チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

アメリカの七夜

2004年09月07日 20時02分36秒 | 読書
ジーン・ウルフ「アメリカの七夜」浅倉久志訳(SFM04年10月号)

 本篇は究極の「み~た~な~」小説です(^^;
 かつて世界の中心であったアメリカですが、この小説の時代は、自ら作り出した(決して干からびないパンや、害虫駆除用の無数の毒薬等)自然界に存在しない化学物質によって自己崩壊してから100年が経過している。アメリカ人は殆どが遺伝子損傷で奇形化しており、一種終末世界が現前しています。
 この当時、世界の中心はイスラム世界に移っているようです。イラン人の御曹司が、かかる奇形アメリカ人の跋扈する旧首都ワシントンにやって来、異様な(現実とも幻想とも判然としがたい)7日間を体験します。
 その意味で、本篇はゴシック小説である、ともいえると思います。著者は「ケルベロス」において、系外宇宙の双子惑星にゴシック世界を構築しましたが、本篇では、なんと科学と進歩の国・アメリカの栄えある首都を、奇形が徘徊するゴシック都市化してしまいました。
 これは明らかにウルフのアメリカに対するアレゴリーでありましょう。まさにNWの典型といえます。日本でいえば中井英夫とか、そういう立ち位置を占める作家ではないでしょうか。
 外枠は上述の通り、ゴシック小説であり「み~た~な~」小説、すなわち怪奇小説なのですが、単にそれで終わらないのは、小説をそのままストレートに描写しないその筆法にあります。その結果、小説世界は輪郭が曖昧になり、現実と幻想が分かちがたく融合し、その何とも知れぬ闇の蟠りのような内奥が、読むことの快楽を味わせてくれるのです。

 ところで特集解説で柳下さんが、「七夜」なのに実際には六夜しかない。一夜は省略されていると書かれています。
 私の解釈では、ちゃんと「七夜」あります。
 10pの「やっと到着!」で始まるパラグラフを第一日と捉えられたのだと思うのですが、実はその前日があるのです。
 主人公は、こう書きます。

 どこからこの日記を書きはじめるか。ぼくにとってのアメリカは、海の変色からはじまった。

 つまり主人公にとっての「アメリカ」は船中から始まるのです。上の文に続けて、

 きのうの朝、デッキに出てみると、海が緑色から真っ黄色に変わっていたのだ。

 とありますから、「やっと到着!」で始まるパラグラフは、実は第2日目の日記ということになります。
 ことさら「謎の一日はどこだ?」と思わせるような書き方をすることで読者を煙に巻いて、ウルフは面白がっているのです。
 そういう意味で、「ケルベロス」もそうですが、ウルフは「新本格的」(特集鼎談の大森さんの発言)というよりも、むしろ「邪馬台国論争的」という方が近いのではないでしょうか(^^;ゞ
コメント
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