あーあ、とうとう。享年95だそうだから、トシに不足はないかも知れないけれど。
全盛期の京マチ子は和製モンローなんて言われていたが、オレにとってはヴィーナスだった。あんなに強力なフェロモンを発散する女性は、後にも先にも見たことがない。その美しさは原節子や吉永小百合のそれと違って、女の生理的な官能性と一体だった。
清純派が好まれる日本映画界で、空前絶後の存在である。京マチ子は原や吉永のような女学生がオトナになった女ではなく、愛と官能の女神だったのだ。溝口健二の『赤線地帯』で彼女は、登場するなり円形の台みたいなのに乗って踊り出す。そのポーズがボッティチェリ描く「ヴィーナスの誕生」そのままである。溝口もマチ子さんの中にヴィーナスを見ていたのではないか。
こういう女優は女の観客にも女の批評家にも好かれない。だから彼女は、キネ旬の女優ベストテンで3位以上に行ったことがなかった。現役時代には賞にも恵まれなかった。ベネチアやカンヌが賞を与えたのは作品に対してで、彼女個人の賞ではない。
しかし演技力の点でも、マチ子さんは図抜けていた。『赤線地帯』の中に、一度は身請けされたものの男に騙されていたと分かって舞い戻ってくる娼婦のエピソードがある。おでん屋のカウンターで当の娼婦がクドクド愚痴をこぼしているところへ彼女が入ってきて、おや帰ってきたの、とか一言しゃべるなり、あとは関心を失って黙々とおでんを食べ続ける。平静そのものの顔つきでおでんにカラシを塗る彼女の仕種が、男に騙される女の話など売春街には掃いて捨てるほどある、と物語っていた。
お姫さま女優ではないからマチ子さんが最高に輝いたのは、アバズレを演じたときである。前にも書いたが、しとやかな外面の内側に悪意を隠した『鍵』のヒロインは、ドンピシャの名演だった。夫の死を確認して袂で口元を隠し、目だけで邪悪な笑いを笑ってみせるシーンは、映画史に残る名場面だ。
逆に、失敗だったのは『華麗なる一族』のインテリ悪女と『寅次郎純情詩集』のマドンナ。ハーバード出の才媛とか箱入り育ちで薄倖の美女なんてのはマチ子さんのガラではなく、無理ばかり目立った。
『寅次郎』の山田監督は、マチ子さんに童女のような無邪気で愛らしい女性を演じさせようとしたらしい。他人の気がつかなかった新たな一面を俳優から引き出そうとするのは、演出家の業みたいなものだ。しかしだね、50過ぎの女優におかっぱと三つ編みのお下げをさせてワイド画面にアップだよ。目を背けたくなった。
50年代の映画界は、決してキレイな世界ではなかった。マチ子さんの所属した大映は、なかでもモラルの低い会社だった。なんせ社長の永田雅一が極道出身で、女優をメカケにしていたような会社だもの。マチ子さんも永田の愛人だとか、よその会社から資金を引き出すための人身御供に使われたとか、いろいろダーティな噂があった。
大映が倒産して尾羽打ち枯らした晩年の永田を、彼女は自宅に引き取って面倒看ていたらしいから、根も葉もない噂ではなかったのかも知れない。いずれにせよ、第2次大戦直後から50年代の黄金時代を経て70年代まで、日本映画の栄枯盛衰を現場で見てきた人だ。興味深いウラ話を山と知っているはずだから、いまのうちに聞いといてほしいと友人の映画評論家・松島利行に頼んでおいたのだが、松島の方が先に逝ってしまった。
満島ひかりとか吉高由里子とか、いまも才能豊かな女優は何人もいる。役に応じてカメレオンのように体色を変え、限られた撮影時間内で的確な表現をする能力で、彼女らは京マチ子の世代よりも優れているかも知れない。しかし、大輪のダリアのようなカリスマではない。時代がもはや、そんな俳優を求めていないのかもしれないが。
