♪夏も近づく八十八夜♪
野にも山にも若葉が茂り♪
今年もやってきました茶摘の季節が。
大鉢で育てている私の宇治茶。丁寧に摘んで、洗って蒸して、撚って
煎って、出来上がり~~!
最初の1杯は、母へ、よ。
「お母さん、又この季節がやってきて、私のお茶遊びをしたところよ。
召し上がれ」
なんてね。私は未だに母と遊んでるわ。
「お花がきれいでしょう?」「戴きモノよ、最初にどうぞ」とか
「初物だから、最初にお母さんね」なんて。これ、全て遊び。
さっき、今夕、新橋であいましょう、のメールが来てて、帰りを思うと
ちょっと腰が重くなるのよ、電車で寝過ごして横浜通り越しちゃったらなんて。
そうしたところへ、集合場所の小料理屋女性オーナー(中学、高校同じ)から
電話、「来なさい!」だって。珍しい旧友が来るからって。
中に、同じ横浜から出向くクラスメイトがいるって。なら、寝過ごすこともなく
オシャベリしながら帰れるわねで、急遽、新橋へ出掛けることになったわ。
この前、ウン十年ぶりに会った、中学同期の面々+当日来られなかった旧友も
来るって。その中の出てこられなかった旧友の一人は、子どもはいない、優雅
な有閑マダム。ゴルフ三昧の日々だそうな。
私の中の彼女は足を何かで骨折して、ギブスを装着したまま、今日行くお店の
オーナーの自転車の後ろに乗って、我が家へ日参してた女の子でしかないのよね。
面白かった中学時代よ~~~。マダム然としてようが、私にとってはギブスの
セッチャンでしかないのよ。オーナー曰く、変わっちゃないけどね。
高校時代のクラス会で、「私の今は~~~ですのよ」式の女達がいなくもないけ
れど、あれは辞めた方がいいわね。今じゃなく、その当時に戻ってしまうのです、
戻りたくないっていっても、その後の時空は知らないし、知らない=ない、なの
よ。そういう女は悲しい。数えられるものを誇示しなきゃならない人は可哀想。
あの、かってのIT産業の申し子は、
「全ては金!」って、豪語してたらしいけれど、それを聞いた時、心底
「可哀想に」って思ったわね。それがモノを言わない世界があることを彼は知ら
ないで30年間も生きてきてしまったのね~~~って。
立場を強調する人もいるじゃない?
そういう人も、私から見たらバカモノでしかないの。ただ、
「フ~~~ン、それが?」
ってなものでね。なので、私の前では誰も自慢は出来なくなってきたわ。
鬱陶しいの一語の存在でしかないもの。シッシッあっちへ行って!てね。
今日は、又、懐かしい親戚の子達に会いに。そんな気分になる集まりよ。
自慢する子(オジサン・オバサン)、内容によっては拍手喝采は惜しまないわ。
人の嬉しさは、私の大好物ですから、嬉しい楽しい可笑しい話はもっともっと
もっとです。
セニョール・ダンは、男の料理教室の打ち合わせやらにお出かけです。
彼のために何か気の利いた肴を作って、早めに出かけましょう。
お客様が見えない間は、彼女達とべちゃべちゃお喋りよ。
メールをくれた造園土木設計者。彼らは、6時半に新橋駅で待ち合わせってあっ
たけれど、そんなのは知っちゃいないわ。さっさと彼女のお店に行って、ギブス
の彼女を交えて、オシャベリ前哨戦を始めることに決定。
お酒があろうとなかろうと、女達のおしゃべりは弾みます。
「好きでした」言われた彼女は、人生を振り返ってみたそうです。
兎角、長女は可愛気がない。どこかで気張る。優等生を演じたがる。その上、
彼女は気風のいい姐御肌。 少しうろたえてしまったそうです。
フフフ、うろたえなさい。立場で生きるなんて、いい加減にしたら?
2回も頭蓋骨を切った私は、クリアにシンプルに生きることが人には必要って、
心底思うようになったのよ。まぁ、昔から蚊帳の外の住人でありたいって思って
生きてきた人間ですから、蚊帳の中のことには興味はないけどね。
そんなこんなをしゃべり尽くして(かしら?)きましょう。
しっとり濡れる東京の街を、ネオンを見てきましょう。横浜の田舎に住む
魔女は、今夜はどんな会話に酔い痴れるでしょう。
野にも山にも若葉が茂り♪
今年もやってきました茶摘の季節が。
大鉢で育てている私の宇治茶。丁寧に摘んで、洗って蒸して、撚って
煎って、出来上がり~~!
