我が家の朝刊新聞は『朝日新聞』だった・・・朝日新聞は彼是70~80年も読み続けてきた。
長い歴史を持っている・・・
最近思うのだが、この中央紙、中身:質が落ちているように思っていた!
印刷も相変わらずのモノクロ主流で地方紙等と比べると明らかに採りたてるべく何物もなくなってしまった。 此方がそれだけ歳老いて成長した?と言う事もあるのかも知れない?
取り立て社会に出て活躍する年でもなく唯唯平々凡々とその日暮らしをしている故世界の政治経済を知り喧々諤々遣る必要もない。
最近特別応援している地元サッカー:松本山雅の情報をより、詳しく広く知りたいようになりそれに詳しい「信濃毎日新聞」への切り替えを計った!!!
家族の反対もなくは無かったが、兎に角踏み切った!!!
質的にはそん色なく、また、地元のニュースを広く撮り上げるので寧ろ此方の方が? カラー印刷も自然体だ!!!
5月から切り替えたから凡そ2カ月が過ぎた!!!
今朝見るとこんな記事が載っていた!!!
生まれ故郷信州と甲斐の境に位置する我母校:境小学校の子供達が近くにある押立山で子供相撲をした!!!という記事。
我が悪餓鬼共の頃はこうしたイベントは無かった。が、各での子供相撲はお祭りには欠かせられない余興の一つで青年会の先輩達による演劇や歌と並んでその骨格をなしていた・・・
悪餓鬼時代、押立山にはよく出掛けた。
家から30分位の歩行で辿り着ける・・・
ここの松林では茸:「シロサマツ」や「ホンサマツ」がよく出て腰魚籠一杯取りお袋や親父さんに褒められた記憶は新しい!!!
そしてこの森にはコウモリやフクロウが沢山居て捕まえてきた記憶も新しい!
押立山はこの地では有名な林で蔦木の共有林だった。
後に山師だった親父さんがこの林の一部を買い伐採していたのでよく記憶している・・・
押立山はこの地では有名な山だったのだろう? 我母校:境小学校の校歌にも出て来る・・・
信濃と甲斐の境なる
里の学びの学び舎は
空に聳えて押立の
雲入るお丘になりにけり
こんな一節を以てしても寒村の押立山の麓に建つ学び舎の存在感が伺える・・・
信濃毎日新聞に依ると押立山には、江戸時代諏訪地方を治めた高等藩主が訪れた際、人々が相撲を披露したとの言い伝えがある。土俵はこれに因んで2003年当時の6年生が造り、毎年押立場所を開いているという・・・
極々、最近の事である。
我の時代は、専ら「スガレ追ひ」や茸山の宝庫として君臨し、悪餓鬼共の遊び場だった!!!
こういうイベント一つ見ても時代ん流れを感じる・・・我が育った時代は貧しく、「スガレ追ひ」等で興ずるのが性に合っていたといえよう・・・
そう言えば木曽の若手ホープ:御嶽海が関脇に昇進した!!! この子は相撲が上手なのでヒョッとすると大関になり得るかも知れない?
時代の流れを感じる・・・ どちらがイイ時代だろうか?
数週間前、この山麓一帯の間伐整地が大々的に行われ、美しい山林形成に乗り出している。 我が家の山もこの対象になり間伐作業が始まった。
山を知る!!!、倅と案内して貰ったが、本当に美林になりつつあり、鼻戸屋~スキー場一体、富士見高原ゴルフ場、そして百合園、これ等を束ねるホテル八峰苑何処に出しても恥ずかしくないリゾート地になりつつある・・・