flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

お松見

2008-04-02 00:00:16 | 城郭・城下町
(おしょうけん 松見屋敷 愛知県宝飯郡小坂井町伊奈)
 伊奈城の南には、小さな森に包まれた墓地がある。
この場所は元々、伊奈城六代本多忠俊夫妻墓碑(別々)、光忠夫妻墓碑(合祀)の三基の墓所であったが、天正十七年(1589)酒井忠次の二男康俊を伊奈本多家の養子に迎え、伊奈城八代とした際に、七代忠次(松見)が隠居した場所という。
 忠次の死後、父夫妻、兄夫妻と同じこの地に墓碑が建てられた。また、本多家の菩提寺である、近江膳所(大津市)の浄土宗縁心寺には、このお松見の絵図が残されている。
(本多忠俊室墓碑:天文九年没)
(本多忠俊墓碑:永禄七年没)

(本多光忠夫妻墓碑:室・天正二年没・光忠天正八年没)

(本多忠次墓碑:慶長十八年没)

(関連記事:花ヶ池
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志太郡 島田陣屋

2008-04-01 00:00:43 | 城郭・城下町
(島田代官所 静岡県島田市柳町)
 現在の「おび通り」を中心とする付近に島田陣屋は存在した。
 駿河府中徳川頼宣臣である長谷川長親が、元和二年(1616)に屋敷をこの地に建て、寛永十九年(1642)子の長勝のとき、陣屋に改められた。長春、勝峯と続き、元禄五年(1692)から元禄十一年(1698)野田秀成が代官を務め、その後、遠江中泉、三河赤坂の出張陣屋となり、明和七年(1770)からは岩松純陸(すみたけ)、純春、天明八年(1788)からは野田政晟(まさあきら)が務めた。
 寛政六年(1794)政晟は駿府紺屋町代官となり、同出張陣屋となった。そして、静岡藩郡政役所となり、明治4年(1871)廃止された。
 陣屋跡の北側に存在する御陣屋稲荷神社は、かつて陣屋戌亥の方角(北西)土塁上に祀られていたものである。
(おび通り)
(関連記事:島田宿
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