和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

若芽2(10/22)小説「新・人間革命」

2013年10月22日 07時00分31秒 | 今日の俳句


      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)10月22日(火)より転載】


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若芽1(10/22)

  東京創価小学校は、創価中学・高校に隣接して建てられていた。春の陽光に照らされた、鉄筋コンクリート造り三階建ての白亜の校舎が、武蔵野の緑の中に、ひときわ輝きを放って見えた。

 校舎三階のバルコニーには、「にゅうがくおめでとう さあ、きぼうのしゅっぱつ!」と書かれた、三十メートルほどの横幕が掲げられていた。

 創価小学校の入学式は、午前十一時から、創価学園の講堂で挙行された。

 児童たちが、幾分、緊張した顔で壇上を見つめるなか、開式が宣言された。

 初めに校長の新木高志が、一年生百二十五人、二年生八十二人、三年生八十四人の入学許可を告げたあと、「明るい子」「思いやりのある子」「ねばり強い子」という低学年のモットーを紹介した。

 このモットーは、創立者の山本伸一が、設立の準備にあたってきた教職員に請われ、決めたものであった。彼は、人間教育を行ううえで重視すべきは、精神の育成であると考え、心、生き方という内面に焦点を当てたモットーにしたのである。

 「明るい子」、すなわち明朗快活な子どもとは、自分を卑下したりすることなく、広く大きな、素直な心で、何事にも前向きに取り組んでいける子どもである。

 「思いやりのある子」とは、他者を大切にする心をもつ子どもである。いかに学業成績が優秀であっても、自分のことしか考えぬ人間になってしまえば、本人も、周囲の人も不幸である。思いやりの心を育んでいくことは、人格をつくるうえで、最も大切な要件となる。

 「ねばり強い子」をめざすのは、忍耐なくしては、物事の成就も、人間としての大成もないからだ。子どもが人生を勝利していくために、身につけておかねばならない必須の力といってよい。

 伸一は、未来に伸びゆく子どもたちの、健全な精神の土台をつくることこそが、児童教育の最大の眼目であると確信していたのだ。


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栗/今日の俳句 第1387号

2013年10月22日 06時42分35秒 | 今日の俳句

◇栗/今日の俳句◇
       ◇※第1387号※◇
      

 2013年(平成25年)10月22日(火)


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■ 10月22日。
○ 国際吃音啓発の日(International Stuttering Awareness Day)
 国際吃音者連盟・国際流暢性学会などが1998年に制定。
 吃音(どもり)についての理解啓発を求める日。

○ 平安遷都の日,時代祭
 794(延暦13)年のこの日、桓武天皇が長岡京から山背国葛野郡宇太村の新京に移った。「平安京」と命名されたのは、その年の11月8日だった。
 平安遷都1100年を記念して1895(明治28)年に創建された平安神宮の例祭・時代祭はこの日に開催される。

○ パラシュートの日
 1797年のこの日、フランスのパリ公園でアンドレ=ジャック・ガルヌランが高度8000フィート(約2400m)の気球から直径7mの布製の傘のようなものと一緒に飛び降りた、これが世界初のパラシュートによる人間の降下となった。着陸時に衝撃があったものの、無傷であった。


【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


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   ■※今日の俳句※■


  栗の毬(いが)籠の中へも日がはひる
        細見綾子


  栗をむくいまが晩年かも知れぬ
        細川加賀


  栗売の声が夜となる飛騨盆地
        成瀬櫻桃子


【季語の解説】
※ 栗→山栗・柴栗・毬栗(いがぐり)・落栗・虚栗(みなしくり)・丹波栗。
 栗は、古代から日本人の周囲にあって、とくに馴染みの深い木の一つである。
 おもに関東以西の山野に自生する。ブナ科の落葉高木で、過当な湿気があり、しかも水はけのよい土地が成育には最適で、高さ数メートル以上におよぶ大木もある。
 畑などに栽培用に植えられたものは、適当な高さに育てられる。初夏のごろ、独特の強い香りのある花が咲く。
 俗に「桃栗三年、柿八年」といわれるように、植えられてから三、四年すれば実を結ぶ。野生のものは、柴栗、またはささ栗といって実が小粒だが、栽培種は実が大きく、味もすぐれている。
 兵庫県の丹波地方でとれる丹波栗は、とくに有名。
 茹でて食べたり、栗飯にして炊き込んだり、炉端などで焼いて食べる味は、また格別のものである。

【「現代俳句歳時記(秋)角川春樹編・角川春樹事務所」より転載】


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※わが友に贈る/寸鉄※
【「聖教新聞」2013年(平成25年)10月22日(火)より転載】


     ※わが友に贈る※

  家庭と地域で奮闘する

  ヤング・ミセスに

  心からの感謝と賞讃を!

  どうか健康第一で。

  幸福の大道を共に!


      ◇※10月22日※◇



      ※今週のことば※

  配達は即「広布」なり。

  配達は即「福徳」なり。

  無冠の友に心から感謝を。

  健康・無事故を祈ります。

  我らは聖教を力に前進!


       ◇※10月21日※◇


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    ◇※名字の言※◇


宮城・石巻市の万石浦で、アサリ漁復活への取り組みが始まった



イカダ式の育成装置の中で、1ミリほどの稚貝約100万個を管理。一昨年の震災で海の環境が変化したことから、稚貝を大切に育てる方針が取られ、環境に適応できる大きさまで育てられた後、放流される。
一つ一つの稚貝を強く、大きく育てようとする挑戦が、復興の希望へとつながる



自然豊かな海と美しい水田が広がる石巻地域は、江戸時代、仙台藩を“伊達百万石”とうたわれる雄藩へ押し上げた。著しい発展をみたのは17世紀末。1611年に発生した「慶長三陸地震」からの本格的な復興を目指す中、氾濫を繰り返す北上川が整備された後のことである



被災地を豊かな実りの地に――石巻には不屈の歴史がある。その陰に“本気の一人”がいた。治水の名手と伝わる川村孫兵衛。20代で伊達政宗の家臣となった彼は、後に、あえて荒れ地に飛び込んで河川を改修し、美田に一変させた。
その地域は後年、それまでの40倍の石高に発展する



学会では今月、石巻未来部の太平洋少年少女合唱団が、震災から2年半を経て活動を再開した。若い命には未来を切り開く無限の力が宿っている。宝の一人一人を大切に育てながら、自身も成長していきたい。
      (朱)



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◆浩ko・ 編集後記◆

 今日も有難う御座います。 和井弘希です。

細川加賀の作品には、「色彩感覚」や「光と影」の感覚に秀でた句が多いのですが、「栗をむく」の句は、視覚における鋭敏さが見て取れないでしょうか。全体的には、加賀作品には、重層的な感覚を内包する作品散見されますが、自ずから、身体意識の深い感応を覚えます。
 加賀(かが)さんは、大正13年(1924)、東京に生まれ、「鶴」の同人であった石野兌を知り、昭和18年(1943)「鶴」に俳句入門しました。昭和29年(1954)、「鶴」同人になり。昭和48年(1973)、第1句集『傷痕』を上梓しました。
 昭和59年(1984)、「初蝶」主宰となりましたが、平成元年(1989)に歿しました。
 


10月21日(月)のつぶやき

2013年10月22日 01時34分47秒 | 今日の俳句