ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

ここはどこ?

2008-09-01 15:03:05 | Weblog

馬専科も北の国に戻り、又いつもの日々が横浜にも戻ってきました。
犬はソファの上で、猫は箪笥の上で午睡を。

確約は何もしていない日系ペルー人のアナさんへの日本語伝授。
外国語だけは特に、接する回数が多ければ多いほどいい!で、行って来ました
コラソン・ラティノで待ち合わせは3時。
「今日は辞書を持ってこなかったので、お話を中心にしましょう。もちろん
日本語だけよ」
彼女が困ったように、顔をしかめます。

「末っ子が帰って来るその日、彼が乗る飛行機が、羽田の天候が悪く欠航でね、
そのまま駐車場で一夜を明かして、翌日の朝一番の飛行機で帰って来たよ。
・・・わかるかしら?意味が。なんとなく?OKいいわ。では、もう一度言うの
で、ドンドン書いて!漢字が書ければ書いてね」
そう、速記者みたいに書き留める作業を。きちんとした性格なのでしょう、
1字1字きっちり くっきり 日本語を書き進めます。ひらがなオンパレード。
漢字に変換。助詞は私がマーカーを入れる。それをスピードを上げながら、
何回も読む、見ないで言う。
次は彼女の出来事を。このところの天候の話。そして、一人お嬢ちゃんへ
スペイン語で書く事を教える話。まず、言って、なめらかに言える迄
になったら、同じように日本語で書く。

美しい日本語を覚えて欲しいので、例えば「食べる」
「食べる?」は家族・年少者・友達に言う。
「食べますか?」は少し改まった言い方。誰に対してでも可。
「召し上がりますか?」これが一番美しい聞き方。
応え方は、
「はい、いただきます」「いいえ、結構です」。結構の遣い方も少し。
もちろん、漢字に変えるわ。彼女には、日本の女性が真っ青っていうくらいに、
丁寧な言い方を覚えてもらうつもりです。それは、彼女を高めることですから。

「アラッいつの間に?」
様々な皮膚・髪の毛の色、男女、飛び交うスペイン語。
気がつけば満席のコラソン・ラティノでした。
「私が外国人みたいね」
ウルタドさんがお嬢ちゃんを連れて「こんにちは!」
「幾つ?」
ママが"Japones!:日本語で」って。
「4才」
「混んで来たので又にしましょう」
「どこへ行きますか?」
"Claro,vuervo a mi casa.:もちろんウチへ帰るのよ」
「車行きます」
「ありがとう、でも歩いて帰るわ。では又ね。何回も何回も早く早く
言う!いっぱい練習してね」
「又、会いましょう!」
「はい、さようなら」

アップダウンの激しいこことウチまでの地形です。
帰り道、セニョール・ダンと彼の友人が借りて耕している畑に寄って、
食べごろナスを3個もぎって帰りました。

そうそう、マリアさんへ
「ミゲリ-トはペルーへ帰ってるわ。知らなかったでしょう?」
「ペルー?」
「ええ、多分ね。住所をこの次教えてね。お家へ帰ってるでしょうから」

私は彼の消息を、彼に繋がりそうな所を探し出したのです。
身内から放り出された、否、彼が自ら切った今の身内たちのようです。
日本で暮らすより、生まれ育った故郷の方が、今の彼にとってはいいのです。
ビザが切れる1月に、私と会った直後くらいに、彼は一人でペルーへ帰った
ようでした。
どうしても読んで欲しい本(スペイン語)を彼に渡したいのです。
そして、日本に来たばっかりに、知らなくていいことを全て知ってしまった
彼の苦痛、苦悩を、少しでも和らげてあげたい。私の大事な生徒が苦しむのを
放って置けないのです。どれほど辛い日々だったか。

また、いつの日か、仕切りなおしで日本へ来られるように。
嫌な事がいっぱい彼を苦しめた日本だったでしょう。でも、素晴らしい日々を
刻める日本になって、出直して欲しいって、切に切に願い祈る私なのです。

「レイコサン、ミゲリ-トは行方不明よ」
「わかったわ。私が彼を探すわ。大丈夫!必ず探し出すわ」

そして、すぐ会える所にはいませんでしたが、彼の居場所を見つけたのです。
彼は、ペルーの大地に癒されつつあるでしょう。彼が生まれ育ったインカの
大地に。そして、近い将来、私からの贈り物を手にする筈です。
 "Migelito , nada nada no hay problema!nada!"
      「 大丈夫、何も心配ないわ!」  って。