ヘボのアルバム (続編)

四季折々の戯言を・・・
そこから何が読めて来るか?

     『 老トルの忘年会!!! 』

2018-12-20 10:28:43 | 日記

                


昨日、老トル夫妻の忘年会があった。
もう20年近くも続く忘年会・・・・・初期の頃は爺仲間だけだったが何時頃からか?婆(ばば)も呼ぼう!と言う事になった。
現役時代の仲間だ。 
たった3人の飲み会。余りにも小規模!!! 愚痴に始まり趣味の話!!!! 年に1~2回の飲み会だが話のネタは段々に尽きて行く・・・
その内にお互い知り尽くしている奥方も呼ぼう!!!と言う事になり、話のネタは幾分拡大された。
最近は、専ら健康や病気、手術等先行きの不安に関する話題ばかりへと変遷して行く・・・ それでも、未だ、続いている。

昨日は今迄の常連宿「七夜月」が倒産してしまい新しい所の開発が不可欠となっていた。
偶々、老い耄れ爺が行きつけの寿司屋さんを予約した。
水曜日休みのこの寿司屋さん。 年末には開くだろう?と数週間前頼み込んだ。
12時半、訪れると様子が変?
矢張り水曜休みだが我々の為に態々開けてくれた!!!と言う!!!!!  
本当に貸し切りだった!!!!! こんな処遇を受けたのは初めて!!! 
料理も別格だった!!! 
日頃の付き逢いの大切さを強く感じた。 店長さんに感謝感謝!!!  
後々の謝礼は忘れなかった。

幾分の遅れがあったが老トル爺婆全員6人が揃い宴会が始まった。
例によって挨拶代わりはお互いの健康状態から・・・ トップバッターはyの手術:腹切りからだった!!!
例年と変わり一番健康そうな老い耄れ爺がマサカノ腹切りに!!! 皆、目を白黒させていた!!!

その内にFujiwara氏が例によってトッヒョウシも無い話題を話し出す!!!  何時ものパターンだ!!!
氏の父親は第2次大戦時フィリピン・ルソン島辺りに居たらしい。
この地で終戦を迎えたが、敗戦を知らぬ1~2年が過ぎたようだ!!! 密林生活をしていたと言う・・・
それから仲間4~5人とカヌー舟を作り2ヶ月も掛け日本へ黒潮に乗って、漸く、辿り着いた・・・ 日本に帰り敗戦を知った。という・・・ あの有名な小野田さんのような話?

この模様が1冊の文庫本になっている。 「アジア海道紀行」 文春文庫。
この本を持って来て、また、これに関わる諸情報も持って居て話は弾む!!! 彼にとっては大トピックスのようで昨今これに嵌り切りだと言う・・・

少々、興味が湧いたので、昨夜、Amazonを検索しこの本を買うことにした。
単価:@ 1円!!! 郵送代が260円程で手に入った。
近々来るので読んで見たい!!!

Fujiwara氏は、実に奇妙な男で、時々、時々こうした珍奇な話題を提供する!
何時だったか?「日ユ同粗論」を投げかけた!!!事があった。 これは実に興味深くこの老い耄れ爺も一時「日ユ同粗論」に嵌り込んで行った・・・
果たして今回は何処まで嵌り込むか? それにしても其処らそん所に居る御仁とは違いその発想に興味が湧く・・・


今年~来年に駆けこの仲間達が悪戦苦闘した EPSON プリンターが満50年の御歳を迎える。
現役達の節目催し開催は知る由も無いがOB連で節目のOB会を開き、時代のケジメを計画しよう!!!!と案格中・・・
「EPSON」(由来は、EP + son: Elektoric printer の息子達)の名付け親ともいえる Tutchihashiさんが亡くなり我々創生期時代の御仁達もボロボロを物故する御歳を迎へつつある・・・ 同窓会等云々する時代でもなくなっている・・・ 
幕引きも節目時と言えよう・・・ 


