和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

若芽1(10/21)小説「新・人間革命」     

2013年10月21日 07時14分23秒 | 今日の俳句


      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)10月21日(月)より転載】


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若芽1(10/21)


 若芽たちよ!

 未来を見すえ、無限の大空へ、

 真っすぐに伸びゆく若芽たちよ!

 そのみずみずしい生命には、

 希望が満ちあふれ、正義の心が鼓動し、

 向学の息吹が脈打つ。
   


 創価の魂のバトンを受け継ぐ、

 尊き宝の君たちよ!

 ぼくの開いた平和の道、友情の道を、

 さらに大きく広げ、

 この地上から、貧困を、飢餓を、

 差別を、戦争を、あらゆる悲惨を、

 必ずや根絶してくれたまえ。
  


 そのために、

 強くあれ! 勇敢であれ! 聡明であれ!

 自分を鍛え、挑戦し、貪欲に学ぶのだ。
  


 君たちの成長を、

 胸を躍らせながら、

 ぼくは待っている。世界が待っている。
  


 鳥たちは、歓びの歌を歌い、

 花々は、風を友に、幸せのワルツを踊る。

 王子、王女の、未来への旅立ちだ!
  

 一九七八年(昭和五十三年)四月九日、東京は、午前中から気温が上がり、六月上旬を思わせる陽気であった。
天候不順で遅れていた桜も、暖かな日差しを浴びて、一斉に満開になった。
 東京・小平市にある西武国分寺線の鷹の台駅前は、午前九時ごろから、真新しい制服に身を包んだ小学生と親などで賑わっていた。
男子は濃紺の詰め襟に半ズボン、女子はセーラー服に赤いスカーフ姿である。皆、服が少しだぶついているのは、成長を見越しての配慮であろう。
子どもたちの、どの目にも希望が光り、どの顔にも笑みがこぼれていた。
 この日、東京創価小学校の第一回入学式が、晴れやかに行われたのである。


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林檎/今日の俳句 第1386号

2013年10月21日 06時30分23秒 | 今日の俳句


◇林檎/今日の俳句◇
       ◇※第1386号※◇
      

 2013年(平成25年)10月21日(月)


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■ 10月21日。
○ あかりの日
 日本電気協会・日本電球工業会等が1981(昭和56)年に制定。
 1879年のこの日、エジソンが日本・京都産の竹を使って白熱電球を完成させた。

○ 国際反戦デー
 1966(昭和41)年のこの日、日本労働組合総評議会(総評)がアメリカ軍のベトナム戦争介入に反対する全国政治ストライキを計画し、同時に全世界の労働団体・反戦団体に呼びかけ、この日が反戦の日になった。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


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   ■※今日の俳句※■


  星空へ店より林檎あふれをり
        橋本多佳子


  てのひらに載(の)りし林檎の値を言はる
        日野草城


  刃を入るる隙なく林檎紅潮す
        野澤節子


【季語の解説】
※ 林檎→林檎園。
 バラ科の落葉高木または低木。青林檎は、夏のころから出はじめる早生種で、晩秋のころ、覆袋をのぞいて10日ほど外気に晒して得る晩生種は、紅色も鮮やかな紅玉・国光の類で、果肉は白く甘みと酸味に富み、高い芳香が

ある。
  印度苹果(いんどりんご)は歪形で黒にを帯び、芳香と濃い甘みがあるが、酸味と汁気がなくお子に似ている。
 デリシャスは最も高級品で、黄色いイエローデリシャスやスターキングなど、品種が多い。
 信州・東北地方・北海道などの寒地がおもな産地として知られている。近来は交配によって新品種が多く作られている。
 古くは、コーカサス・小アジア地方を原産地とし、古代民族の移動によってヨーロッパ一円に広がったといわれている。
 
 
【「現代俳句歳時記(秋)角川春樹編・角川春樹事務所」より転載】


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※わが友に贈る/寸鉄※
【「聖教新聞」2013年(平成25年)10月21日(月)より転載】


     ※わが友に贈る※

  新しい試みで

  新しい開拓を!

  常に向上し続ける

  生命への変革こそ

  仏法の真髄だ!

      ◇※10月20日※◇


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    ◇※名字の言※◇


会館に置かれた給茶機の前に、幼稚園児くらいの姉弟がいた。コップを弟にそっと手渡した姉は、両手で大切そうに持って飲む弟に言った。
「こぼしたらあかんで。お母さんに怒られるからな」「うん」。2人の胸にはいつも、母親がいるのだろう



成長し、親元から巣立っても、母への思いは変わらないもの。照れもあろうが、感謝をなるべく形にしたい。ある女子部員と話して、あらためて思った



国連職員を志し、NGO(非政府組織)に勤務する彼女。現在はラオスで村落開発に携わる。
日本に住む母、仕事でオーストラリアにいる父とは、遠く海を隔てる。アメリカ創価大学出身の彼女は、夢を追いながらも、創立者が常に呼び掛ける〝親孝行〟への思いを募らせた。電話はもちろん、現地での様子や風景の写真を

両親に送ることを忘れない



たとえ離れていても、時間を共有できる。使命に目覚め、生き生きと前へ進もうとする姿を示すこと以上の「感謝の形」はない



ベートーベンの歌曲に「分かちあう楽しみは二倍になり 分かちあう悩みは、消え失せる」(『ベートーヴェン全集6 別冊』講談社、前田昭雄訳)とある。思いを分かち合い、思いに応えようとすることで、人は強く、優しくなる。
      (将)


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◆浩ko・ 編集後記◆

 今日も有難う御座います。 和井弘希です。

 今日の例句の作者、野澤節子は臼田亜浪主宰の「石楠」出身であり、大野林火を一生涯慕い続けています。
 神奈川県横浜市に生まれ、フェリス和英女学校に入学しますが、その翌年に脊椎カリエスを発病したために中退します。
 戦後、昭和21年林火が俳誌「濱」を創刊したことで、すぐに投句を始め、その翌年には賞を受賞し、同誌の同人となりました。
 その後、脊椎カリエスも全快し、全国を旅したり生け花を習い、華道の先生として自立を果たしています。
 昭和46年、「蘭」を創刊。編集長を務めた和田耕三郎など多くの人材を輩出しています。
 作風は、「清純にて清冽」と讃えています。その裏側には闘病生活の間で培われた「生」に執着があります。
 野澤節子の晩年は、表現の厳しさを持ち、段々と自在性の高い俳風に変化を遂げていきました。
 平成7年4月9日、没。享年75。その翌年、遺作である句集『駿河蘭』(本阿弥書店)が刊行されました。

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10月20日(日)のつぶやき

2013年10月21日 01時37分14秒 | 今日の俳句