確か、昔は道徳という名の授業があったと記憶しているが、今はズバリ道徳という名の授業はできないみたいだ。それで、文部科学省がその復活を模索している模様だ。自分たちは、基本的には教科書の事柄をうのみにしてきたと思っている。でも、それはあくまでも一面からの考え方の表明にすぎず、いろいろと別の考え方もあるとわかってきた。それを多様性といい、人それぞれ違うんだとばかり、主張するが、それだけでは単なるエゴイズムと変わらないということだ。そうかといって、それを教科書という形にしてしまうと、2次元的な平面的な考えを押し付けることにもなる。ボランティア、一般には奉仕と訳されたりするが、実際は義勇軍、義勇兵というのが始まりらしい。それには正義というものがなくてはならない。さらには、正義ということには、道徳の繋がりがでてくることになる。そう考えると、ハーバード大学のサンデル教授の教え方というのは、上手くこの点を中心に据えて、授業を進めているという風に解釈できる。
多様性の反対語としては、一様性ということになり、俺はこう考えるばかりでは、どこかで落とし所を探していかねばならない。そもそも、勉強、学習というのは、独学でもマスターしていける領域のものであり、他人の価値観を無視してでも、進めることも可能なようだ。しかし、人間、不思議なもので、それだとどこかで限界を迎え、なんかやる気が起きなくなてしまうものらしい。そのやる気を引き出させてくれるのが、仲間、集団といった、人と人のつながり、まさに人間、人の間というところに身をおくことにより、やる気が蘇るとのことだ。単なる、目標を設定したから、数値で物事をとらえたから、そんなことでは、やる気など出てきやしないということだ。道徳というものがなければ、所詮、人間の進歩や成長は望めない。すなわち、道徳はデジタル信号でもなんでもなく、人情を生み出す、プラットフォームといような位置付けなんだろう。人情なきところに、喜びや達成感を味わうことなどできやしない。