ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

「縄文ノート149 『委奴国』をどう読むか?」の紹介

2022-09-05 13:26:42 | スサノオ・大国主建国論

 はてなブログに「縄文ノー149 『委奴国』をどう読むか?」をアップしました。https://hinafkin.hatenablog.com/

 記録上確かなこの国の建国は、「建武中元二年(注:紀元57年)倭奴國奉貢朝賀」(3~5世紀の後漢書)と記録され、博多湾入口の志賀島で発見された「漢委奴国王」の金印に記された百余国の連合国家の「委奴国・倭奴国」に遡ります。そして、記紀は「葦原中国」「豊葦原水穂国」の建国者はスサノオ・大国主一族であるとはっきりと記しています。

 私はこの中日の記録から「其国本亦以男子為王 住七八十年」の男王がスサノオ・大国主7代であり、卑弥呼(霊御子)の「鬼道」(祖先霊信仰)はこのスサノオ・大国主の霊(ひ)を祀る宗教であることを解明してきました。ただ「委奴国・倭奴国」をどう読むかについては、最初は「ひなの国」と読み、次に「いなの国」「いぬ(いの)の国」と読むなど迷ってきており、ここに整理しました。

 なお、紀元57年に後漢光武帝にスサノオが朝貢した時の国名は「委奴国・倭奴国」ですが、107年の遣使では「倭国王帥升」(筆者説:スサノオ5代目の淤美豆奴(おみづぬ))と書かれており、帥升(すいしょう)は「委奴国・倭奴国」から「奴」を外し「倭国」への国名変更を行ったと考えています。

 百余国の「委奴国」が乱により30国が分離・独立し、30国は「相攻伐」した後に鬼道(30国王の共通の祖先霊信仰)を行う卑弥呼を共立して「邪馬壹国」としてまとまったのであり、この国の建国は「委奴国」から始まっており、「邪馬壹国論争」などやっている場合ではなく、「委奴国論争」こそ議論すべきなのです。

 本ブログの「スサノオ・大国主建国論」にこそふさわしいテーマですが、倭人のルーツや霊(ひ)信仰に関わるテーマとして「はてなブログ:ヒナフキンの縄文ノート」でまとめましたので、参考にしていただければ幸いです。 雛元昌弘

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(前同42号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(前同43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

  ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

  邪馬台国探偵団              http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/