雨のそぼふる秋の日。
母がまだこちらの岸辺の人なら、今日は盛大にお誕生日のパーティだったはずです。
今日は『米寿』のお誕生日に当たります。
生年月日を元号で言うより、西暦のほうが覚え易かったのでしょう、本人にしても。
1917年よ、って。う~~ん、何年だったっけ?大正・・・、よりも。
その母が、糖尿病が元で、脳梗塞で寝たきりになり、そして、帰らぬ旅へ行って早
6年。
母のための祭壇はありません。
ウ~ン、ハッキリ言って、『困った時の神頼み』の人でしたし、『死者は死者に任
せよ』の言葉。それを実行する人でもありました。
シベリアで抑留、そのまま帰らぬ人となった父の法事など、したこともなく(何の
遺品もない知らせだけの死なんて、認めたくなかったのかもしれません)、いきな
り3人の娘達を一人で育てなければならない境涯に立たされた母は、「生き仏が大
事」と言って憚らない人でした。 それを非難なんかもしませんし、宗教が、いか
に偏狭なものかも知ってます。そして、『仏作って、魂入れず』のように、形骸化
するそれに、身を委ねない。何かを拝む事はしない私でもありますから、日々の中
で、庭に咲く花々や、初物の果物を供え、嬉しい・楽しい話は、バラのレリーフ仕
様の額縁に納っている、ロングドレス姿のその母に語りかけるだけです。
母が大好きだった柿と梨。何より何より好きだったユリの花、それと、この秋に、
見事に咲いてくれた、バラの名花「ブルームーン」と、香り高い「ホワイト・クリ
スマス」をドカーンと写真のまわりに飾り、そして、母を語るには欠かせないタバコ。
セニョール・ダンに1本もらって、
「これがなきゃねえ、お母さん」
いつも写真を置いてあるテーブルには、本がいっぱいあります。
母を私が誇りとしてきた、その大きな理由の一つに、かなりな読書家だったことで
すから、写真を取り囲むように、様々なジャンルの本があります。
今朝、果物とゴージャスなお花と、母が好んだ銘柄とは違うけれど、火をつけたタ
バコを供えながら、
「お母さん、お誕生日おめでとう。何か面白い本あった?」
って、聞きました。ええ、残念ながら返事はなかったけれど、ほとんど節操のない,
という私の読書傾向。その様々な本達が、母のお守りですから、何かは面白いもの
も中にはあったでしょう。
死者に対して行う事は、残された者の、自己満足の範囲内の事と思っています私は。
けれども、遠い祖先の事はいざ知らず、今日ここにいる私は、間違いなく母がいた
ればこそなのですから、私は、命日よりも、お誕生日をもって、母を偲ぼうと思う
のです。そして、決してお願いはしません。死んだ人にまで・・・、あさましくは
生きない、それがモットーの、母の娘です。そして、『葉隠れ武士』の末裔でもあ
る私ですから、充分『恥』が何かは知っています。加えて、鹿児島で生まれた私な
のですから、・・・・・誇りです、出自が。何よりも何よりも嬉しい事は、佐賀で
医者だった祖父の、『医は仁術なり』で生きたという、母から聞かされた話など。
まあ、佐賀県人は、人にも自分にも厳しいという、鍋島藩特有の厳しさがあったら
しい気風を持つ、と言われる土地・人柄ですから、まあまあ、なあなあ、のなしく
ずし的思考が苦手な。ええ、そんな風は、私も持ってます。
そう、潔癖ですね。幾つになっても、大河になりきれない、清濁併せ呑む、なんて
苦手な人間ですが、無形の遺産を、かかえきれないほど母からもらった幸せに、心
から感謝なのです。
「お母さん、また違う本を置いとくわね。そうそう、『ノルウェイの森』が面白か
ったって、言ってたものねえ。彼の本も最近何冊か買ったのよ。読んだら回すわね」
雨に煙る景色は、秋の休日でも、悪くはありません。植物達も、騒がしかった夏の
疲れを癒す季節が巡り来たということで、きっと、ホッとしているでしょう。
彼岸の母を偲んでいる秋の日です。
今夜は焼肉よ~!母の大好物だったのですもの。フフフ、でも、母は牛肉の事を
牛臭いって。だって、牛なのですからしょうがないのにね。
ほどほどにしないと、『母』の話は尽きません。
