現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

予測、予知

2014-09-30 | Weblog

ある方が言われた。膨大なデータが記憶できる→それらのデータから何か読み解くことができるか、分析という作業がはじまる→その結果として予測を策定してみる→現実は、予測通りにはいかないことを知る。

最近は、このようなことができるので、このようなことをしないと安心できないというか、弾き出された予測というものに一喜一憂してしまう。そもそも将来、未来が予測できているならば、そんなつまらないことはないでしょうと言われる。どうなるのか先が見えている人生など、死ぬその日までの道程が見えたとしたら、それで一巻の終わりとなるだけだ。

晴れと期待(予知)していたのに、雨となれば、倍以上、落ち込むことになるでしょうと言われる。それはデータ解析結果に依存しすぎるから起こるギャップの落差だ。毎日毎日が予測できない状況が生まれ、それに上手く対応、適応させていくことを、風流に人生を送るとなるのであって、風流という揺らぎが絶えず存在することが、至極自然なことなのだそうだ。計算しつくされた人生などなく、日々、揺らぐことが当たり前。その中で答えを導き出すこと、道を発見することの繰り返しが生きることだと説かれる。

運、不運もあったろう。予測・予知があろうと山頂へ出かけた人は出かけたはずだ。天命であったかもしれない。噴火の現場から、どういう道を探しだしたか。とどまる結論、危険承知で下山する選択。想像だにできない事態、岐路と人生。

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