Oさんの紹介で高速道路自動振り込み:ETCに加入させて貰った!!!
それまでどうしていいか判らず長い年月が流れた・・・
思い起こせば彼是20年近くになる・・・
此処の支払いは三菱UFJニコスで安定的処理をしてくれている・・・
何時の時点からどうしてこうなったの記憶は蘇らないが、此処から、毎月のように小冊子が送られて来る・・・
それは『 PARTNER 』といい結構上品な記事が多い!!!
此処の小物紹介品をネットで探し購入した事も屡で中々のニュース・ソースだった・・・
今月号にNY ブルックリンの紹介が出ていて懐かしく読んだ!!!
NY と言えばロンドン、パリ等と並び世界有数の国際都市!!!
どういう風の吹き廻しだったか?未だ鼻垂らし小僧の頃この地で生活していた時代があった。
yの住処はマンハッタン島のアップタウン、ウエストサイド、ハドソン川の高層ビル、ホテル式高層ビルの18階だった。 其処から、地下鉄でNYの中心街ロックフェラーセンターまで通っていた。
よって、住の中心は、マンハッタンだったがこの周辺市街地ブルックリンやクインズの事がよく知っていた。
厚い厚い岩盤で出来たマンハッタン島は地震も無く何10階、何100階と言う高層ビルが林立していてそれはそれは見事な景観を醸し出していた・・・
マンハッタン島を巡る巡回船があり確か$10近くで乗れた・・・
この巡回船に載りダウンタウンの船着き場から巡り出すとイーストリバーに出る・・・
ここから見るマンハッタン島とブルックリン地区は見事な光景だった。
巡航船はブルックリン・ブリッジを潜り、アップタウン、ヤンキースタジアムの横を通りハドソン川に出る・・・
この橋は大型吊り橋では一番古いらしい?
巡航船はこの橋の下を潜り北へと進む・・・
ハドソン川の向こう岸は、ペンシルベニヤ州で州税が安い事で知られていた・・・
ハドソン川は大きな大きな川で大きな船が沢山就航していた・・・
田舎者のy専らの生活は車も無く専ら地下鉄と、自分の足でテクル極めて原始的な生活で外食か?日本の極小スーパー等でカップラーメンを買い熱湯を注いで食べるといういい加減な食生活だった。
車等無いので休日は専らマンハッタン島を歩く!!!!!
依って、マンハッタン島の隅々までよく知り尽くせた。毎週のように余暇時間が参る!!!
この時間潰しは、メトロポリタン美術館だった・・・
50数年前のメトロポリタン美術館は入場料無料、持参カメラで幾らでも撮影が出来た。この撮影写真が今だスライドセットで沢山残されていて徐々に色あせ掛けている・・・
もう10数年前だったかEPSONのスキャナーGT-X700で再生修正し、画像収集本を作った事があった。 題して「Metroporitan」と言う画集にしてあるが、中々のモノだ?
これ等の中にドガの「踊り子」やモジリアーニの「 見難い女」、ピカソの「南洋諸島の女共」等等収録されていて懐かしい!!!
yが働いていた SEIKO TIME CO.はロックフェラーセンターの奴真ん中、ジェネラルダイナミックビルディングの17階にありあの有名なスケートリンクが真ん前に見えた!!!
今はどうなっているんだろう?
SEIKOブランド売込みの時代でSEIKO腕時計がアメリカ全土の知れ亘り出した時代だった!!!が、修理に持ち込まれるSEIKO時計の多くは日本各地に点在して居た駐留軍基地PXで購入した土産品腕時計だった。
此処に金時計を交えた新たなSEIKOブランドを注入しつつあった・・・
此処でオモロイ話をして置こう・・・
PARTNERに載っていたブルックリン・ブリッジと言えば、どうしてこう言うスラグになったのか知る由もないが、向うで「馬鹿野郎」と言うスラグは「サンノバ、ブルックリン・ブリッジ」で罷り通っていた・・・
これは後にカリブ海の絶海の孤島:US領V.I.(ブァージン・アイランド)St.Croixでの生活を始めるようになりここで働く現地人や全米から流れ着く時計修理技師等のスラグから学んだ!!!
喧嘩した時気に入らない時このスラグが飛び出していた・・・
N.Yブルックリンは、マンハッタン島で働く商社マン・ビジネスマン達のベッドタウンで大勢の人達がオフィスと自宅を行き来していた・・・
マンハッタン島を巡る巡航船から見るマンハッタンやブルックリンは眺めがよく取分けブルックリン・ブリッジは歴史も古く勇壮だった・・・