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ユッコ姉の日記

日々思うことをタリラリラン♪っと・・・。

あちゃー・・・

2006年10月11日 07時26分46秒 | 私の病気・・・
実は私、ここ最近病院へ行くのをサボってました。

だってー、脳外科に行っても、私が状況を説明するだけで、
どうして、こんな状態になるのか?と、尋ねても、
「うーん、なんでかなあー。」
いつまで通うのか?と聞いても、
「まあ、そう嫌がらずに。グチでも言いに来て下さいよ。」
(グチを言いになんで病院まで行かないといけないんだよ!
 何とかしてくれるワケじゃなし、ただのデーター集めの為じゃないの?

眼科だって、毎回、目に傷などがないか確認するだけで、
この視界が2重に見えるのは何とかならないのか?
少しでも良くなる可能性があるのなら、リハビリはないのか?と、聞いても、
「ウチではそういった福祉的な事はやってません。」
って、ならなんで毎回「視界はどうですか?」って聞くんだよ!
ほっといても治っていく物じゃないでしょ?それならリハビリしてくれてもいいじゃない!
福祉的ってなに?私の目は障害認定ももらえない程度なんだよ!
結局、「何年か様子見て、戻らないようなら手術します。」
何年くらいなのか聞くと、
「個人差があるので一概には言えないが、4~5年くらいですかね。」
って、その頃には私は老眼が入りはじめてるよ!

むかつく!病院に行くたびに、その対応に腹立たしくて仕方がない!
なんで、嫌な思いをしに、何時間も待合室で待ってなきゃいけないんだよ!

そんなこんなで、病院への不信感が募って、ここ2回ほど予約を無視して行ってなかった。
でも、おとつい、顔を洗おうとしたら、「あれ?なにこれ。」
左目の目じりが赤くなってる。
よく見ると、目じりの上の瞼の辺りが小さく赤く腫れている。
蚊にくわれたのかなあ?痛みも何も感じないのは困るなー。

翌日目が覚めると、左目の視界が酷くぼやけていた。
目は真っ赤になっていた。
ありゃー、これは病院に行かないとヤバイかなー。
でも、予約入れてないから、待ち時間は4時間くらい掛かるよなー。
もう少し、様子見よー。

更に翌日、瞼の腫れと目のぼやけが少し酷くなっていた。
めんぼ?かぶれ?何か入った?瞳に傷はないみたいだし?
でも、こめかみの奥のほうに軽い痛みを感じる?
不安の影を心の中にチラッと感じながらも、まだ病院にいかず
一日中、目薬をさしまくった。

なんとか治まりましたー。ホッ。
結局何が原因だったのか分からないままでした。
本当は眼科に行かないといけなかったんだろうなー


ちょっとツライ・・・

2006年08月18日 00時03分42秒 | 私の病気・・・
お盆にお墓参りに行って、田舎の川で川遊びをしてきました。
今回は、大阪から私の妹も家族で来てくれたので、賑やかでした。

楽しそうに川に飛び込んでは、歓声を上げる子供達。
私は、川原でバーベキューの用意です。
一緒に行った妹が、
「こっちはもういいから、お姉ちゃんも泳いでおいでよ。」と言ってくれました。
でも、私は首を振りながら
「ダメなんやて。医者から水泳は禁止されてるの。」 
「えー、なんで?体は何ともないんでしょ?」

普段、殆んど会う事がない妹ですから、私の現状を詳しく知りません。
私が、ずっとサングラスをしているのも、不思議だった様です。

私は視界が2重に見える事、左半分の感覚がない為、もし水が耳に入っても全く分からず、
中耳炎などを起こしても、耳ダレや高熱が出ないと分からない事。
又、左目に何か入っても全く何も感じない為、瞳を傷つけても気付かず、
一歩間違えば失明しても気付かない可能性があること。
その為、医師から水泳は避けるように言われている事を話しました。

