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(名張城 名張陣屋 藤堂屋敷 三重県名張市丸之内 県指定史跡)
私の父の故郷今治に縁のある名張は、今治城から移った藤堂高吉が住したところである。現在は三重県ながら、人の流れ、文化、都市圏は完全に関西である。名張は名張川沿いに形成されたまちであり、平地が長く続かない。その最高所に藤堂家の屋敷があった。
この場所には元々、筒井定次臣松倉勝重の城があり、慶長十三年(1608)藤堂高虎が伊勢、伊賀の領主となり安濃津に移り住むと、名張には梅原武政を城代として置いた。然し、元和三年(1617)武政を罷免し、伊賀上野城の藤堂高清が支配することになった。そして、寛永十二年(1635)高吉が伊勢国二万石を領し、今治から名張に移った。二万石の領主であったが、高虎の藩内領主という扱いであったため、大名ではなかった。以後、名張藤堂家として続き明治維新となった。
当時の遺構は残されていないが、宝永七年(1710)の大火によって建物を焼失して以後、藤堂長源(ながもと)の代に再建された屋敷の一部が残されている。また、背後の寿栄神社には、旧藤堂家邸の太鼓門が移築され残っている。そして、名張川沿いの徳蓮院には、高吉以降の墓碑が並んでいる。
(名張藤堂家菩提寺徳蓮院)
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凄いですね…見ごたえがあります。
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