ユッコ姉の日記

日々思うことをタリラリラン♪っと・・・。

2016年のお正月・・・その4

2016年01月09日 02時05分19秒 | 思う事・・・
 - 1月4日 -
この日、私は9:30~12:00まで仕事が入っていた。
医師も「暫く様子を見る」と言っていたから、病院には午後から行けば良いだろうーと思っていた。
ところが、そろそろ仕事に出かけようかと思っていた午前9時。
父からの電話。
  お母さん、10時から手術する事になったから。

はあ~!!! なんでイキナリ手術!!!
しかも、こんな直前に言われても、行けないぞ!
父は、別に来なくても良い。と言う。
確かに手術中はする事もなく、ただ待ってるだけだから、いても仕方ないんだけど・・・
スグに名古屋の妹と大阪の妹にメール。
私は仕事に出かけた。
いくらなんでも急すぎるし、こんな直前の時間では、誰か代りを探してもらう事も出来ないからー
仕事が終わり次第、病院に駆けつけるつもりだったけど、
10:30に父からメール。
 母さんの手術、午後3時からになった。
もう、コロコロとなんなのよお~!
再び妹二人にメールで連絡。

12時にお仕事が終わり、私はその足で病院へー
母は、まだ病室にいた。
昨日より腫れもだいぶ引いている。抗生物質がかなり効いたようだった。
医師からの呼び出しを病室で待っていると、そこへ、母の兄夫婦(私からは叔父夫婦)が二組やってきた。
たまたま実家に電話をして、父から母の入院の事を知らされ、急いで駆け付けてくれたらしい。
母は、「わざわざ来てくれるほどの物じゃないのに・・・」と酷く恐縮していた。

3時になったが、まだ医師からの呼び出しはない。
するとそこに、ひょっこり名古屋の妹が現れた。
母の入院を理由に、仕事を半日で切り上げて来たらしい。
母は、また「仕事を休んでまで来なくても・・・」と気にしていた。

4時になって、ようやく呼ばれる。
手術でも1時間くらいで終わるハズー と思っていた。
家族に説明するので来てくれ。と言われたが、叔父たちも含めて総勢7人の人間は流石に多く、
父と私と妹だけが話を聞いた。
そこで見せてもらったCT写真。
そこには、ひと目で分かる、大きな白い塊がクッキリ、ハッキリ写っていた。
結晶化した石は4つ。だいたい1つ2.5ミリくらい?
あと、炎症を起こして化膿した膿が溜まっているという大きなグレーの袋らしき物。
医師の話しでは、思っていたより抗生物質がよく効いたので、手術ではなく処置と言う形で、
とりあえず口腔内の舌の裏側の部分を切って膿を出す。
その際に、石も取り出すが、ヘタに触ると、更に奥に押し込めてしまい余計に取れなくなるので、
出来る限りの所で止めるとの事。

結局、7人もの親族が待合室で待つ中、母の ”処置”は、わずか30分で終わった・・・
処置が済んだ母は、驚くほど元気になっていた。
あれほど酷かった腫れも、かなりスッキリしていた。
医 「かなりの量の膿が出ました。あれでは相当痛かったでしょうね。」
取り出した ”石”も見せてもらった。
まるで乳歯?と思うような大きさの物が3つも・・・
母の舌の下には、まだ残っている膿や石を出す為、唾液腺にドレーン?とかいう管が付けてあった。
それでも、ある程度様子を見て、食事が摂れるようになったら退院しても大丈夫だと言われた。
コレくらいの病気で大勢の親族が集まって大騒ぎ。と、流石に恥ずかしく思い、医師に、
私 「こんな大勢でスミマセン・・・」と言うと、
医 「いえ、皆さんにご心配されて、羨ましい限りです。」と笑ってくれた。

その後病室に戻り、叔父たちにも「ありがとうございました・・」と言いながら帰ってもらった。
少しして、みんなまともに昼ご飯を食べてない事に気がついて、父のおごりで私と妹と3人で近くのcoco一番に行って食事。
面会時間もそろそろ終わるから帰ろうか?と話している所に、
ナント、大阪の妹が現れた!
大阪の妹、旅行先から一旦大阪の家まで戻り、そこから車で高速を飛ばして飛んできたらしい。

思わぬところで揃った3姉妹。
母と4人で、周りの迷惑顧みず、病室でワイワイお喋りしたのでした。

その後、名古屋の妹は「もう大丈夫そうだから名古屋へ帰るわ。あと宜しく。」と言って帰っていった。
大阪の妹は、この日は父のいる実家に泊まって、翌日母の元に顔出して、夕方大阪へ帰って行った。

  明日に続きますー