現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

公共ということ。

2014-09-26 | Weblog

難しいことを言うつもりはないが、たまたま公共事業といっても必ずしも万人に公平とは言えないということを述べているのを目にした。あまり深く追求したわけでもないので、さわりの部分しかわからないが、ひとつの例えが、新幹線事業だ。そういえば、そうだったと思ったことがあった。新幹線というものが出来た。それでも運賃が決して安くもなく、開業直後の新幹線に乗ってきたといえば、ひとつのステータスと言えなくもなかった時分がったように思う。ましてや、国内線であっても、飛行機に乗ること自体が、お金持ちでないとできない仕業だった。新幹線についても、飛行機まではいかずとも、同じく、高い新幹線特急料金を払える人しか乗れないという時期があった。お金がない人は、従来の特急もしくは急行、もしくはそれ以下の自分の身の丈に合った乗り物を選ぶということも違和感がないということもあったように思う。

そういう意味で、当時の新幹線事業は、厳密に言うと、公共事業に加えられたとしても、不公平な事業と捉えてかまわないという理論だった。狭い意味というか、真に公共事業という場合は万民に公平でないと、そのように表現することはおかしいと伝えていたが、なるほどと思う反面、非常に線引きが難しいものだなあと直感した。いわゆる箱モノや、何か建造物に絡むものであれば、どうしたって、それが存在する地域に、受益の恩恵に預る人々は限定されてしまうだろうし、モノを運ぶ物流の一翼を担っていると考えれば、その恩恵に預る裾野が広がるだろうし、突き詰めれば突き詰めるほど、頭の中が混乱させられるばかりだ。

自分の稚拙な頭の中では、資本主義の不平等を解消するのが、社会主義や共産主義と教えられてきたと思っていたが、どうしたら中国で超お金持ちになれるのだろうか? もちろん経済は政治体制に関係なく、市場原理に任せるという理屈だろうが、もはや政治、政府のあり方、あり様は、経済の動きとは全く別物だということが証明された、政治のありようが国民の平等、不平等にはなんら無関係だということと結論づけられたという解釈で間違いないのだろうか?

話題はスポーツに映るが、アジア大会の日本勢の活躍が報じられるが、メダル獲得数では、圧倒的に中国が断トツで、2位3位を韓国で競っているのが実態だ。何でも先進国である日本が、どうしてぬきんでるということにならないのだろう? 世界では相変わらず総合的にはUSAがその強さを意地しているように思うが。ゴルフの世界では、世界レベルでも国内大会でも韓国勢や台湾勢に安定した成績を残されてしまう。日本はトレーニングの仕方が間違っているのか、精神的に脆いのか? 衣食住に足りて、栄養補給の面ではそれこそなんでも揃うと思ってしまうが、ゴルフでは体格の差などないように思うのだが、同じアジアでも断トツに勝てない理由ってなんだろうか? (それこそ、今、話題に上る若手勢がいなければ、さらにボロボロの結果となってしまっているだろうに。) 環境が不十分なのだろうか? 指導性に問題があるのだろうか? ハングリー精神の欠如なのか? 中国や韓国は、かっての東ドイツやソ連のように、特別待遇・強化の連続なのか? そういえば国連の事務総長の椅子も韓国となっているが、日本人が就任したこともない。小さな島国の限界を感じずにはいられない。