聞き終わると妹は、
「あんなに泳ぎが上手だったのに、泳げないなんて・・・。
 お姉ちゃんがそんな状況になってるなんて、知らなくてゴメン・・・」
と、泣き出してしまいました。

「泣く事ないよ。泳がなければ別に問題ないんだし、
 こうなったのは誰のせいでもないんだし。
 それに、もしかしたら半身不随になってたことを思えば、
 この程度ですんでよかったくらいだよ。


こんな時、いつも思う・・・。
泣きたいのはこっちだよ。でも私が泣いたらあなたが困る。
だって、誰にもどうしようもない事なんだもんね。
だから、いつでも相手の前では元気な所を見せないといけない。

正直、チョットツライ・・・。
だから、今だけ言わせてください。

「泳ぎたいよーーー!!思いっきり水の中に潜り込んで、
 あの水の中の柔らかな感触を、この体で感じたいよーーー!」

 
なまじ、首から下は全く何ともないから余計にそういう思いが強くなる。

このくらいならいいかな?と思い、膝までだけ、川に入った。
でも視界がまともに見えない私は、川底の石の凸凹が全く分からない。
川岸から、わずか50cmほどで転びそうになった。
あらためて現実を突きつけられた気がして、悲しくなった。
私、もう一生、泳げないんだなーと・・・


どうなってるの・・・(3)

2006年06月20日 09時00分02秒 | 私の病気・・・
3回目の医大です。

前回、「コウクウカイゴウキ」なる物を渡されて、毎日こまめに頑張りました。
自分でも以前より口が開くようになってきた気がしていたのですが、
最近は、主人も
「口、だいぶ開く様になってきたんじゃないか?」
と、言っていましたので、今回どんな結果が出るかチョット楽しみでした。

結果は、大成功!
前回の診察の時はどれだけ頑張っても30㎜しか開かなかった口が、
今回は38mmまで開くようになっていました。
一番驚いて喜んでいたのは、医師でした。

「うれしいなあ。カンドーです。 
いやー、実は今日あなたの予約が入っていた事に気付いて、少し憂鬱だったんですよー。
カイゴウキを家で使ってもらうよう言いましたけど、
正直、効果があるかどうかは自信なかったんですよねえ。
いやー、効果があって本当によかったー。」

って、(オイ、どうなるかわからずに私にやらせたのかい?)とも思いましたが、
まあ、医師もとても喜んでいましたし、私も嬉しかったので、まあいいかあ。

でも、まだ治った訳ではありません。
口を開くと下顎が大きくずれ、右関節がカックンとなる事は変わりませんし、
噛み合わせは下顎の動きが変わってきた為、以前よりもっと合わなくなってきています。

そうそう、この前歯科医院から借りてきたレントゲン写真を医師と一緒に見ました。
どうも、私の左顎関節は、手術以前から右に比べ少し小さかったようです。

でも、医師いわく
「おそらくこの頃はまだ関節は少し小さめながらも、ちゃんとあったと思われます。
やはり、手術で神経をやられて筋肉の動きが衰えて、血管も縮小し、その結果今に至ったのでしょう。」
とのことでした。

「これからは、口を開くことよりも、下顎を右へズラすことに重点を置いてやって下さい。」

って、これ結構大変なんですよ~ 先生!
っでも、頑張ります!

どうなってるの・・・(2)

2006年06月01日 08時17分18秒 | 私の病気・・・
2回目の医大の診察に行ってきました。
担当医師の話
何人かの教授と放射線科の先生と相談した結果、
私は恐らく、神経の切断により筋肉が衰え、
その結果、関節にある血管に血液が余り回らなくなって、
こんな風に関節が無くなっているのではないか?との事。

今後の治療としては、手術をするのは、再発の可能性が高い事と、
本人もいやがっているので、暫く様子見。
それまでは、出来るだけこれ以上酷くならないように、
マウスピースの使用と、カイコウコウガイキを使用しましょう。
(医師と話し会った結果、マウスピースはなしになりました。)

