現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

フリーダイヤルからのストレス

2014-12-03 | Weblog

手続きのためにケータイからNTTへ電話した。あえて有料側の番号を選んだのだが、応対の女性が真っ先に「この電話は有料なので、フリーダイヤルへ掛け直してほしい。用件の担当はそちらなので。」と言う。こちらは自動応答などが嫌だから電話したのに、用件対応はそちらのフリーダイヤルでと押し切られた。フリーダイヤルにかけ直すも、案の定、ただいま混み合っている旨のアナウンスで、かけ直すようにとガイダンスが流れて切れる。そしてまた掛け直す。今度は、しばらく待てと言う。ようは生身の人間の声につながるまでに、待たされる。フリーダイヤルだからと言って、待たせてもいいということか?最近はわざわざ窓口のある銀行へ出かけても、ATMに行列ができているので、窓口側へ行こうとすると、立っている行員から用件はなんですか?と、まずは尋問される。自由に窓口へ行くなり、番号札をとることもさせない。まるでここは社会主義国か?

最近はなんでもかんでもフリーダイヤルで、まず一発でオペレーターにはつながらない。録音された音声ガイダンス。用件の番号を選んで、待たされる。ようやく話せたと思ったら、新人さんが出て、しゃべる内容は原稿、マニュアルを見ながらの定型文句を並べる始末。「お待ちください」とさらに長らく待たされる。昔なら、電話の相手がベテランに変わり、ちゃっちゃっと「さすが」と思わせるように、スムースに手続きを進めてくれるとともに、こちらに安心感を与えてくれる。今時は、あくまでも同じオペレーターが出て、同じ内容をくりかえすだけ。「本当に大丈夫?」と念を押すと、またまた「お待ちください」となり、長らく待たされた挙句、「こういう風に答えろ」と言われた通りの言葉が出るだけ。電話だからといって、全くもって、得意の「おもてなし」の精神もあったものじゃない。

カタログを見ても、ネットで調べても、直接に話せるような部署についての情報は一切なし。どこから輸入されたか知らぬが、合理化された、省力化された外国からの仕組みをそのまま活用しているのには、ほとほと呆れかえる。それでもって、片やコンプライアンス、コンプライアンスと連呼しており、これも輸入品。ここにきて、よく使われる説明責任、説明責任、アカウンタビリティなる用語も、体よく、果たした・果たしてないに関係なく「説明しました」で、幕引きとなるだけで、前後に、この単語が踊りまくるだけに終始している。

こんな時は、ゆっくり風呂にでも入るに限るか! 

最近購入した、入浴剤のアロマバージョンでも放り込めば、単にお湯の色だけでなく、アロマの香りも意識したレシピのようで、従来の温泉バージョンとは少し違う趣を味わえる。五感をすべて活用するぐらいの癒しでなければ、リラックスも消化不良に終わってしまう。