デング熱のデングって? と思ったら、単にウイルスの名前がデングウイルスということだった。
自分自身の社会人経験の50%が、夏場の飲料の販売量に左右される業界に身を置いていた。もちろんライバル企業との競争や、差別化をどう打ち出すか、価格設定など、いろいろと企業業績を向上させる目的で、戦略、戦術はあったと思う。そうであっても、一番の影響要因が夏場の天候だった。当たり前のことだが、冷夏であれば、総じて冷たい飲料に手が伸びないのだから、販売量は自然と下がる。暑い夏が続くと、今度は逆に、何もしなくてもどんどん伸びる。現金なもので、暑い日が数日続くだけで、品薄となるため、緊急オーダーがすべての得意先から一斉に入る。それだけ、誰も予測してなくて、十分な在庫など持っていないことを如実に表している。気温が高すぎても、購入される製品が異なってくると分析上は細かく、とやかく言う人、言う会社があるが、所詮、そんなことは大勢とは関係ない。晴天で暑い日が続けば、どんな飲料でも売れていくのだ。お茶が売り切れていたら、水でも辛抱するし、サイダーでもOKだ。その瞬間にのどの渇きを潤すことが最重要なのだ。何度だkら、アイスクリーム、何度だからかき氷などと、ごちゃごちゃほざいてみたところで、それが一体何になるの!? ということだ。非常にシンプル、天気がよければ、飲料の消費は伸びて、それに関わる企業も、その時は潤うということなのだ。
こういうことは、企業のトップを含めて全員わかっていることなので、冷夏で業績が落ちた時に、社内で、堂々と天候が悪かったということがまかり通った。こればかりは、人智で、どうしようもないことだ。晴天の時もあれば雨天の時もあるということ。悪い時もあれば、良い時もある。通常気象であれば、なんら大きな狂いが生じないのに、異常気象ならばいたしかたない。というような状況のなかでの長年の社会人生活だったため、どうしても短期的に一喜一憂する会社や、人様には、ついていけない。悪い時があるということは、良いことも、その次にはやってくるという証だ、ぐらいに、考えればいいじゃないの! と、思える程度の、余裕を自分は示したいと思っている。
いろいろなジェネレーション(世代)があった、ある。1995年のネット社会のスタートにより、日本のような島国でも、多様な価値観がある、それを認めざる得ない、受け入れていかねばなるまい、となってきて、まだまだ十分ではないが、昔より、縛り、束縛がなくなったような気がする。いろんな若いスポーツ選手がでてくるのもしかり、錦織選手などは、決して日本国内のトーナメントで鍛えられたわけでないから、米国でしっかりと米国式のトレーニングを積み上げてきた結果だから、単に国籍が日本ということで、日本システムの素晴らしさの反映でもなく、むしろ海外に出ないとだめなんだとい側面もあぶりだしたといってもいいのではないだろうかとさえ思っている。
今回の一連の朝日新聞にまつわること、決して、その時代のひとが引き起こしたわけで、その時代、ジェネレーションの者たちが、どういう価値観、環境に身を置いて、処世してきたかを示しているのだ。社内での出世や、周りの旗色、ご機嫌ばかりを気にせざるを得ない世代、価値観といったことも、あながち無関係ということでもなかろう。戦前でもなく、戦中でもない、戦後直後の世代連中が、背骨を持たず、中途半端な平和ボケの中で、NO.1でなくてもいいから、ONLY ONEになりたいと唱えつつ、人の目ばかりを気にして、確固たる信念を持たず、事に処してきたということもありはしないか? 自分自身も、同じ時代に身を置いた一人として、くやしくてしかたがない。
損か得か、人間のものさし。うそかまことか、仏さまのものさし。(相田みつを) より。