この、カイコウコウガイキ(開口口蓋機ってかくのかな?)。
なんだか小さなジャッキみたいな物で、口を最大に強制的に開かせます。
人の口は、通常指3本から3本半くらい開くらしいのですが、私は2本ほどしか空けません。
コウガイ機を使って口を開け、その状態で出来るだけ下顎を右へずらす。
これを、3分2回ずつ、1日4回。

これが、意外と痛い。
開く事はそれ程でもないが、下顎をずらすと、右の顎関節が痛い。
左の顎関節は痛みを感じないけど、本当は痛いんだろうなあ。
しかも、口を開きっぱなしだから、よだれが・・・
終わった後も、ひといき関節がいたいです。

暫くの間は、これで口を大きく開く訓練です。
効果が無いようならまた他を考えますが、効果があるようなら
このコウガイ機を買わないといけません。(今は病院から借りている状態)
これ、25000円もするそうで・・・
うーーん、出来るだけ長く病院から借りてよう。と思ったのでした。

退院後・・・(2)

2006年05月28日 08時07分31秒 | 私の病気・・・
実家でのんびり過ごしていた私は、
また、病院通いが始まった。
今度は、婦人科。
入院中から、どーも変な感じだなあーと思っていたけど、まさかカンジダだったとは・・・
なんでー??
カンジダって、性病じゃなかったっけ?
もちろん見に覚えはないし、院内感染か?などとイロイロ考えましたよー。

調べてみたら、
カンジダの感染経路は、性交感染、自己感染、産道感染および病院内・家族間水平感染の
4つの感染様式で感染する。
また、風邪、ストレス、寝不足、疲労などで体力が落ちたときに症状がでます。
それ以外にも抗生物質を服用した後にカンジダになることがあります。

と、言う事で
医師いわく、入院してる人はこれにかかる人は多いらしい。
まあ、確かに何日もお風呂に入れないし、ストレスもあるしねえ。
とにかく、ここから約1ヶ月、私は婦人科に通ったのでした・・・トホホ

退院後・・・(1)

2006年05月25日 12時35分29秒 | 私の病気・・・
今でも、あれは一体なんだったのか良く分からないのですが、
実家に帰って3日目の事でした。

朝起きた時から、目眩が酷かった私ですが、それは朝食の時から始まりました。
ご飯はまだ噛めないので、おかゆを食べていた私ですが、突然、怖くなったのです。
うまく食べられない。口の周りにベタベタ付いていても分からない。そのことがすごく怖い!

うまく言えないのですが、とにかくうまく食べれないという事がすごく怖いんです。
恐ろしくて、それ以上食事を続ける事が出来ませんでした。

気分直しにTVを見に行ったのですが、ニュースを見て凍りつきました。
どのニュースを見ても、怖くて仕方が無いんです。
交通事故、殺人事件、芸能ニュース、ドラマ、お笑い番組まで。
何でだか分からないけど、何を見ても とにかく、怖い!怖い!怖い!
自分でも何が怖いのか分からない。
コタツの中に潜り込んで、怖さの為にブルブル震える体を丸めていました。

とてもTVを見続ける事が出来ず、布団に戻った私は、横になるとおこる目眩にまた体を震わせました。
外から聞こえてくる車の音が怖い!家の中の物音が怖い!
くるくると回る、見えるもの全てが怖い!
目をつぶって、耳を塞いでじっと布団の中に潜っている私。
それでも、聞こえてくる自分の心音が怖い!

まるで、この世の終わりが来たかのよう!

この日は丸一日、この「怖い」 という気持ちが続きました。
ご飯もまったく食べられず、一日中布団の中で泣きながら震えていました。

翌朝は、何事も無かったかのように、いつもと変わりありませんでした。

あれは一体なんだったのでしょうか?
後になって、イロイロ考えました。
鬱病の一種? 精神安定剤や睡眠薬を飲んでいたから、薬中毒?でも、夜寝る時に1錠飲んでただけだし。

脳外の先生に聞いても、
「なんだろうねえ?まあ、治まったならいいじゃない。」

不思議な体験でした・・・。

私の入院中の家族・・・(子供達)

2006年05月24日 08時34分52秒 | 私の病気・・・
私の入院中、主人はとても頑張ってくれたようです。
では、子供達はどうしていたのでしょう?