合掌
母がまだこちらの岸辺の人なら、今日は盛大にお誕生日のパーティだったはずです。
今日は『米寿』のお誕生日に当たります。
生年月日を元号で言うより、西暦のほうが覚え易かったのでしょう、本人にしても。
1917年よ、って。う~~ん、何年だったっけ?大正・・・、よりも。
その母が、糖尿病が元で、脳梗塞で寝たきりになり、そして、帰らぬ旅へ行って早
6年。
母のための祭壇はありません。
ウ~ン、ハッキリ言って、『困った時の神頼み』の人でしたし、『死者は死者に任
せよ』の言葉。それを実行する人でもありました。
シベリアで抑留、そのまま帰らぬ人となった父の法事など、したこともなく(何の
遺品もない知らせだけの死なんて、認めたくなかったのかもしれません)、いきな
り3人の娘達を一人で育てなければならない境涯に立たされた母は、「生き仏が大
事」と言って憚らない人でした。 それを非難なんかもしませんし、宗教が、いか
に偏狭なものかも知ってます。そして、『仏作って、魂入れず』のように、形骸化
するそれに、身を委ねない。何かを拝む事はしない私でもありますから、日々の中
で、庭に咲く花々や、初物の果物を供え、嬉しい・楽しい話は、バラのレリーフ仕
様の額縁に納っている、ロングドレス姿のその母に語りかけるだけです。
母が大好きだった柿と梨。何より何より好きだったユリの花、それと、この秋に、
見事に咲いてくれた、バラの名花「ブルームーン」と、香り高い「ホワイト・クリ
スマス」をドカーンと写真のまわりに飾り、そして、母を語るには欠かせないタバコ。
セニョール・ダンに1本もらって、
「これがなきゃねえ、お母さん」
いつも写真を置いてあるテーブルには、本がいっぱいあります。
母を私が誇りとしてきた、その大きな理由の一つに、かなりな読書家だったことで
すから、写真を取り囲むように、様々なジャンルの本があります。
今朝、果物とゴージャスなお花と、母が好んだ銘柄とは違うけれど、火をつけたタ
バコを供えながら、
「お母さん、お誕生日おめでとう。何か面白い本あった?」
って、聞きました。ええ、残念ながら返事はなかったけれど、ほとんど節操のない,
という私の読書傾向。その様々な本達が、母のお守りですから、何かは面白いもの
も中にはあったでしょう。
死者に対して行う事は、残された者の、自己満足の範囲内の事と思っています私は。
けれども、遠い祖先の事はいざ知らず、今日ここにいる私は、間違いなく母がいた
ればこそなのですから、私は、命日よりも、お誕生日をもって、母を偲ぼうと思う
のです。そして、決してお願いはしません。死んだ人にまで・・・、あさましくは
生きない、それがモットーの、母の娘です。そして、『葉隠れ武士』の末裔でもあ
る私ですから、充分『恥』が何かは知っています。加えて、鹿児島で生まれた私な
のですから、・・・・・誇りです、出自が。何よりも何よりも嬉しい事は、佐賀で
医者だった祖父の、『医は仁術なり』で生きたという、母から聞かされた話など。
まあ、佐賀県人は、人にも自分にも厳しいという、鍋島藩特有の厳しさがあったら
しい気風を持つ、と言われる土地・人柄ですから、まあまあ、なあなあ、のなしく
ずし的思考が苦手な。ええ、そんな風は、私も持ってます。
そう、潔癖ですね。幾つになっても、大河になりきれない、清濁併せ呑む、なんて
苦手な人間ですが、無形の遺産を、かかえきれないほど母からもらった幸せに、心
から感謝なのです。
「お母さん、また違う本を置いとくわね。そうそう、『ノルウェイの森』が面白か
ったって、言ってたものねえ。彼の本も最近何冊か買ったのよ。読んだら回すわね」
雨に煙る景色は、秋の休日でも、悪くはありません。植物達も、騒がしかった夏の
疲れを癒す季節が巡り来たということで、きっと、ホッとしているでしょう。
彼岸の母を偲んでいる秋の日です。
今夜は焼肉よ~!母の大好物だったのですもの。フフフ、でも、母は牛肉の事を
牛臭いって。だって、牛なのですからしょうがないのにね。
ほどほどにしないと、『母』の話は尽きません。
合掌