ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

恋人は複数

2009-01-23 09:17:46 | Weblog
木々の梢の先には、まだかなぁって、硬い蕾がステージの袖で出番を待っています。
散歩途中、ふっと見上げる様々な木の先。冬の青空に両手を広げてはいるものの、
まだ寒さに身を縮めながら、片目をそうっと開けて、自身を取り巻く世界を見ているよ
うな、春を今か今かと心待ちしているような、モノ言わぬ植物達の声なき声を
聞いてるような立春前の寒さの中にいます。

夕べ、思い立って鏡餅入りのお汁粉を作って、年中行事にふっと思いをはせて、
2~3人の友人へ「しきたりにこだわっておいでかしら?」って、メールを
出しました。ついでに、ルルフォの小説から、G・マルケスの小説にも通じる
時空を超えるお話を読むうちに、シャーマンって言葉が浮かんできたのよって。
それに、カザマサンがお返事を下さって、ボリビア在住時、運転手がある時、
庭に女の霊がいるからもう来ないって。それで、シャーマンにお祓いをして貰
ったって、小説もどきのお話が送信されてきました。
宇宙へ飛び出し、宇宙ステーションでの生活も可能になってきているこの時代、
科学の向こう側の世界に今尚住む人々が世界には大勢いるのです。
宗教もその一つでしょう。神秘の世界の住人達は、それで浮世の辛さ苦しさか
ら逃避するのでしょう。自分のせいじゃない、霊の力だって。それを否定した
って意味はありません。その人が思う世界がその人にとって全世界なのですか
ら、他者は介入できないのです。
久しぶりのそのジャンルの本です。南米の空気が漂ってくるような、ムワーと
熱気が迫ってくるような、かなり臨場感が味わえるお話に、ルルフォの力量を
感じます。グァテマラでわずか(5週間)住んでみて、今尚マヤの伝統の中に
生きる人々を目の当たりにした経験から、なんとなく感じるラテンアメリカの
空気です。読者に何を感じさせたいか?所と人と時間が織り成す物語。

 新しい作家と作品は、期待と不安がない交ぜになってます。初めて読む作品が、
ピタッとフィットした時は、新しい恋人?そんな興奮があります。ときめきを感
じて、その作家の作品にのめり込みます。出会いを感謝します。
アガサ・クリスティは女性でしたが、多くの男性作家が書く物語は、私をどれ
ほど魅了してやまなかったでしょう。エド・マクベインも司馬量太郎も今は鬼籍。
雨後の筍のように、自費出版の本も並ぶ書店へは近づきません。読むに耐えない
自費出版作品に付き合わされて、ごめんなさい です。苦痛の何者でもない作品
を世に出すって、編集者たちが不在の出版業界なのでしょうか?お金さえ入れば
作品の良否は問わない? 

それぞれに違うタイプの恋人が欲し~~~~い!
アッ色恋がテーマの本はとっくのとうに卒業です。10代~30代頃まで。人の、
生物の生理に合う関心事です。そう、次世代を送り出せる機能がまだ健在か否か?
ってね。そんな時は、無意識にそれへの関心は高まるのですから、よく出来ている
私たちの身体です。けれども、それだけでは済まさない厄介な人というホモサピ
エンスは、性を快楽対象として扱います。それが芸術につながる。それは否定で
きないけれど。下半身が底流にしつこくある作品は読みません。卒業しましたと
っくのとうに。色恋は体験すべきものだからって。エッ過激?でも、そうでしょ
う?見たり読んだりじゃなく、生身の人間に当たってこそって思うのですもの。
そこにある悲喜こもごものドラマ。作り物じゃない、空想の産物じゃない物語が。

ということで、私は、毎日読むいろいろなジャンルの登場人物達の影となって、
物語りに付き添います。中国やチェコやアメリカ他、様々な国の書き手の織り成
す物語に、素晴らしい翻訳者に敬意を表しながら、色恋抜きの話に夢中になって
います。緻密な描写の陰に、読者が想像できる余白がある作品が好きです。
取り敢えずは、ウチにいる(?)恋人達との逢瀬を楽しみましょう。最近は、
紅茶に凝っています。夜更けてからもウィスキーなんぞを垂らしたカップをたな
ごころに包み、静かに流れる夜の空気と共に味わっています。


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