世の中に起こる様々な問題は、それに関るほとんどの人が、だ~れも本当の
自分を信じていないことから起こる結果でしかないのです。
現象面から見れば、様々な要因が絡んでいる結果のように見えますが。
夫婦・親子・兄弟姉妹・教師生徒・上司部下そして、友人の間にある、起こる
諸問題。・・・・・
ーーー嗚呼ーーーー
そこにつけこむ宗教。”救ってあげます” ・・・本当に?
人の弱さにつけこむのです。これはとても失礼な見方ですか?
幾つかの団体の中を内側から見てきました。外側からじゃわからない何かを
知りたくて。そして、同じ境涯にいる仲間を見て「ああ、私だけじゃなかった」
って胸をなでおろす人々を見てきました。
疑いを持ってはいけない、ただこの教義を信じなさい。
教祖の言葉を、教祖の過去における様々な不思議な体験を、そして手を差し
伸べるその手を掴みなさい。
それであなたは苦しみから解放されるのです。 ・・・本当に?
釈尊は何も書かなかった?
キリストは復活した?原罪って何?
解釈次第で、どうにでもなる遥か昔の言葉(文字)。
平等であるべき人間が、一部の者に使われる、理不尽な思いをさせられる、
不平等と、生老病死からの逃避願望。そこに自然発生的に起きた宗教。
頭脳の仕組みが人より抜きんでた、力があった、霊感体質を持つ者達が
多くの人々を操作するようになり、権力を入手。笑いが止まらない!
そして、この現代に、相変わらず多くの人々は苦しみ、もがき、目を耳を
覆いたくなる事件だらけ。
それを仕方がない、そういうものさ、何をしてるんだか、やーねー、親が
、社会が、政治が、教育が、・・・・悪い!!!!って、人事(ひとごと)。
絶えず、傍観者、評論家、茶飲み話に、一杯引っ掛けて、寄ると触ると
無関係話(と心底思っている)に花を咲かす。
---嗚呼ーーーーーー
絶えず他人の目を意識し、おもね、拒否し、擦り寄って、誰も信じていない。
指導者を求め、どこかで拒否し、恋焦がれ、何かいい事ないか鵜の目鷹の目。
---嗚呼ーーーーー
寂し~~い。
当たり前!孤独感を持ちつづける人生。チラチラ上目遣いに見る周り。
どこにも「信じる」という言葉はない。
条件付きなら、期限付きなら、だって又違う何かが現れるかも知れないじゃない?!
品下(しなくだ)れる事が大好き。そこに「みんな」が付けば文句ある?に。
なぜならラクだから。
便利・ラクからは価値あるものなんか生まれない!・・・自論。
でも、自分を信じるって、難しい?いいえ、一番ラクチン。他者は離れる裏切る
いい加減でも、自分自身は一生離れないのです。変な言い方ですよね?
仕方ないのです、こういう言い方しか出来ないのですから。
手垢の付いた「魂」なんて表現は嫌いです。いっぺんに価値消滅って感じがする
のです、私には。
そうですね、生まれて、真っ直ぐ前を見る目をもってた頃、5~6才ぐらいで
しょうか? それとももう少し年令を重ねても純粋なままでしょうか?
そんな子が、それぞれの心の中に居ます。
本物の自分自身が、何でも出来る、透明な目をもつ純粋な本人がいることを
誰も知らないのです。
私?会いました、そう、1~2年前頃だったでしょうか。
突然、雷に打たれたような衝撃が、体内から突き上げるような感覚が襲って
きたのです。
その時、何を感じたか?自分の存在と自分の力と、何もかもを見捨ていた事に
気がついたのです。そして、謝ったのです、自分自身に。
「ごめんなさい」って。
どんなに寂しい思いをしてたでしょう。
どんなに歯がゆい思いで私と共に年月を歩いて来たことでしょう。
どんなに、どんなにどんなに・・・・・・ごめんなさい。
はっと気付いたのです。
誰でもない、私自身を信じてみようって。無限の可能性を。笑います?
きっと、そこに気付いた私を、私が見捨てる筈はないでしょう?誰でもない
私自身を。いとしい、いとしい私を。私にとって私以上の存在はないって。
ええ、誰でもです。それで、医者はいらない、指導者も要らない、なぜなら
道先案内人は、私自身なのですから。
どんなことが身の回りに起きようとも、私は揺らぎません。
信じきっている私を私が裏切る筈もなく、苦境に立たせる筈もないことを
知ったのですから。
信じるということは、こういうことなのです。自分を信じきれない人は
死ぬまで文句垂れの石(ごく)潰しでしかないのです。キョロキョロして
落ち着きのない人生、絶えず自分以外の誰かが、信じきってないのに、
誰かが幸せを持って来てくれる筈と、虚しい思いで生き続けるのです。
-----嗚呼ーーーーーーーーーー
そんな人の本当のその人は、心の中で膝小僧を抱えて泣いています。
等身大になれない自分を悲しがって、少年(少女)のままの姿で泣いてます。
私(僕)しかいないのよ、私(僕)しか自分を救えない事に気付いて!って、
叫んでいるのです。
この世で、自分にとって自分以上の価値あるもの(人)なんかないのです。
ネ?素晴らしいでしょう?自分が好きになれそうですか?ええ、それが
何よりも何よりも大事な事なのです。
それが出来たら、きっと人に対しても違う見方ができるようになります。
疑いを持ってはいけません!宗教家が言います。でも、誰も言いません。
信じるのは自分です!って。
自分を信じていないことから起こる結果でしかないのです。
現象面から見れば、様々な要因が絡んでいる結果のように見えますが。
夫婦・親子・兄弟姉妹・教師生徒・上司部下そして、友人の間にある、起こる
諸問題。・・・・・
ーーー嗚呼ーーーー
そこにつけこむ宗教。”救ってあげます” ・・・本当に?
