「ニーハォ!」
「こんにちは」
昨日は7cmヒールのパンプスを履いて「互相学習会」へ。
街はもう夏姿の人々でいっぱいでした。麻の服を着ている人までよ。
季節は先取りがかっこいい! It's a cool!
高橋老師はもうとっくに着席していらっしゃいました。12時にはお越しだそうで、
資料作成やら、始める準備やらで、早く来ますっておっしゃいました。
三々五々集まる先生と生徒達。3ヶ国語をマスターしたいって中国の女の子は、
スイスへの留学経験者。
「スイスは、フランス語・ドイツ語・イタリア語だったかしら?」
「ハイ、私はドイツ語を」
意欲が人を動かすのね。そこへその彼女担当の先生がいらして、スタート。
ビエンさんの日本語勉強の始まり~~~!
椅子へかけようとする彼に、
「どうぞ、おかけください」
「?????」
椅子へ手を向けて、彼をいざなう。何回も。
アッ、わかった! みたいな顔つきになったので
「明白了ma?:わかった?」
「はい!」
「お座りくださいは・・・・床に正座をして・・・これよ、本当は。でも、
椅子は、おかけください。説:言って」
「オカケ クダサイ」
「再一遍!:もう一回!」何回も何回も。
身体の名称。
「顎・喉・睫毛」などは、最早日本人でも読めても書ける人は少ない文字を
スラスラと、ちゃんとした漢字で書くのよ。
「髪の毛」から、「かみ」を辞書でひけば、私のそれに載っている「かみ」に
相当する文字は6個。それを見て、彼はビックリしてたわ。発音はほとんど同じで
文字が違う日本の漢字にね。中国語は1語1音だから、その違いを納得するには
双方とも大変なことね。
「高橋先生、漢字がわかる相手は、まったく違う言語の人に教えるよりラクかも
知れませんね?」
「ウン、でも、全然違う意味の文字もあるからねえ。例えば愛人は、妻・夫・子
どもって、いとしく大事に思う人の事で、日本語のそれとは違うみたいにね」
「そうですねえ、バレンタインデーも情人の日ですものね。日本人が見たらビックリ
なんて文字になったりですね」
身体の名称は、そこまでにして、次は不定詞と現在進行形に移行よ。座っては出来
ないから、まず「歩く」歩く動作をして止まって「停:とまる」次は歩き続ける。
「これは、歩いています」「動:動き」
書く・読む・行く。
続けて、「右・左・前・後ろ・上・下・となり」をジェスチャー、早く言う!
「机の上(下)に何がありますか?」
「ビエンさんの前にどなたがいらっしゃいますか?」
「???」
「どなた 誰?」
「ア~」
「明白了ma?」
「ハイ」
「いらっしゃいますか、は いますか」
それを書いていた彼は、っしゃいますか?に敬語の敬の字を大きく書いて、
指差す。
「ええ、そう。それがわかったら問題ないわ、大丈夫!」
途中で、お茶が出され、どなたかの差し入れお饅頭。
ヤンさんもそうだけど、ビエンさんも気配りがいっぱいよ。
日本の男の子たちが、外国でもこんな風にできるかしら?ってフト思うほどね。
あっと言う間に2時間は過ぎて、
「疲労」
「いいえ」って、手を振るから
「私がよ」ハハハハハ・・・。
エレベーターまで一緒。190cm近くはある彼に
「背が高いわねえ」
「セガ ?」
「ン~~、セ ガ・・・。不能説:言えない。対不起:ごめんなさい」
外に出れば、ヤンさんが自転車で着いたところ。
「学校へ行って来られませんでした」
「今日は、私も覚えたわ。言いながら書くって中国語でね」
「ビエンさん、下星期再見!:来週まで又ね」
「さようなら!」
坊やの野球や柔道の練習はないって。もう彼はオウチヘ戻ってお留守番(?)。
私にくっついてくるから、
「坊やが待ってるでしょうから、帰ってあげて!」
そうこうしている内に関内駅まで一緒に。
「ありがとう、もういいわよ」
「帰りますか?」
「ええ、何か?・・・わかったわ、コーヒーでも飲みましょう」
さっと千円札を出した彼女。
「メール読んだでしょう?嫌いなのよご馳走になるのが」
ニコニコ笑って聞こえない振り、さっさとお盆をテーブルへ。そこへ私は
自分のコーヒー代を。
色々話したい聞きたい彼女。
「人格は肩書きより勝る」って、紙に書いて、「肩書きって何?」
その説明をしていたら、「軍隊」って書いて、肩を叩くから、
「そうそう、それから来た言葉だと思うわ」
それにまつわる差別を見た日本人のとあるサークルの話。
いみじくも、テレビのある番組で、
「違う」を認めない日本人からは天才は出ない、って話しが出てたのだけど、
「みんな」って、実体のないその言葉に踊らされている日本人って、私の
自論を披露よ。なぜ?・・・自信が持てない、自信がないから。・・・なぜ?