最初の1杯は、母へ、よ。
「お母さん、又この季節がやってきて、私のお茶遊びをしたところよ。
召し上がれ」
なんてね。私は未だに母と遊んでるわ。
「お花がきれいでしょう?」「戴きモノよ、最初にどうぞ」とか
「初物だから、最初にお母さんね」なんて。これ、全て遊び。
さっき、今夕、新橋であいましょう、のメールが来てて、帰りを思うと
ちょっと腰が重くなるのよ、電車で寝過ごして横浜通り越しちゃったらなんて。
そうしたところへ、集合場所の小料理屋女性オーナー(中学、高校同じ)から
電話、「来なさい!」だって。珍しい旧友が来るからって。
中に、同じ横浜から出向くクラスメイトがいるって。なら、寝過ごすこともなく
オシャベリしながら帰れるわねで、急遽、新橋へ出掛けることになったわ。
この前、ウン十年ぶりに会った、中学同期の面々+当日来られなかった旧友も
来るって。その中の出てこられなかった旧友の一人は、子どもはいない、優雅
な有閑マダム。ゴルフ三昧の日々だそうな。
私の中の彼女は足を何かで骨折して、ギブスを装着したまま、今日行くお店の
オーナーの自転車の後ろに乗って、我が家へ日参してた女の子でしかないのよね。
面白かった中学時代よ~~~。マダム然としてようが、私にとってはギブスの
セッチャンでしかないのよ。オーナー曰く、変わっちゃないけどね。
高校時代のクラス会で、「私の今は~~~ですのよ」式の女達がいなくもないけ
れど、あれは辞めた方がいいわね。今じゃなく、その当時に戻ってしまうのです、
戻りたくないっていっても、その後の時空は知らないし、知らない=ない、なの
よ。そういう女は悲しい。数えられるものを誇示しなきゃならない人は可哀想。
あの、かってのIT産業の申し子は、
「全ては金!」って、豪語してたらしいけれど、それを聞いた時、心底
「可哀想に」って思ったわね。それがモノを言わない世界があることを彼は知ら
ないで30年間も生きてきてしまったのね~~~って。
立場を強調する人もいるじゃない?
そういう人も、私から見たらバカモノでしかないの。ただ、
「フ~~~ン、それが?」
ってなものでね。なので、私の前では誰も自慢は出来なくなってきたわ。
鬱陶しいの一語の存在でしかないもの。シッシッあっちへ行って!てね。
今日は、又、懐かしい親戚の子達に会いに。そんな気分になる集まりよ。
自慢する子(オジサン・オバサン)、内容によっては拍手喝采は惜しまないわ。
人の嬉しさは、私の大好物ですから、嬉しい楽しい可笑しい話はもっともっと
もっとです。
セニョール・ダンは、男の料理教室の打ち合わせやらにお出かけです。
彼のために何か気の利いた肴を作って、早めに出かけましょう。
お客様が見えない間は、彼女達とべちゃべちゃお喋りよ。
メールをくれた造園土木設計者。彼らは、6時半に新橋駅で待ち合わせってあっ
たけれど、そんなのは知っちゃいないわ。さっさと彼女のお店に行って、ギブス
の彼女を交えて、オシャベリ前哨戦を始めることに決定。
お酒があろうとなかろうと、女達のおしゃべりは弾みます。
「好きでした」言われた彼女は、人生を振り返ってみたそうです。
兎角、長女は可愛気がない。どこかで気張る。優等生を演じたがる。その上、
彼女は気風のいい姐御肌。 少しうろたえてしまったそうです。
フフフ、うろたえなさい。立場で生きるなんて、いい加減にしたら?
2回も頭蓋骨を切った私は、クリアにシンプルに生きることが人には必要って、
心底思うようになったのよ。まぁ、昔から蚊帳の外の住人でありたいって思って
生きてきた人間ですから、蚊帳の中のことには興味はないけどね。
そんなこんなをしゃべり尽くして(かしら?)きましょう。
しっとり濡れる東京の街を、ネオンを見てきましょう。横浜の田舎に住む
魔女は、今夜はどんな会話に酔い痴れるでしょう。