人の弱さにつけこむのです。これはとても失礼な見方ですか?
幾つかの団体の中を内側から見てきました。外側からじゃわからない何かを
知りたくて。そして、同じ境涯にいる仲間を見て「ああ、私だけじゃなかった」
って胸をなでおろす人々を見てきました。
疑いを持ってはいけない、ただこの教義を信じなさい。
教祖の言葉を、教祖の過去における様々な不思議な体験を、そして手を差し
伸べるその手を掴みなさい。
それであなたは苦しみから解放されるのです。 ・・・本当に?
釈尊は何も書かなかった?
キリストは復活した?原罪って何?
解釈次第で、どうにでもなる遥か昔の言葉(文字)。
平等であるべき人間が、一部の者に使われる、理不尽な思いをさせられる、
不平等と、生老病死からの逃避願望。そこに自然発生的に起きた宗教。
頭脳の仕組みが人より抜きんでた、力があった、霊感体質を持つ者達が
多くの人々を操作するようになり、権力を入手。笑いが止まらない!
そして、この現代に、相変わらず多くの人々は苦しみ、もがき、目を耳を
覆いたくなる事件だらけ。
それを仕方がない、そういうものさ、何をしてるんだか、やーねー、親が
、社会が、政治が、教育が、・・・・悪い!!!!って、人事(ひとごと)。
絶えず、傍観者、評論家、茶飲み話に、一杯引っ掛けて、寄ると触ると
無関係話(と心底思っている)に花を咲かす。
---嗚呼ーーーーーー
絶えず他人の目を意識し、おもね、拒否し、擦り寄って、誰も信じていない。
指導者を求め、どこかで拒否し、恋焦がれ、何かいい事ないか鵜の目鷹の目。
---嗚呼ーーーーー
寂し~~い。
当たり前!孤独感を持ちつづける人生。チラチラ上目遣いに見る周り。
どこにも「信じる」という言葉はない。
条件付きなら、期限付きなら、だって又違う何かが現れるかも知れないじゃない?!
品下(しなくだ)れる事が大好き。そこに「みんな」が付けば文句ある?に。
なぜならラクだから。
便利・ラクからは価値あるものなんか生まれない!・・・自論。
でも、自分を信じるって、難しい?いいえ、一番ラクチン。他者は離れる裏切る
いい加減でも、自分自身は一生離れないのです。変な言い方ですよね?
仕方ないのです、こういう言い方しか出来ないのですから。
手垢の付いた「魂」なんて表現は嫌いです。いっぺんに価値消滅って感じがする
のです、私には。
そうですね、生まれて、真っ直ぐ前を見る目をもってた頃、5~6才ぐらいで
しょうか? それとももう少し年令を重ねても純粋なままでしょうか?
そんな子が、それぞれの心の中に居ます。
本物の自分自身が、何でも出来る、透明な目をもつ純粋な本人がいることを
誰も知らないのです。
私?会いました、そう、1~2年前頃だったでしょうか。
突然、雷に打たれたような衝撃が、体内から突き上げるような感覚が襲って
きたのです。
その時、何を感じたか?自分の存在と自分の力と、何もかもを見捨ていた事に
気がついたのです。そして、謝ったのです、自分自身に。
「ごめんなさい」って。
どんなに寂しい思いをしてたでしょう。
どんなに歯がゆい思いで私と共に年月を歩いて来たことでしょう。
どんなに、どんなにどんなに・・・・・・ごめんなさい。
はっと気付いたのです。
誰でもない、私自身を信じてみようって。無限の可能性を。笑います?
きっと、そこに気付いた私を、私が見捨てる筈はないでしょう?誰でもない
私自身を。いとしい、いとしい私を。私にとって私以上の存在はないって。
ええ、誰でもです。それで、医者はいらない、指導者も要らない、なぜなら
道先案内人は、私自身なのですから。
どんなことが身の回りに起きようとも、私は揺らぎません。
信じきっている私を私が裏切る筈もなく、苦境に立たせる筈もないことを
知ったのですから。
信じるということは、こういうことなのです。自分を信じきれない人は
死ぬまで文句垂れの石(ごく)潰しでしかないのです。キョロキョロして
落ち着きのない人生、絶えず自分以外の誰かが、信じきってないのに、
誰かが幸せを持って来てくれる筈と、虚しい思いで生き続けるのです。
-----嗚呼ーーーーーーーーーー
そんな人の本当のその人は、心の中で膝小僧を抱えて泣いています。
等身大になれない自分を悲しがって、少年(少女)のままの姿で泣いてます。
私(僕)しかいないのよ、私(僕)しか自分を救えない事に気付いて!って、
叫んでいるのです。
この世で、自分にとって自分以上の価値あるもの(人)なんかないのです。
ネ?素晴らしいでしょう?自分が好きになれそうですか?ええ、それが
何よりも何よりも大事な事なのです。
それが出来たら、きっと人に対しても違う見方ができるようになります。
疑いを持ってはいけません!宗教家が言います。でも、誰も言いません。
信じるのは自分です!って。
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