郷の世話になるジャイアント馬場とグレート草津の、ふたりの東郷観が正反対なのは、どっちが間違っているというようなものではなく、合うとか合わないとかも含めて、どちらも真実だったに違いない。東郷に限らず、人間ってそういうものではないだろうか?
本格パズラー小説における手がかり(ピース)は、結局すべて盤上にピタリとハマり、最終的に「唯一」の真相を明らかにする。ところが、同様にパズル的な構造を持つジーン・ウルフの小説の場合、その手がかり(ピース)は、いうなれば同じ形をしているのであって、その結果ピースを入れ替えてもパズルは完成してしまう。つまり真相は「不定」となってしまうのだが、この「現実」もどうやら探偵小説よりはウルフの小説に似ているのに違いない。
そういう次第で、(当然ながら)「現実」に属する「グレート東郷」もまた、唯一の解などありえるはずがないのであって、真相は「不定」とならざるを得ない。
同じことは力道山にもいえる。ニッポン精神、大和魂を鼓舞する力道山は、その時本心よりそう思っているのであり、決して演技しているのではないはず。そして38度線の北に向かって吼える力道山もしかり。どちらかに決め付けるほうが間違っている。
本書は唯一の解を求めつつも、その結果解が不定であることを正直に記述している(解が得られなかったからといって都合のよい解を捏造していない)。一見「泰山鳴動して」的な印象を持つかもしれないが、実にそれこそが本書の読みどころなのだ。