朝は、主人に起されて、「お父さん、おこしてくれてありがとう。
起きてくると、主人の作った朝食を食べる。
「どうや、うまいか?」と、聞いてくる主人に、
「うん、すごくおいしい!

子供達は、それぞれ時間になったら、家に鍵を掛けて学校へ。
午後、学校から帰ってきた子供達は、漫画を読んだり、ゲームをしたり、
主人が用意しておいたおやつを食べたり・・・。
(見張る者がいないのをいいことに、好き放題していた。

夕方、主人から洗濯物の取り込みと、お風呂の用意をするように電話がかかり、
子供達は3人で手分けして言われた事をこなします。
(時々、押し付けあって喧嘩をしたり、遊びに夢中ですっかり忘れてた、なんて事もあったようです。)

夕飯は、何が出てきても決して文句は言わない。
「お母さんのよりおいしいよー。

風呂に入れと言われれば素直に言う事を聞き、時には主人と一緒に入って背中を流す。
「宿題は終わったのか?」と聞かれれば、やってなくても「終わったー。」と答える。

(私が帰ってきてから、まったく宿題をしてなかった事が発覚
 先生には、「家の事をしないといけないので出来なかった。」 と、答えていた。
 先生方も、私が入院している事を知っているので、大目に見ていたらしい。
 この間に中学校で期末テストがあった長男は、まったく勉強しておらず、
 ヒサンというのもはばかる様な点を取り、
 家の事を理由に部活もサボリ続けていた。
 帰ってきた私が、手術の傷跡が開くんじゃないか?というくらい、
 カッカと怒ったのは言うまでもない・・・

主人が病院へ出掛けると、すぐにTVゲーム開始!
帰ってくる時間を見計らってゲーム機をかたずけて、主人が帰ってくる時にはちゃんと布団の中。

主人が洗濯物を片付けてやれば、「お父さん、ありがとー。
主人が部屋の掃除をすれば、「お父さんが掃除すると、きれいになるねえ。
自分達は何もせず、邪魔しないようにTVを見てるだけ・・・。
ちゃっかりしているというか、ずる賢いというか、まったく最近の子供は・・・。
(私の育て方が悪かったのかしら?)

結局主人は、子供達にいいように、のせられていたみたいです。
私の入院中に、単純な主人をうまく利用する。という技を身に付けた子供達なのでした。


私の入院中の家族達・・・(主人)

2006年05月23日 08時10分52秒 | 私の病気・・・
さて、私が入院してから家に帰るまで、約50日間。
私の家族はどうしていたのでしょうか?

姑の手伝いは断っています。
私の母は、私の付き添いと祖母の世話がありますから、こちらも手伝いは断ってありました。

そんな中、一番頑張っていたのは主人だったようです。
朝、6:00に起きて子供達にチャーハンを朝御飯に作ってやり、おやつを用意し、洗濯物を外に出し、
自分のお弁当も作って仕事に出掛けます。

夕方、子供達に洗濯物の取り込みと、お風呂の用意をするように電話をかけ、
その後、仕事から帰ってきた主人は、朝食の洗い物をし、夕飯を作り子供達に食べさせ、
子供がお風呂に入ってる間に、洗濯物を畳んで片付け、夕食の洗い物。洗濯機を回しながら自分もお風呂へ。
子供が寝た後、洗濯物を干して、やっと睡眠。

他にも、買い物に行ったり、私の病室へ顔を出したり、掃除したりと、かなり忙しかったようです。
自治会の行事も、主人が行けない時は、一番上の子供を代理で行かせました。
私が家に戻ってきた時には、すっかり私がいないルールが出来上がっていました。

