(愛媛県越智郡朝倉村朝倉南 1号墳:県指定史跡 1990年9月14日踏査)
朝倉は古墳の村というほど、多くの古墳が存在した。この野々瀬古墳群も、終戦直後に112基が確認されているが、食糧政策により開墾が行われ、40基にまで数を減らした。
1号墳(七間塚)はその中でも代表するもので、6世紀末7世紀前半に築かれた円墳であり、直径16m,高さ5m両袖式石室を持ち、内部奥行き10m,高さ2.2mを計る。 8号墳(五間塚・王塚)も1号墳に準ずる規模を持ち、耳環、切子玉、管玉、鉄鏃、刀子、鉄鎌等が出土している。また、付近は縄文時代から弥生時代の土器も散見しており、古代のこの地域の繁栄を見て取ることができる。
(30号墳)
(31号墳)![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/92/014daef085c2549197de7928509440f2.jpg)
(関連記事:樹之本古墳 根上り松古墳)
朝倉は古墳の村というほど、多くの古墳が存在した。この野々瀬古墳群も、終戦直後に112基が確認されているが、食糧政策により開墾が行われ、40基にまで数を減らした。
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1号墳(七間塚)はその中でも代表するもので、6世紀末7世紀前半に築かれた円墳であり、直径16m,高さ5m両袖式石室を持ち、内部奥行き10m,高さ2.2mを計る。 8号墳(五間塚・王塚)も1号墳に準ずる規模を持ち、耳環、切子玉、管玉、鉄鏃、刀子、鉄鎌等が出土している。また、付近は縄文時代から弥生時代の土器も散見しており、古代のこの地域の繁栄を見て取ることができる。
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