こんな話題も出た!!!
yは、小型時計が大好きでSEIKO(第二精工舎)に入社した。
何より嬉しかったのは腕時計の最終組み立ての技術部門(組立技術)に配属され精度向上に日夜専念していた・・・止まらない時計と言う事は言うまでも無く、日差1~2秒を生み出す精度向上理論に没頭していた!!! 脱進機(アンクル~ガンギ)調整、ヒゲゼンマイの巻き込み角・温度計数、テンプの重り取り調整、理論時計学の勉強は大好きだった。 
今日でも通用しているメカ時計:「Grand SEIKO] のベースを造り上げていた時代だった。
そんな矢先、開発されたばかりのPrinter事業への配置転換命令は苦渋に満ちていた・・・ まだ若かったので会社を辞めようかと思った事は一度や二度ではではなかった!!!

危なっかしいPrinter事業!!!
2~3年苦戦の連続だった!!! 
yが参画するまでの事業は惨憺たるものでお話に成らなかった!!!  
そして、段々に世界中から Seiko Pririnter が認知されるようになり 「EPSON」Printer へと大変身を遂げる・・・
しかし、SEIKO ブランドは時計ブランド故使えなかった、が為、苦肉の策の「EPSON 」!!!、New ブランドだった。
EPSON の陽明期!!! この事業に手を出して2~3年位した時期だったと記憶する。
この時期、yが率いる技術部門の設計 Printer :EP-104 は、大ヒットを続け陽明期の大ピンチを救った!!! この製品の貢献度は計り知れない!!! 3~4百万台を超える大ヒット商品となり製造体制のベースが確立した。

Printe部門への配置転換と言うこの時期、会社生活の中で一番苦しいかった時期であり、又、大化けした時期でもあった!!! 創業期の同志達は皆こうした思い出が在り引退しているとはいえ50年の節目を一区切りとさせたいだろう・・・と推測する・・・ 
現存の現役世代には考えられないようなの苦闘がその底辺には横たわっていた!!!

お互い歳老いていて酒の量も微々たるものだったが、こんな話も出た・・・ 懐かしき思い出である!!!
こんな馬鹿話が出来るのもここ数年だろう!!! 御大の一人Tuchihashiさんがお亡くなりになり寂しい限りである。 
お悔やみの為にも節目は付けたいモノである・・・  

サッカー仲間と言い、老トル軍団といいイイ仲間がいて人生の区切りを付けるべく微力ながら最後の力を振り絞って奮闘している・・・ 
この所天気が悪く、西山:北アルプス連峰は、毎日、吹雪いている・・・ 
加古隆の「パリは燃えているか」、美空ひばり、島津亜矢の「 津軽のふるさと」、喜田朗「シルクロード」を聞きながらパソコンを叩くのもイイものだ・・・ 大好きな曲だ!!!   

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2 コメント

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Unknown (村夫子BUN)
2018-12-21 07:54:18
「アジア海道紀行」 文春文庫,
余りにも突拍子もない話なので思わず私も購入です。
同名の本がもう一つありましたが文春をチョイスしました。
私のは1円+299円でした。
EPSONはそう言う由来だったんですね。
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Unknown (極楽蜻蛉)
2018-12-21 10:01:25
そうですか!!! また、一人信奉者が増えた!!!
話の切り出しを聞いていて小野田さんの帰還を思い出していた・・・ 全く同様な話で先人先輩達の苦労が伺える!!!

今でこそ「EPSON]は、世界のブランドとなっているが生い立ちは造ったばかりのEP : Electric Printer + Son(息子達、詰り、続々続くであろう関連プリンター商品群)と言う由来です・・・
変な話ですが、英国にEPSONと言う地名が在りそこからのイチャモンやUSAの石油大会社: EXSON からのイチャモン・クレームが在る等船出は大変でした・・・ 

昔、懐かしい思い出です!!!  


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