(愛知県新城市矢部字上ノ川 1990年3月19日)
天正三年(1575)五月、長篠の戦いの際、織田徳川軍の陣所として、織田信長二男である北畠信雄(のぶお/のぶかつ)が、西方を半場川に面した矢部丘陵南端の御堂山に本陣を敷いた。
また、この辺りは弥生時代後期から古墳時代にかけての「上ノ川遺跡」でもあり、本陣地後方、矢部八幡神社の建つ場所は、上ノ川古墳の存在した場所である。
天正三年(1575)五月、長篠の戦いの際、織田徳川軍の陣所として、織田信長二男である北畠信雄(のぶお/のぶかつ)が、西方を半場川に面した矢部丘陵南端の御堂山に本陣を敷いた。
また、この辺りは弥生時代後期から古墳時代にかけての「上ノ川遺跡」でもあり、本陣地後方、矢部八幡神社の建つ場所は、上ノ川古墳の存在した場所である。