ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

神話探偵団98 日岡山に祀られたイワツヒコ神

2010-10-17 08:33:33 | 歴史小説
日岡神社 


車は加古川を渡って右に回り、ヤマトタケル生誕伝説のある日岡山へ着いた。標高数10メートルの小高い丘である。車は日岡神社の駐車場に停め、日岡神社へ登りながら、いつものように高木が説明を行った。
「まず、日岡の地名ですが、播磨国風土記の賀古郡(かこのこおり)の冒頭に、この丘を見ると『鹿児』のようだと言って『賀古郡』と名付け、狩りをした時にこの丘に鹿が登って『ひひ』と鳴いたので『日岡』と名付けた、と書かれています」
高木の説明を遮って、予想通り「なぜなぜヒメ」が質問してきた。
「この丘を見たり、この丘で鹿が鳴いたのを聞いた、という主人公はいったい誰なの」
「賀古郡と日岡の地名の説明の後に『この岡に比礼墓あり』と続いて、この墓が大帯日子(おおたらしひこ)命、後の景行天皇の妻で、ヤマトタケルを産んだ印南別嬢(いなみのわきのいらつめ)の褶(ひれ:肩掛け)を納めた墓という説明がありますから、主語は景行天皇というのが通説です」
「必ずしも、そうとは言えないと思います」
やっぱり、ヒナちゃんが反論してきた。
「播磨国風土記は国の概要と冒頭の明石郡、最後の赤穂郡を欠き、10の郡(こおり)からなっています。不明の賀古郡を除く9つの郡名の由来について主語を見ると、応神天皇が2、仲哀天皇が1、履中天皇が1、伊和大神が1、伊和大神の子の建石敷命が1、大神が1、大人が1、大三間津神日子が1となっています。私は書かれている内容から見て、伊和大神と大神、大人は大国主と思います。そうすると、天皇が4、大国主関係が4、不明の神が1となります。従って、加古郡の地名説話の主語も天皇ではなく、大国主に由来する可能性があります」
こうなると、カントクが必ずフォローする。
「もともと、大国主一族による地名説話があって、その半数近くが天皇に置き換えられて播磨国風土記が作られた、という可能性が高いな。大国主の時代から、仲哀天皇の時代まで、少なく見ても約300年だから、その間に各郡の地名がなかった、ということはありえないからな」
「鹿が『ひひ』と鳴いたので『日岡』と名付けた、というのはいかにも苦しいこじつけじゃない?」
ヒメは素直には信じない。
「僕は、日向勤氏の『霊(ひ)の国』説に立って、日岡山は『霊岡山』だと考えるな」
カントクは最近、日向説の引用が多い。
「日岡山が、神那霊山だという証拠があるの?」
マルちゃんは慎重だ。
「出雲の比婆山を源流とする斐伊川は氷川とも呼ばれ、本来の意味は『霊場山』『霊川』だったと考えられる。この加古川も古くは『氷川』と呼ばれていたことからみて、「霊川」のそばにある山が「霊岡山」であった可能性は高いんじゃないかな」
カントクは地名説が得意だ。
そうこうしているうちに、一同は日岡神社の社殿に着いた。案内板を見ながら、ヒナちゃんが解説した。
「私は日岡神社の祭神が重要と考えます。ここに書かれているように、この日岡神社は、9世紀の延喜式神名帳では『日岡坐天伊佐佐比古神社』と呼ばれています。霊岡山は『イササヒコ』を祀る一族の神那霊山として信仰されていたと思います」
ヒナちゃんは宗教から攻めるのが得意だ。
「天伊佐佐比古神って、どういう神なの?」
いつも次の推理小説を書くことを考えているヒメは、謎解きのための質問を外さない。
「延喜式神名帳よりも200年ほど前に書かれた播磨国風土記では、日岡に祀られた神は『大御津歯命の子の伊波都比古命』と書かれています。『天伊佐佐比古神』は、『伊波都比古命』の子孫と考えられます」
ヒナちゃんはよく調べている。
「『イワツヒコ』ってどういう神なの?」
「『伊和大神』とも呼ばれた大国主の子孫と思います。播磨国風土記では、伊和大神の御子として『建石敷命』や『石龍比古命・石龍売命』の名前が見えますし、大神の子の玉足日子(たまたらしひこ)・玉足比売(たまたらしひめ)命の子を『大石命』としています。これらの『石(いわ)』の付く名前から見て、『イワツヒコ』は大国主一族の可能性が高いと思います」
ヒナちゃんの調査は抜かりがない。
「前に、石の方殿のある伊保山と揖保川の名前が一緒という話があったけど、揖保川の河口の御津には3世紀の古墳がある。『大御津歯命』というのは、この御津と関わりがあるかもしれないね」
長老が今日は思い切った発言を続けている。
「前にもどるけど、万葉集に出てくる生石村主真人(おいしのすぐりまひと)や国司の上生石大夫(かみのおいしのまえつきみ)はさっきの『大石命』とは関係ないのかしら」
マルちゃんの記憶力はたいしたものだ。
「播磨国風土記では、石の方殿のことを、『名号を大石という』としていますから、古くは大石と言っていたのを、後に生石と言うようになったと思います」
ヒナちゃんはそこまで調べていながら、石の方殿に行った時には種明かしをしないでここまでとっておいたことになる。改めて高木はヒナちゃんの慎重さに驚かざるをえなかった。
「それと重要なことは、播磨国風土記が作成された当時の国司に、『大石王』の名前があります。また、雄略天皇に父を殺され、この地の北の賀毛郡に密かに逃れてきていた意祁(おけ)命・袁祁(おけ)命兄弟の弟、後の顕宗天皇の別名は『大石尊』です」
すごいことになってきた。
「古い順に見ていくと、大石尊、上生石大夫、大石王、生石村主真人は、全て大国主の孫の『大石命』をルーツにしている可能性がある、ということになるのね。下手な推理小説より面白いわねえ」
ヒメの頭の中では『高御位殺人事件』のストーリーは大転換を迎えているに違いなかった。

資料:日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)
参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
      霊の国:スサノオ・大国主命の研究
(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
      霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
  帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/にほんブログ村 小説ブログへ,にほんブログ村 小説ブログ ミステリー・推理小説へ,にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ,ブログランキング・にほんブログ村へ