ユッコ姉の日記

日々思うことをタリラリラン♪っと・・・。

ヒョロナガが、また入院したってよ9・・・って

2017年02月25日 16時59分00秒 | 子供・・・
さて、ヒョロネガの手術も無事済んで、ちょっと安心した私。
では、手術当日のお話しー

手術当日。手術は朝8時半から始まると聞いておりました。
ヒョロナガの入院する病院まで片道50分ほどかかる我が家。
しかも平日の朝の時間と言えば、道路渋滞が・・・
そこで私は、朝7時には家を出ました。
これだけ早く出れば、いくら渋滞しても充分間に合うでしょお~
と、思っていた私がバカでした・・・
地方とはいえ、幹線道路の朝の渋滞を舐めてはいけなかった!(><)
まあ~、チョコット進んでは止まり、ちょこっと進んでは止まりー
私の気は焦る焦る・・・(・・;)
だってこの日、主人もコデブも、どうしてもお仕事を休む事が出来ず、オシメは入院中だし、
結局手術に立ち会うのは私1人。
その私が間に合わなければ、ヒョロナガは家族の誰にも見送られないまま手術に向かう事にー
結局、私がヒョロナガの病室に着いたのは、8時25分でした。

無愛想ながらも、不安げなヒョロナガの顔を見ながら、「大丈夫」とは言えなかった。
だから、関係ない話ばかりしてました。
まもなく看護師さん達がやってきて、ヒョロナガをベットごと手術室に移動ー
私も手術室の入り口まで一緒に付いて行き、ドアの中に入って行くヒョロナガに一言。
私 「頑張って」とだけー
ヒョロナガは黙って頷いていました。
この時の私は、どんな顔をしていたんだろう・・・

手術室のドアが閉まり、ヒョロナガの姿が見えなくなると、
私は思わずその場で泣いてしまいました。
ずっと避けたかった手術を受ける事になり、更に、最も避けたかった人工肛門になってしまうかもしれない・・・
そう思うと、悲しくてー
もう開き直ったから大丈夫! と思っていたけれど、
いざその時になると、やっぱり悲しかった・・・

少しの間廊下の隅で泣いていましたが、いつまでもそこにいる事は出来ません。
何より看護師さんに言われていた用事が幾つかありました。
ひとつ目は、術後に必要なT字体と腹帯を病院の売店に行って買ってくる事。
ふたつ目は、病室が消化器科から外科に変わるので荷物を纏めて置く事。

急いで売店に行って必要な物を買い、病室へ戻ります。それから移動の準備。
スグに看護師さんがやって来て、購入した物を渡すと、新しい外科の病室へ案内されました。
今までは6人部屋でしたが、今度は綺麗な個室でした。
ざっと荷物を片付けると、後は私は何もする事がありません。
ただ ただ、ヒョロナガの手術が終わって帰って来るのを不安な気持ちで待っていました。

12時を過ぎても、ヒョロナガはまだ戻ってきません。
予定どうりの手術なら、そろそろ終わっても良い頃です。
それ以上時間が掛かれば掛かるほど、ヒョロナガの腸癒着の度合いが酷い。という事ー

ようやく戻って来たのは15時頃でした。
ベットごと部屋に戻って来たヒョロナガと一緒に、手術をしてくれた医師も来ていました。

医 「とりあえず、最低限の手術で済みました。」
私 「え!じゃあ癒着は?」
医 「やはり直腸の方に癒着していましたが、何とか剥がす事が出来ました。」
私 「それじゃあ、人工肛門は・・・」
医 「付けなくて済みました。」
私 「 ・・・。」 声も出ませんでしたー

それからも医師は手術の内容や今後の事を少し話してくれたのですが、
私は人工肛門を免れた!という事が、嬉しくて!嬉しくて!嬉しくて!
ちゃんと聞いてたつもりだったけど、あんまり記憶に残っていない・・・
ただ、私が”人工肛門を免れた”と聞いて、凄く嬉しそうな顔をした時、
医師が何とも言えない複雑そうな顔をしていた事は覚えています。
まあ手術前に散々「癒着が酷いと思われるから人工肛門の方がー」と言っていた手前、
気恥ずかしい気分だったのかもしれません。
私としては、もうほぼ確実に人工肛門になる!と思っていたから、嬉しさも倍増でしたがー

その後、次から次から来る看護師さんや医師を眺めながら、私は家族にメールで連絡。
麻酔が切れて来たヒョロナガは、かなり痛むようでした。
普通、手術の後は、背中から痛み止めの点滴を行うのですが、
背中に膿瘍がまだ残っているヒョロナガには、それは危険。との事で、腕から痛み止めの点滴です。
当たり前ですが、背中からの痛み止めより、腕からの痛み止めの方が効きが悪いのです。

でも、我慢強いヒョロナガは、殆ど痛みを訴えません。
いやいや、こういう時はそれが逆に悪い方へ行く。我慢しちゃダメなんだってば!
痛いなら痛いって、キチンと訴えなきゃ!
って言っても、黙って頷くだけのヒョロナガ。
まあ、話すと痛むそうで、話したくても話すどころじゃない!というのが現実のようでしたがー

とりあえず、意識もはっきりしていて、本人も私はいなくても良い。と言うので、
暫く様子を見てから、私は家に帰ったのでした。