入院前に、
「お父さんは当てにならないから、なんでも自分達でやりなさい。ご飯も掃除も洗濯もちゃんとやるのよ。」
と言いきかせていた私は、ビックリでした。
子供達も、予想外に主人が動いてくれたので、すっかり主人のお株は上がっていました。

ただ、ひとつ残念だったのは、主人が頑張りすぎた為、子供達がそれに頼り切ってしまい、
せっかくの自立の機会を失ってしまった事。 姑の代わりを主人がやってしまいました。

私としては、いつもどうり自分勝手な主人のままでいてもらって、むしろ子供達が
主人の世話をしないといけない位の方が良かったのに・・・。と思いました。
主人にも、そう話していたはずだったのですがねえ。

いったい、なにが主人をあんなに動かせたのでしょう???

退院・・・

2006年05月20日 00時53分29秒 | 私の病気・・・
主治医は、私の都合のいい時に退院すればいい、と言うので、勝手に翌週に決めた。
退院後は、家に帰っても家族に迷惑をかけるので、暫くは実家に行く事になった。
主治医は、「そんなにあわてて行かなくてもいいのに。」
(そんなに、入院させときたかったのか?この病院はいつもベットが不足していて、
すぐ追い出されるので有名なはずだが?)

とにかく知り合いに退院する事を連絡し、主人に入院代を用意するように伝えた。
金額は約〇〇万円。

退院2日前になって病室に来た主人。入ってくるなり、「おい、どうするんや。」
何の事かと思えば、なんとお金が足りないと言う!

入院前に私が用意してあった金額。
たぶん足りないだろうから、その分用意しておくようにと言ったのに、
主人はそれを使い込んでしまっていた・・・。

「なんで用意しておかなかったの!」
「だって、こんなにかかると思ってなかったしー。」
「これだけでは足りないからって、入院前に言ってあったでしょう?」
「お前の入院が長すぎたんや!もっと短かったらよかったんや。」
「最初に、1ヶ月くらいかかるって、あなたも一緒に聞いてたじゃない!」
「一週間多かったやんか!」 主人怒って逆切れ・・・。

こんな話、とても病室では出来なくて、夜の談話室でボソボソボソ・・・。
まったく、呆れてものが言えない!
病院内でなきゃ、大喧嘩で罵り合ってる所だ!
面会時間はとうに過ぎて、主人は怒りながら帰っていった。

まさか入院費が払えないので、もう少し入院してます。と言う訳には行かないので、
翌朝主人に電話して、私の定期預金から出す事を伝えた。

なんとか入院費を払い終わり、実家に着いた私は、用意してくれていた布団に入ると、速攻で寝てしまった。

睡眠薬を飲まずに眠ったのは久しぶりだった。

手術後・・・(5)

2006年05月19日 00時44分28秒 | 私の病気・・・
4週間目に入ると、いいかげん入院生活にも飽きてきた。
もう、入浴も洗髪も許可が出ていて、2,3日おきに入っていたし、
顔以外、首から下は全く何ともないのでなおさらだった。

まだ、体に問題が無いわけではなかった。
物を食べるときは、鏡を見ながら食べないと、口の周りにべったり付いていても全く分からなかったし、
あまり硬い物は食べられないし、片方でしか噛めないから時間がかかる。
片方の目だけでは遠近感がなく、階段の上り下りはかなり難しかった。
(階段が平らに見える。特に、下りは段の高さが全くよめなかった。)
両目で歩くと、まっすぐ歩けない。
ベッドに横になると、目眩のような、頭痛もある。

でも、これ以上病院にいても、今の状態が良くなるわけでもなさそうだったし、
なにより、同じ病院内に担当医がいるのに、ちっとも会えないのはかえって不安が増していく。

夜中にやっとつかまえた担当医に、
自分なりに、退院後の注意事項を書いた紙を見せながら、
「もう、退院したいんですけど。」と言うと、

「うーーん、まあ、いいかあ。」

なんじゃそりゃ?
どっちでもいいんなら、もっと早く退院させてくれればいいのに!

入院してから1ヶ月が過ぎていた。