ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

23 「木山(基山)」から「木国」へのイタケルの木の道

2009-03-10 22:39:57 | Weblog
伊太祁曽(いたきそ)神社(ウィキペディアより)

●ヒメ 19:52
大和の近くで他にはスサノオの痕跡はないの?

●ボク 19:53
古事記によれば、伯耆の国、今の鳥取県で兄弟の迫害を受けた大国主は、木国、今の和歌山県の大屋毘古(おおやびこ)神を訪ねたことになっています。
この大屋毘古神というのは、ヒメの故郷・姫路にも祀られている、スサノオの子の五十猛(いたける)命の別名とされています。

●ヒメ 19:55
それを裏付けるものはあるの?

●ボク 19:56
神社創建の時代の議論は後に行うとしますが、和歌山市に五十猛命(大屋毘古神)を主祭神とし、妹の大屋都比賣(おおやつひめ)命と都麻津比賣(つまつひめ)命と併せて祀る伊太祁曽(いたきそ)神社があります。紀伊国一の宮です。

●ヒメ 19:59
面白いじゃない。五十猛命は、筑紫の基山(木山)から私の故郷の姫路をへて、和歌山の「木国」に移動したのね。

●ヒナ 20:01
日本書紀の一書では、スサノオとその子の五十猛神は、新羅の国へたくさんの木の種をもって降ったものの、この地では播かずに、日本に持ち帰って日本の国中に播き、国を全部青山にしてしまったとされています。

●カントク 20:04
わが故郷の筑紫の基山がでたとなると、私の出番かな?
このスサノオ、イタケルの行動は、魏志倭人伝に書かれた、ある部分と符合しておるのじゃ。わかるかな、ボクちゃん。

●ボク 20:07 
カントク、「新説 日本ミステリー」になってきていません? 話が、飛躍しすぎているように思いますけど。

●カントク 20:09
相変わらず、頭が固いのう。
魏志倭人伝は、対馬国を「良田がなく、海物を食べて自活し、船に乗って南北に市糴(してき)(買い入れること)する」交易国として伝えているのを知っておろう。
「津島」をルーツに持つ交易部族の末裔のスサノオは、製鉄のために禿げ山になった韓地に木の種を売り、鉄を買うつもりであったのじゃ。しかし、木の種が売れなかったため、持ち帰って日本の各地、「木山(基山)」や「木国」に植えた、という。
このような失敗談は、古代においては有名な話として伝わっていたとは考えられないかの?
信じる、信じないは、皆のものに任せようぞ。

●ヒメ 20:15
カントク、信じますよ。
理由は、そのスサノオの失敗談が面白いからです。往々にして、歴史は、政治的に大事な事よりも、面白いことや悲しいことが長くエピソードとして語り伝えられるものではないでしょうか?
商売人としては失敗した、元祖エコロジスト・スサノオ、ますます好きになっちゃった。

●マル 20:18
五十猛命が紀の国に行ったのはわかるとしても、スサノオも五十猛命と紀の国まで行ったのかしら?スサノオは妻の神大市姫や子の大歳神、宇迦之御魂神と奈良盆地に拠点を構えていたのではないかしら?

●ボク 20:21
古事記によれば、大国主は伯耆から「木の国」の五十猛命のところへ行き、さらにスサノオの「根の国」へ行ったとされています。五十猛命が和歌山市に祀られていることから見ると、スサノオの「根の国」は和歌山市よりさらに先にある、とも考えられます。
また、「根の国」は出雲、今の島根県を指しているのでは、という説もあります。


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