それこそ、みんな違うってことに気が付かない、当たり前の事が受け入れられない
社会だったってことをね。
「例えば、"Who are you?
・・・I I I don't know.・・・I am them,maybe・・・なのよ」
「ああ、・・・・」頷くヤンさん。
「私?そう、イギリス人にも聞かれたわね~、レイコサンは誰?って。
私は、I am Me!よって言ったわ」
深く頷くヤンさん。
「でしょう?」
「ハイ」
「自分を大好きになることよ。大好きになったら、何も問題はないわ」
ゴソゴソとバックから取り出した本。私に。ああああぁぁぁぁぁ・・・・・・
どうして、こうも何かを渡したがるのか、与えたがるのか?
知りたくないけどね。
バランスシートは偏ってはいけないのよ。受け取るばかりは不健全です。
そこに、清潔な精神の姿は見られません。
私はいつも私とだけ一緒に生きますから、私の精神が腐らないように気配りを
欠かせません。
「モノ(含:お金)」は、感動が生まれてこそその「モノ」から「価値」が生
まれると、固くそう思っています。
「モノとお金」が人の心を深く傷つける事もあることを知っています。
長年にわたって、受け取り拒否を持てなかった弱い自分、そのジレンマに誇りを
傷つけれらて、精神を病んだ人の事も知っています。
・・・その後の報復が凄かった、20年前の友人に絡む出来事。
ズタズタにされた誇りだったって私は思いました。「モノ・カネ」では買えない・
購(あがな)えない人の誇りという至宝を傷つけることもある、否、ままある
「モノ・カネ」の目には見えない暴力が含まれます。
けれど、多くはそれを欲しがる卑しき人々。
「ノー!」って言えることは、とても大事な事なのです。「要りません!」って。
「こんなにしてあげたいって気持ちを踏みにじるの?」
という無言の圧力をはね返すそれは「勇気」に属するのです。
「お金を無くすことは小さな損失。信用をなくすことは大きな損失、けれども
勇気をなくすことは、全てを失う事」これは、本当に箴言です。
「トラベル中国語会話」中国語・ピンイン・カタカナ・英語で書かれた
ガイドブック。ハイ、もちろん日本語もあります。
「ありがとう、でも、これまでにしましょうね。じゃないと、もう会わないわ」
わかったのか、わからなかったのか、涼しいお顔のヤンさんでした。フ~~~~。
「こんにちは」
昨日は7cmヒールのパンプスを履いて「互相学習会」へ。
街はもう夏姿の人々でいっぱいでした。麻の服を着ている人までよ。
季節は先取りがかっこいい! It's a cool!
高橋老師はもうとっくに着席していらっしゃいました。12時にはお越しだそうで、
資料作成やら、始める準備やらで、早く来ますっておっしゃいました。
三々五々集まる先生と生徒達。3ヶ国語をマスターしたいって中国の女の子は、
スイスへの留学経験者。
「スイスは、フランス語・ドイツ語・イタリア語だったかしら?」
「ハイ、私はドイツ語を」
意欲が人を動かすのね。そこへその彼女担当の先生がいらして、スタート。
ビエンさんの日本語勉強の始まり~~~!
椅子へかけようとする彼に、
「どうぞ、おかけください」
「?????」
椅子へ手を向けて、彼をいざなう。何回も。
アッ、わかった! みたいな顔つきになったので
「明白了ma?:わかった?」
「はい!」
「お座りくださいは・・・・床に正座をして・・・これよ、本当は。でも、
椅子は、おかけください。説:言って」
「オカケ クダサイ」
「再一遍!:もう一回!」何回も何回も。
身体の名称。
「顎・喉・睫毛」などは、最早日本人でも読めても書ける人は少ない文字を
スラスラと、ちゃんとした漢字で書くのよ。
「髪の毛」から、「かみ」を辞書でひけば、私のそれに載っている「かみ」に
相当する文字は6個。それを見て、彼はビックリしてたわ。発音はほとんど同じで
文字が違う日本の漢字にね。中国語は1語1音だから、その違いを納得するには
双方とも大変なことね。
「高橋先生、漢字がわかる相手は、まったく違う言語の人に教えるよりラクかも
知れませんね?」
「ウン、でも、全然違う意味の文字もあるからねえ。例えば愛人は、妻・夫・子
どもって、いとしく大事に思う人の事で、日本語のそれとは違うみたいにね」
「そうですねえ、バレンタインデーも情人の日ですものね。日本人が見たらビックリ
なんて文字になったりですね」
身体の名称は、そこまでにして、次は不定詞と現在進行形に移行よ。座っては出来
ないから、まず「歩く」歩く動作をして止まって「停:とまる」次は歩き続ける。
「これは、歩いています」「動:動き」
書く・読む・行く。
続けて、「右・左・前・後ろ・上・下・となり」をジェスチャー、早く言う!
