ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

神話探偵団67 金印はなぜ志賀島に隠されたか

2009-09-26 21:55:29 | 歴史小説
海ノ中道上空からの志賀島(右)と能古島(左):ウィキペディアより


●ヒメ 19:33 
第3の説として、「委奴国王」は、スサノオと同時代の、別の「筑紫の日向王・X」という可能性はない?

●ヒナ 19:34 
それはないと思います。もしそうなら、神話を創作する時に、天皇家は「筑紫の日向」のX王=「委奴国王」の後継者である、という単純な物語にしたのではないでしょうか?出雲神話のスサノオを織り交ぜることはありえないと思います。
 後に天皇家が「およそ三十二世、皆、尊(みこと)を号として、筑紫城に居す」(新唐書)と唐に伝えたような、首尾一貫したストーリーになるはずです。

●マル 19:39
確かに、出雲からイヤナギが「筑紫の日向」に来て、アマテラスとスサノオを生み、スサノオが後継者争いに勝ったものの、アマテラスを復活させた王達によって出雲に追放される、というような複雑なストーリーにする必要はないわね。

●ヒメ 19:42
だいたい、結論は見えてきたようね。ヒナちゃん、事実関係をもう一度、整理してくれない。

●ヒナ 19:43
筑紫と出雲の関係を中心に、整理したいと思います。
① 倭人国はもと100余国を「7~80年」男王が支配していた。
② 委奴国王は、後漢から紀元57年に「漢委奴国王」の金印を与えられ、この金印は博多湾の志賀島から発見された。後漢書によれば、「倭奴国」は「倭国」の極南界にあった。 
③ 天皇家は「およそ三十二世、皆、尊(みこと)を号として、筑紫城に居す」と唐に伝えている。
④ イヤナギは「筑紫の日向」で黄泉の国の汚れた垢からアマテラスとスサノオを生んだ。スサノオは大人になっても、母イヤナミの根の堅州国(出雲)に行きたいと泣き叫んだ。
⑤ アマテラスが継承した「高天原」にスサノオが攻め上り、アマテラスは「天岩屋戸」に隠った。神々はアマテラスを復活させ、スサノオを追放した。スサノオは出雲に行き、王となった。
⑥ 出雲のイヤナギは「筑紫の日向」でスサノオは宗像3女神を生み、大国主はそのうちの沖の島の多紀理毘売(タキリヒメ)と子をもうけた。

●ヒメ 19:54
整理すると、次の2つになるわよね。
① 100余国を「7~80年」男王が支配していた「倭奴国」があり、「倭国」の極南界にあった。王は
後漢から「漢委奴国王」の金印を与えられ、この金印は博多湾の志賀島から発見された。
② 「筑紫の日向」でイヤナギの黄泉の国の汚れた垢から生まれたスサノオは、「高天原」に攻め上り、アマテラスを殺して支配するが、神々はアマテラスを復活させ、追放されたスサノオは出雲に行き、王となった。

●長老 19:58
約7代の男王が支配した「委(倭)奴国」は、最初から100余国を支配していたのではなく、初代の王の時には30国であったが、最後の王の時には100余国になった、と考えてみてはどうかな。

●ヒメ 20:00
最初は津島から「委奴国」まで30国であったのが、「7~80年」後には100余国に拡大したとみる。確かに、そうするとスサノオと大国主の国造りと合うよね。

●ヒナ 20:02
古事記に描かれたアマテラスとスサノオの争いは、「筑紫の日向」の邪馬台国の後継者争いをモデルにしたものばかりと思っていましたが、スサノオ時代にも同じような兄弟争いの歴史があった可能性がありますよね。

●ボク 20:04 
確かに、スサノオの軍が山川や国土を揺り動かし、高天原に攻め上った、という古事記の記載は、「委奴国」の権力をスサノオが奪った時の言い伝えがもとになって書かれた、とも言えますね。

●ヒメ 20:06
スサノオの姉のアマテラスが実在して、後継者争いをやったということになるの?

●ヒナ 20:07
「男王が7~80年支配した」という記載からみて、この時の後継者争いは兄弟の争いだったと思います。姉弟の争いではないと思います。

●カントク 20:09
出雲の天族のイヤナギが、揖屋で生まれたスサノオを伴って「筑紫の日向」に進出し、その死後の後継者争いでスサノオが王となり、その後、出雲に追放され、出雲王として中四国から大和・紀伊へと支配を広げていった、ということでいいかな?

●マル 20:12
イヤナギもスサノオも、もともと「筑紫の日向」の王であった、ということは考えられません?

●ヒナ 20:13
先程の繰り返しになりますが、もしイヤナギやスサノオが最初から「筑紫の日向国」の王であったなら、記紀神話は代々の三十二世の王は筑紫城にいた、というストーリーで書かれると思います。記紀の作者が、わざわざ出雲神話を持ち出す必要は考えられないと思います。

●ボク 20:16
金印が「筑紫の日向」からでなく、博多湾の志賀島から発見された、というのはどう考えますか?

●ヒナ 20:17
「8島6小島」の国生み神話に書かれているように、天族は交易に便利で、防御が容易な河口部の島などに拠点を築いていったと考えられます。
鉄の交易を通した稲作の普及により生産力が高まり、人口が増えるにつれて、内陸部に進出したものの、最初に築いた拠点「筑紫島」=志賀島はそのまま交易拠点として維持し、金印はこの地に留められたのではないでしょうか?

●マル 20:21
出雲の意宇(おう)川河口の揖屋の「オノゴロ島」がイヤナギ・イヤナミの天降り=国造りの拠点であったのと同じと考えればいいということね。

●ヒナ 20:23
津島の天族は、河口の島を交易拠点とし、河川を使って内陸部へ交易を広げ、入植していったのだと思います。

(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)

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