ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

スサノオ・大国主ノート144 「じんざい→ぜんざい」はズーズー弁から?

2022-11-25 17:28:21 | 日本文明

 「国生み地図・表」を作成中ですが、ちょっと一息入れたいと思います。

 日テレの「遠くへ行きたい」11月6日、『「羽田美智子の島根旅!電車運転に挑戦&奥出雲でキノコ採り」』の録画を見ていたら、神在月で振る舞われていた「ぜんざい」は昔は「神在(じんざい)餅」とよばれ、ズーズー弁で「じ」が「ず」になり「ずんざい」と発音し、さらに「ぜんざい」になった、という説明がされていました。

 このズーズー弁由来説に対し、私はGooブログ「倭語論15 古日本語は『3母音』か『5母音』か?」(200218)などで明らかにしましたが、古日本語は「あいういぇうぉ」5母音であり琉球弁は「あいういう」母音が残り、本土弁は「あいうえお」母音に変わりますが、出雲弁にも「あいういう」5母音が残り「じんざい」と発音していたものが、「じ→ぜ」の変化により「ぜんざい」に変わったと考えています。

       

 松本清張の『砂の器』では犯人と被害者が交わした「カメダ」の地名が秋田の「亀田」ではなく、島根の「亀嵩」であることから犯人を突き止めるという有名な推理小説ですが、学生時代に読んだ時から「東北弁→島根弁」ではなく逆で、「島根弁→東北弁」ではないか、と考えていました。

          

 縄文研究をやるようになり、柳田圀男の「方言周圏論」を批判し、縄文語ドラヴィダ語起源説、方言北進・東進説を解明してきましたが、対馬暖流を下って「島根弁」が東北に伝わったのです。―縄文ノート「38 霊(ひ)とタミル語pee、タイのピー信仰」「41 日本語起源論と日本列島人起源」「42 日本語起源論抜粋」「93 『カタツムリ名』琉球起源説―柳田國男の『方言周圏論』批判」「94 『全国マン・チン分布考』からの日本文明論」「97 『3母音』か『5母音』か?―縄文語考」「128チベットの『ピャー』信仰」「132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰」「153 倭語(縄文語)論の整理と課題」参照

 『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本:第2版)などでも書きましたが、西アフリカのニジェール川流域のヒョウタンが若狭の鳥浜遺跡や青森の三内丸山遺跡で見つかり、沖縄の貝が靑森・北海道に、糸魚川のヒスイの勾玉が奥尻島や種子島に、黒曜石がシベリアにまで運ばれ、さらに丸木船をくり抜く道具の磨製石器の丸ノミ石斧(せきふ)(琉球から南九州にかけて分布し、約5,000年前の曽畑式土器が琉球の読谷(よみたん)村や北谷(ちゃたん)町や九州西岸の縄文時代前期の遺跡、韓国の釜山市の貝塚から発見されていることからみて、縄文人の「対馬暖流海道」―「ヒョウタンの道」「貝とヒスイと黒曜石の道」「丸木舟と土器の道」があったことは明らかです。

        

 さらに、琉球開びゃくの祖が「アマミキヨ」と伝わり、琉球列島に「天城町」や「奄美大島」があり、九州には「天草」「甘木」「天瀬」「天久保」「天ケ原」があり、隠岐には「海士(あま)(古くは海部)」などの地名があることからみて、海人(あま)族は「対馬暖流海道」を行き来していたことを示しています。

     

 以上のように、縄文語は縄文人とともに対馬暖流に乗って南から北へと運ばれ、その痕跡はヒョウタン・貝・ヒスイ・黒曜石・土器や「アマ」地名として各地に広がったのです。

 「神在餅」もまた、東へと伝わるうちに「あいういぇうぉ」5母音の「いぇ」音の変化にともない、「じんざい」が「ぜんざい」に変わったのです。畿内に渡来人(弥生人:中国人・朝鮮人)が流入し、「じんざい」方言が周辺だけに残ったのではありません。

 なお、Y染色体DNA、いも食・ソバ食・稲作・もち食、霊(ひ:祖先霊信仰)・神山天神信仰(神名火山(神那霊山)信仰)、ポンガの烏まつりなどの伝播については触れませんでしたが、これら全てもまた「縄文人南方起源」を示しています。

 縄文人も食べていた小豆を使った「ぜんざい」を食べる機会がありましたら、スサノオ・大国主一族は縄文人の末裔なのか、それとも弥生人(中国人・朝鮮人)の末裔なのか、考えてみていただければと思います。