『光陰矢の如し」とはよく言ったモノだ!!! 故人から得る事は実に多い!
人間80数年も生きていると色々な事が起きていた・・・・・ 思い出すと夫々に感激深い!!!
83年をそれぞれの単位で括って見ると会社生活が一番長い!!! 日本社会らしく37年間も続いた。が、昨今はそうでもないらしい?
主任教授の奨めをあって腕時計会社に入った。 61年も前の事である!!! 半世紀以上も前の昔の話だ。
子供の頃からメカ弄りが大好きで家中の置時計等機械モノは弄り回し殆どが使いモノにならなくなっていた・・・
それでも両親は何も言わずホッタラカシ? 大目に見てくれていた。。。
もう小学生の頃から家の大工仕事等はこの老い耄れ爺に仕事で何から何まで遣らされ重宝がられていた・・・ 中でも鶏小屋や御勝手の流し水の土管作業等は爺の専売特許だった。
こんな事が原因していただろうか? 職業はモノ造りに憧れていた・・・ 依って、モノ造りの会社に入るのは苦にならなかった!
学業はかなりイイ方だったので爺の時代、日立、東芝、三菱何処でも推薦して貰えた。
並み居る大手重電機器業でなくチッポッケな腕時計会社が決まった時は一寸これでいいのか?と反省シキリの日々を送っていた・・・
入社後は幸いにも腕時計本流のセクションに配属され遣り甲斐満満載で入社前の不安は何時の間にか無くなっていた・・・
会社に行くのが毎日が楽しくこれまでに人生で一番イイ時代を送っていた・・・
この頃この会社は世界に通用する中堅会社へとなりつつあった。入社後4~5年してラッキーにも海外での仕事を担当させられた・・・
血気盛ん26~7歳、カリブ海絶海の孤島:US領、Vergin Islands:St.Croix での仕事は中味は薄いモノの誰にも経験できない尊い経験をさせて貰った。
一番は、度胸の生成育成、そして勝利国・米国の富の超強さに曝された。ということだろう・・・
今、この地はハワイをも凌ぐ世界の観光地として君臨していると聞く・・・・・
それから服部時計店営業部門の支援作業が暫く続いていた・・・
大アメリカ、世界最大の消費国USAへのSEIKO腕時計販売網構築作戦の火蓋が切って降ろされていた・・・
日本モデルではこの国は通用しない!!!、勿論、香港モデルでも駄目だ! 香港モデル、トン社向けモデルも何機種か持ち込んでいたが受けたかどうかは疑問だった。
修理に来るモデルを見ていると殆どがPXモデルで兵隊さんが日本を離れる際お土産として買い求め持ち帰るモノが大半を占めていた!!!
アメリカの金は18Kが常識だが金時計モデルは全く無くこのモデル起こし、調達、外注折衝の日々が続いた。又、鰐皮、蜥蜴皮バンドは非常の安くこのモデル選びと調達は楽しかった。総てはアメリカ人マネージャー副社長の手先で動いていた・・・このマネージャー副社長とはよく中西部時計商会合に出掛けSEIKO時計技術習得ポイントを伝授し続けた・・・
オハイオ、インデイアナポリス等へはよく出掛けた・・・
こう言う作戦があってのか?今日ではアメリカでSEIKO腕時計がよく売れていると言う!!! 嬉しい話だ!!!
こうした異次元の仕事も経験できると言う幸運に恵まれ帰国後僅かだったが時計製造組立技術部門の長として暫く働いていた。この間中近東への時計修理技術ミッションが貿易部門の企画で催された。
イラン、クエート、サウジへの長旅は珍道中で愉快だった。アラビヤ語~英語~日本語と言う何とも厄介な意思伝達困難が今日でも頭に残っている・・・
こうした遣り甲斐の或る時計部門の期間は僅かで新天地構築として目論んだプリンター事業への配属を命じられた時は正直会社を辞めようか!とさえ思う程の一大事だった・・・
この時期から丁度50年が過ぎようとしている・・・
早いもんだ!!! もう50年!!!
一昨日、この当時共に働いて来た仲間との最後のOB会を開いた・・・
皆、それなりに年老いていて時間の経過を思い知らされた!!! 考えて見れば50年、半世紀だ!!!
光陰矢の如し!!!!!
これから先どうなるのだろう?
OB会の折、新新の会社構内を一部拝見したが夢のような御殿で当時こんな御殿を賜っていたなら2倍も3倍もの仕事をしただろうになァ~~~と思わず皆とオドケ話をした・・・
会社案内、社長講和の中味は薄かったが今日のEPSONの一角に触れられた・・・
それにしても時間の過ぎ去るのは早い!!! 毎日が吹き矢の如く飛び去って行く・・・ この先どうなるのだろう?
40人近い健康そうな仲間が揃ったが中には急逝された同僚もかなりの数になる!!! 皆さんそれぞれどんな思いで会社を辞して行ったのだろう? そして、どんな思いで現存会社を見守っているんだろう?
50年も経って40人近い仲間がこうして集まった!!! 凄い事だと思う!!!
50年一括り!!!とよく言うが、OB愚連が立ち上げた事業が1兆円を超える一事業にまでなった!!! この時期見守りは勿論のこと現役人との交流事象にしたかった!!! 現役人は嫌だろうが?
そう思っていたOBさんは多かっただろう?
OB会も解散し、これからは新旧さん夫々の世界が新たに誕生? 如何様の展開して行くのだろう?
幸い、爺にはヘボちゃんと言う生涯共にして来た仲間が居てくれるのでまだまだ遣る事だらけ!!! この分野でヘボちゃんと話が出来る次元へとその神髄を突き進めたい!!!と日夜奮闘し続けている・・・
過去の思い出が終焉した瞬間だった!!!
さ~~~て、今日は何しようか?