ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

神話探偵団99 日岡山のヤマトタケル伝承

2010-10-30 16:36:42 | 歴史小説

ヤマトタケルが描かれた日岡神社の安産祈願の絵馬 
神戸観光壁紙写真集より(http://kobe-mari.maxs.jp/)

「近くにヤマトタケルの双子の兄弟の産湯に使った、という石の盥があるというけど、ほんとかしらね?」
マルちゃんが聞いてきた。
「神社の創建が天平2年とされていますから、ヤマトタケルの時代の石の盥というのはあり得ないですね。後世の創作でしょう」
高木は無難なところで答えておいた。
「先ほどの説明に書いてあったけど、大帯日子(オオタラシヒコ)命、後の景行天皇の后の最初のお産が難産だったので、2度目のお産の時に天伊佐々彦が祈り続け、双子のヤマトタケル兄弟が無事に生まれた、という伝承はどうなのかしら」
マルちゃんの質問が続く。
「播磨国風土記には、大帯日子命が、印南別嬢(いなみのわきのいらつめ)、古事記では針間の伊那毘大郎女(いなびのおおいらつめ)を妻問いする話がリアルにでてきますから、印南別嬢がこの地でヤマトタケル兄弟を出産した可能性はあると思います。しかし、記紀や播磨国風土記には、ヤマトタケルがどこで生まれたのかは出てきません」
高木が文献から答えられることは限られていた。
「ヤマトタケルは、後世の数人の英雄の英雄をもとにした架空の人物、という説はどうなの?」
ヤマトタケル伝説がある市や町の仕事をしたことがあり、関心が高いマルちゃんから質問が続いた。
「確かに、古事記にはヤマトタケルの曾孫を、父親の景行天皇が娶ったとも書かれていますから、景行天皇とヤマトタケルの親子関係を疑う学者もいますよ」
高木には優等生的な答えしかできなかった。
「ヤマトタケルの西征と東征の物語が真実かどうか、ということと、ヤマトタケルがいたのかいなかったのかは、別々に検討した方がいいね」
長老が交通整理をかけてきた。
「不思議なことに、日本書紀は正妃である印南別嬢の親の名前を記していません。古事記は崇神天皇が吉備に派遣した若建吉備津日子の娘としており、播磨国風土記は比古汝茅(ひこなむち)と吉備比売の子としていますが、いずれも時代が合いません」
「具体的に説明してくれない」
男と女のドラマにとりわけ関心を持つヒメが乗り出してきた。
「若建吉備津日子は孝霊天皇の子とされています。いくら天皇が短命だ、兄弟相続だからと言っても、孝霊―孝元―開化―崇神―垂仁天皇を経た景行天皇が、孝霊―若建吉備津日子の子の印南別嬢を皇后にするというのは無理なように思います。また、比古汝茅(ひこなむち)は景行の次の成務天皇が派遣したとされていますから、これも時代が合いません」
「いずれにしても、吉備氏と関わりのある姫という伝承があったんじゃない?」
ヒメは何か次のストーリーを考え始めたようだ。
「当時は妻問婚ですから、印南別嬢は吉備の王とこの地の大石命の子孫の王女の間で生まれ、この地で育てられた姫の可能性はあると思います」
どうやら、ヒナちゃんは結論まで考えて発言している感じである。
「若建吉備津日子って誰なの?」
「景行天皇の5代前の孝霊天皇の子どもで、兄の大吉備津日子とともに、針間を道の口として、吉備を言向(ことむ)け和(やわ)した、とされています」
「そうすると、針間や吉備は、景行天皇の5代前の頃から、天皇家の支配下に入っていたのかしら」
「私は、そこはクエッションだと思っています。というのは、播磨国風土記によれば、大帯日子命が印南別嬢を訪ねた際に、摂津国(つのくに)の高瀬の渡しで、今の淀川を渡して欲しいと船頭に頼んだところ、『私は天皇の家来ではない』と断わり、『渡りたければ、船賃を頂きたい』と言ったため、大帯日子命は頭に巻いた光り輝く装身具を渡して渡った、というのですから、摂津国すら支配下に置いていなかったと考えられます」
ヒナちゃんの答えはよどみがない。
「日本書紀によれば、大物主やアマテラスを宮中に祀って祟りを受けた崇神天皇は、3代前の孝霊天皇の子のヤマトトトヒモモソ姫を大物主神に差し出している。これを見ても、この時代の天皇の支配圏というのは、大和内に限られるのではないかな?」
カントクは、祟られた天皇、崇神天皇にこだわる。
「日本書紀の崇神天皇17年のところでは、『船は天下の大切なものだ』と言って、諸国に命じて『始めて船舶を造る』と書かれています。これを見ると、天皇家はこの頃までは内陸の大和にいて、海からは離れていたことがわかります」
ヒナちゃんは答えを用意していた。
「なるほどね。大帯日子命が印南の印南別嬢の元に贈り物を持って妻問いに出かけるのに船をしつらえるどころか、淀川すら渡れず、歩いて印南まで行ったということは、この時代になっても天皇家は海を支配できていないということになるな」
ヨット乗りのカントクにとっては、海の道の方がはるかに楽なのは当然であった。

資料:日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)
参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
      霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
      霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
 帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)

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