「机の上(下)に何がありますか?」
「ビエンさんの前にどなたがいらっしゃいますか?」
「???」
「どなた 誰?」
「ア~」
「明白了ma?」
「ハイ」
「いらっしゃいますか、は いますか」
それを書いていた彼は、っしゃいますか?に敬語の敬の字を大きく書いて、
指差す。
「ええ、そう。それがわかったら問題ないわ、大丈夫!」
途中で、お茶が出され、どなたかの差し入れお饅頭。
ヤンさんもそうだけど、ビエンさんも気配りがいっぱいよ。
日本の男の子たちが、外国でもこんな風にできるかしら?ってフト思うほどね。
あっと言う間に2時間は過ぎて、
「疲労」
「いいえ」って、手を振るから
「私がよ」ハハハハハ・・・。
エレベーターまで一緒。190cm近くはある彼に
「背が高いわねえ」
「セガ ?」
「ン~~、セ ガ・・・。不能説:言えない。対不起:ごめんなさい」
外に出れば、ヤンさんが自転車で着いたところ。
「学校へ行って来られませんでした」
「今日は、私も覚えたわ。言いながら書くって中国語でね」
「ビエンさん、下星期再見!:来週まで又ね」
「さようなら!」
坊やの野球や柔道の練習はないって。もう彼はオウチヘ戻ってお留守番(?)。
私にくっついてくるから、
「坊やが待ってるでしょうから、帰ってあげて!」
そうこうしている内に関内駅まで一緒に。
「ありがとう、もういいわよ」
「帰りますか?」
「ええ、何か?・・・わかったわ、コーヒーでも飲みましょう」
さっと千円札を出した彼女。
「メール読んだでしょう?嫌いなのよご馳走になるのが」
ニコニコ笑って聞こえない振り、さっさとお盆をテーブルへ。そこへ私は
自分のコーヒー代を。
色々話したい聞きたい彼女。
「人格は肩書きより勝る」って、紙に書いて、「肩書きって何?」
その説明をしていたら、「軍隊」って書いて、肩を叩くから、
「そうそう、それから来た言葉だと思うわ」
それにまつわる差別を見た日本人のとあるサークルの話。
いみじくも、テレビのある番組で、
「違う」を認めない日本人からは天才は出ない、って話しが出てたのだけど、
「みんな」って、実体のないその言葉に踊らされている日本人って、私の
自論を披露よ。なぜ?・・・自信が持てない、自信がないから。・・・なぜ?
それこそ、みんな違うってことに気が付かない、当たり前の事が受け入れられない
社会だったってことをね。
「例えば、"Who are you?
・・・I I I don't know.・・・I am them,maybe・・・なのよ」
「ああ、・・・・」頷くヤンさん。
「私?そう、イギリス人にも聞かれたわね~、レイコサンは誰?って。
私は、I am Me!よって言ったわ」
深く頷くヤンさん。
「でしょう?」
「ハイ」
「自分を大好きになることよ。大好きになったら、何も問題はないわ」
ゴソゴソとバックから取り出した本。私に。ああああぁぁぁぁぁ・・・・・・
どうして、こうも何かを渡したがるのか、与えたがるのか?
知りたくないけどね。
バランスシートは偏ってはいけないのよ。受け取るばかりは不健全です。
そこに、清潔な精神の姿は見られません。
私はいつも私とだけ一緒に生きますから、私の精神が腐らないように気配りを
欠かせません。
「モノ(含:お金)」は、感動が生まれてこそその「モノ」から「価値」が生
まれると、固くそう思っています。
「モノとお金」が人の心を深く傷つける事もあることを知っています。
長年にわたって、受け取り拒否を持てなかった弱い自分、そのジレンマに誇りを
傷つけれらて、精神を病んだ人の事も知っています。
・・・その後の報復が凄かった、20年前の友人に絡む出来事。
ズタズタにされた誇りだったって私は思いました。「モノ・カネ」では買えない・
購(あがな)えない人の誇りという至宝を傷つけることもある、否、ままある
「モノ・カネ」の目には見えない暴力が含まれます。
けれど、多くはそれを欲しがる卑しき人々。
「ノー!」って言えることは、とても大事な事なのです。「要りません!」って。
「こんなにしてあげたいって気持ちを踏みにじるの?」
という無言の圧力をはね返すそれは「勇気」に属するのです。
「お金を無くすことは小さな損失。信用をなくすことは大きな損失、けれども
勇気をなくすことは、全てを失う事」これは、本当に箴言です。
「トラベル中国語会話」中国語・ピンイン・カタカナ・英語で書かれた
ガイドブック。ハイ、もちろん日本語もあります。
「ありがとう、でも、これまでにしましょうね。じゃないと、もう会わないわ」
わかったのか、わからなかったのか、涼しいお顔のヤンさんでした。フ~~~~。
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