(おしょうけん 松見屋敷 愛知県宝飯郡小坂井町伊奈)
伊奈城の南には、小さな森に包まれた墓地がある。
この場所は元々、伊奈城六代本多忠俊夫妻墓碑(別々)、光忠夫妻墓碑(合祀)の三基の墓所であったが、天正十七年(1589)酒井忠次の二男康俊を伊奈本多家の養子に迎え、伊奈城八代とした際に、七代忠次(松見)が隠居した場所という。
忠次の死後、父夫妻、兄夫妻と同じこの地に墓碑が建てられた。また、本多家の菩提寺である、近江膳所(大津市)の浄土宗縁心寺には、このお松見の絵図が残されている。
(本多忠俊室墓碑:天文九年没)
(本多忠俊墓碑:永禄七年没)
(本多光忠夫妻墓碑:室・天正二年没・光忠天正八年没)
(本多忠次墓碑:慶長十八年没)
(関連記事:花ヶ池)
伊奈城の南には、小さな森に包まれた墓地がある。
この場所は元々、伊奈城六代本多忠俊夫妻墓碑(別々)、光忠夫妻墓碑(合祀)の三基の墓所であったが、天正十七年(1589)酒井忠次の二男康俊を伊奈本多家の養子に迎え、伊奈城八代とした際に、七代忠次(松見)が隠居した場所という。
忠次の死後、父夫妻、兄夫妻と同じこの地に墓碑が建てられた。また、本多家の菩提寺である、近江膳所(大津市)の浄土宗縁心寺には、このお松見の絵図が残されている。
(本多忠俊室墓碑:天文九年没)
(本多忠俊墓碑:永禄七年没)
(本多光忠夫妻墓碑:室・天正二年没・光忠天正八年没)
(本多忠次墓碑:慶長十八年没)
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