A社のプリン体ゼロ・糖質ゼロの発泡酒を試してみた。残念ながら飲んだ感想は、違和感を感じるものだった。何か本来のビールの味が出ていない薄めの飲料に、無理矢理に風味を出すために、何かを追加しているような感覚で、リピーターになるのは少し厳しいかなとの感想を持った。SP社の製品についても同じような感覚を覚えた。
「やってみなはれ」という言葉は、サントリーの佐治さんの専売特許かなと思っていたが、実は静岡県浜松が発祥の、ホンダの本田さんも同じことを言っていた模様だ。加えて、「石橋はたたかないで渡れ」とも。さらに、際立っているのは、「チーム内に権威を作るな」とも言っていたそうだ。おそらくこれは推測だが、自分自身でワンマンになる危惧を持ちつつ、常に原点回帰反芻を自分の中で行い、あえて分業・専門体制というかチーム作りへ意図的に持ち込んで行ったのだと思う。すべての人が公平平等で、意見を言うことにためらう必要がなし。屁理屈を唱える前に、まずは行動してみよと。やってみた結果の失敗は、その後の糧になる。
このような話を聞くだけだから、本当の所まではわからないが、何か一般的なオーナー経営者や、永続性ということを掲げたコスト管理方法論ばかりに終始する経営手法とは違う部分を感じ取ったというのが正直な思いだ。
一昨日、昨日、今日と全米オープン・錦織選手の話題でもちきりだ。これまた、快挙だと思う。13歳で自ら志願してテニスのために留学をして、その後、高校を卒業できない状況にも日本へ戻らず、テニスのために米国修行を選んだとのこと。詳細についてはわからないが、よくぞ、その年齢で、先を見越して、人生の目標というか、設計というか、しがみつけたものだと感心させられる。単純に表現すれば、「自分にはこの道しかない」と決意できているのだから、一生かけて自分が取り組むものと判断できる何かがあったのだろう。24歳にして、世界で唯一と言ってもいいぐらいの大舞台に立てるのだから、並みの心臓では耐えられないぐらいの重圧も味わっているのだろう。トーナメントで、決勝まで進むという事は、試合数は優勝者と同じだけ戦うのだから、と勝とうが負けようが、そのように称えたものだ。
約30数年前、初めての米国で感じたことは、米国人と日本人の背丈を含めた体格の違いと、多人種国家ということを身を持って思うということだった。その後、米国については、どんどん他国からの移民も引き続き増え続け、ヒスパニック系の伸びが大きく、第2国語がスペイン語とまで言われるようになった。おそらく30年ごろ前は、人口は2億に届いていなかったものと思うが、その後、2億5,6千万人(1995年当時)を経て、今は3億を突破している模様だ。そうなってくると、実際に訪問してみても、体格や人種などについても、30数年前とは違っているということを実感させてくれる。極端に日本人の体格が大きくなったわけでもないのだが、以前ほどの見た途端の恐怖感ということはなくなってきたように思う。(その代わり、横幅については、輪をかけてすごさを増していると思うが。)もっとも、人のことを言えたものでないと自戒しないとだめだとも思うが、なんの努力もしていないのだから、当然の結果だ。