小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

三月二十四日

2018-10-26 | 嘉永六年 癸丑日記

三月二十四日 

快晴。
省安方より袱紗を返しに来る。
財布を忘れたとか。返すのはいつでもと言いまた忘れた。
昼前、内田から喜助が使いに来る。
米三斗五升。二月二十五日から三月晦日までの二人扶持ということだ。
喜助に酒券1を遣わす。
昼過ぎに高柳、秋月、塩路、他一人が西ノ庄行きを誘いに来る。
上九で取口を求めて持参する。
主人は藤の花見で板坂に呼ばれる。鴻の巣という下屋敷らしい。
山本先生を誘いに向かう。鈴木忠太夫が来てしばらく休むとのこと。
督学は行かず健次郎は行く。
帰りは10時前。
雄輔は夕刻から大いに酔う。
銘々が瓢箪を持って行き寺で燗をしてもらったとのこと。

小梅は牡丹の花見。
庭中草花がおびただしく咲いている。
元々は牡丹を見るために出かけたのだがこの前の雨でみな散ってしまっていた。
この前の雨で高野詣りをして帰る者、藤崎で三人乗りの舟が難儀して十人亡くなったそうだ。


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