現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

学生街の喫茶店

2014-12-12 | Weblog

高倉健、菅原文太が相次いで亡くなったが、映画館で彼らの映画自体は見たことがない。唯一、八甲田山、死の彷徨はみたように思うが。それというのも原作者の新田次郎が好きで、この原作を含め、読んでいたので、本とどれほどの違いが出るのか確かめたかった。八甲田については、原作から自分でこしらえたイメージと、大きく違いがなかったというのが、珍しいことだなと思ったのが、正直な感想だ。

それよりもガロのメンバーの一人も、ガンで亡くなったとのこと。まさに、同時期を共有するため、ショックなことだ。なんとなくけだるさをも醸し出す、「学生街の喫茶店」のメロディ。阪急・六甲駅のすぐ北側にある、喫茶店 「ビオレッタ」 に、土曜の部活の帰りなどに立ち寄ったものだ。レスカ(レモンスカッシュ)に、冷コ(アイスコーヒー)を飲んで、仲間外れにならぬよう、セブンスターに手を伸ばした頃だ。自分にとっては、懐メロといったカテゴリーには入ってないが、このニュースを報道するキャスター、アナウンサーにとっては、歌詞もメロディも知りませんとなるので、その部分も併せてショックだ。

バンバンの 「いちご白書をもういちど」、シューベルツの 「あの素晴らしい愛をもう一度」、決して風化していない。「なごり雪」 も、原曲のかぐや姫バージョンがいい。ギター2本とベースだけのシンプルさが素朴な味を生む。「22才の別れ」も、かぐや姫から 「風」へ引き継がれるが、やはりオリジナルのほうがいい。S&Gの、スカボロフェアなんかも、ギター弾き語りをコピーしたりした。

学生運動には、同じ年代なのに共感せず、ひたすら部活一筋。狭い了見だったなあと思う。もっと広い視野で、せっかくのたくさんある時間を、いろんな同い年の者とも話せばよかった。ひとつの運動部の者だけとの付き合いに終始することになる。もちろん3年からの専門課程に上がってからは、卒論目的のゼミというところも加わるのだが、ゼミへ全力でという風にはもっていけなかったことも悔やまれる。おもに日本海エリアを含め、西日本が中心だが、もっともっと自由な特権を生かせばよかった。勝手に自分たちでストイックな規律を作り、ひたすら4年間を費やしたけれど、その当時は、それが絶対と信じて疑わなかった。

1時間前も、10分前も、1分前も、1秒まえも、戻ることはなく、前へ進むことがあるのみ。そう考えると、時間軸をも含めて考えれば、同じように思える、見える毎日も、全く同じ時間、同じ日なんて、そもそもないのだ。すべてが違う。変わっている、変化しているのが当たり前で、そのことに気づかないだけだ。

今日は漢字の日ということだ。道、辻、迷。先頭をきって突き進むから道なのか。左右、前後があるから、つじとなるのか。八方向や八十八に分かれるから迷うのか。

果たして、今年の漢字は、清水寺では、どうなるのか? 滞 ?、偽 ?、戻 ? 。