マチ子さんの半年前、江波杏子さんもひっそり世を去った。昭和がどんどん遠くなる。
全盛期の京マチ子は和製モンローなんて言われていたが、オレにとってはヴィーナスだった。あんなに強力なフェロモンを発散する女性は、後にも先にも見たことがない。その美しさは原節子や吉永小百合のそれと違って、女の生理的な官能性と一体だった。
清純派が好まれる日本映画界で、空前絶後の存在である。京マチ子は原や吉永のような女学生がオトナになった女ではなく、愛と官能の女神だったのだ。溝口健二の『赤線地帯』で彼女は、登場するなり円形の台みたいなのに乗って踊り出す。そのポーズがボッティチェリ描く「ヴィーナスの誕生」そのままである。溝口もマチ子さんの中にヴィーナスを見ていたのではないか。
こういう女優は女の観客にも女の批評家にも好かれない。だから彼女は、キネ旬の女優ベストテンで3位以上に行ったことがなかった。現役時代には賞にも恵まれなかった。ベネチアやカンヌが賞を与えたのは作品に対してで、彼女個人の賞ではない。
しかし演技力の点でも、マチ子さんは図抜けていた。『赤線地帯』の中に、一度は身請けされたものの男に騙されていたと分かって舞い戻ってくる娼婦のエピソードがある。おでん屋のカウンターで当の娼婦がクドクド愚痴をこぼしているところへ彼女が入ってきて、おや帰ってきたの、とか一言しゃべるなり、あとは関心を失って黙々とおでんを食べ続ける。平静そのものの顔つきでおでんにカラシを塗る彼女の仕種が、男に騙される女の話など売春街には掃いて捨てるほどある、と物語っていた。
お姫さま女優ではないからマチ子さんが最高に輝いたのは、アバズレを演じたときである。前にも書いたが、しとやかな外面の内側に悪意を隠した『鍵』のヒロインは、ドンピシャの名演だった。夫の死を確認して袂で口元を隠し、目だけで邪悪な笑いを笑ってみせるシーンは、映画史に残る名場面だ。
逆に、失敗だったのは『華麗なる一族』のインテリ悪女と『寅次郎純情詩集』のマドンナ。ハーバード出の才媛とか箱入り育ちで薄倖の美女なんてのはマチ子さんのガラではなく、無理ばかり目立った。
『寅次郎』の山田監督は、マチ子さんに童女のような無邪気で愛らしい女性を演じさせようとしたらしい。他人の気がつかなかった新たな一面を俳優から引き出そうとするのは、演出家の業みたいなものだ。しかしだね、50過ぎの女優におかっぱと三つ編みのお下げをさせてワイド画面にアップだよ。目を背けたくなった。
50年代の映画界は、決してキレイな世界ではなかった。マチ子さんの所属した大映は、なかでもモラルの低い会社だった。なんせ社長の永田雅一が極道出身で、女優をメカケにしていたような会社だもの。マチ子さんも永田の愛人だとか、よその会社から資金を引き出すための人身御供に使われたとか、いろいろダーティな噂があった。
大映が倒産して尾羽打ち枯らした晩年の永田を、彼女は自宅に引き取って面倒看ていたらしいから、根も葉もない噂ではなかったのかも知れない。いずれにせよ、第2次大戦直後から50年代の黄金時代を経て70年代まで、日本映画の栄枯盛衰を現場で見てきた人だ。興味深いウラ話を山と知っているはずだから、いまのうちに聞いといてほしいと友人の映画評論家・松島利行に頼んでおいたのだが、松島の方が先に逝ってしまった。
満島ひかりとか吉高由里子とか、いまも才能豊かな女優は何人もいる。役に応じてカメレオンのように体色を変え、限られた撮影時間内で的確な表現をする能力で、彼女らは京マチ子の世代よりも優れているかも知れない。しかし、大輪のダリアのようなカリスマではない。時代がもはや、そんな俳優を求めていないのかもしれないが。
マチ子さんの半年前、江波杏子さんもひっそり世を去った。昭和がどんどん遠くなる。